昨日の朝も、ショックな事がありました。日曜日に顔見知りの方から、犬を飼いたい人がいると言う話をされたんですが、月曜日に譲渡会があるから南国市まで是非見に来て欲しいと言ったら、80歳のおじいちゃんやから南国まで見に行けるやろうか…?って言うのです。

ご高齢者の方には、ご家族の同意と後々の責任のお約束がないと譲渡してないんです。とお断りしました。

そしたら今朝、別の女性から、どうしてダメなん? おじいちゃん、死んだ犬も毎日散歩に連れてきたし可愛がるのに!って言うので、今、高齢者が飼えなくなった犬猫の相談ばかり毎日毎日なんですよ。と話しました。

香南市から隣りの南国市まで見に来る事も出来ない方なら、日頃から病院に連れて行ったりも難しいのでないですか?と言ったところ、その女性が言うには、最後はちゃんと病院にも連れて行ったけどダメやったと。

なので、
① 最後具合が悪くなる以前から病院にかかっていたら突然亡くなる事はなかったかもと言う事。
② 一緒にお世話したり後々の責任を持って終生飼育してくれる回りの人や家族がいたら譲渡できる。
と、話しました。

その女性は、日頃から連れて行きよったがやない?行きよったと思うよ~!おじいちゃん元気やったけど、犬が死んでから元気なくなったがやし、また別の犬を飼うように私らが言ったんやき!なんとかならんの?
大人しいミニチュアダックスとかがえいんやけど。

やっぱり年寄りもさみしいがやし、犬とか動物でもおって癒されて暮らすのが絶対えいと思うんよ!

家族は居るんやないがやろうか?
お酒を買ったら新聞で巻いて隠してカバンに入れるし、家族に見つかったらいかんきこっそり飲むんやと思うき1人暮らしじゃないと思うよ~。と、、、。

今、一番多いのが、野良猫が沢山いるからなんとかしてと言う相談と、高齢者が飼えなくなったペットを引き取って欲しいと言う相談で、実際に高齢者が亡くなったり施設に入る時に行政や家族が飼い犬は保健所で殺処分、飼い猫は外に出して鍵をかけて終わりと、そう言う事が平然と行われているんです。

保健所も、出来るだけ新しい飼い主を探す努力をして下さいね。と指導するのみで、それ以上何もしてはくれないんです。と、言うと、その女性は、それなに~おかしいやろう‼︎
愛護団体に渡したらえいやろ‼︎
そんなんを引き取って譲渡するんが愛護団体やし行政がせんでも、その為に愛護団体があるんやないが⁉︎
おかしいわそれ。と。

それらを全て引き取って医療費や費用がどこから出るのか?
どこで飼育するのか?
ボランティアも自腹ですよ!
だから、無闇な譲渡は出来ません。
動物は人間の寂しさを癒すけど、その為の道具ではないので。と、話しました。もう毎日毎日… 嫌になる。




問題の在処…

先に投稿を読み知っていただきましたが、皆さんは読んでどう感じましたか?

私が感じた問題は、この高齢者の方ではなく、「まわり」でしょうね。顔見知りだからを利用して連絡してきた方々の失礼な保護活動に対する認識の低さとペットの存在に対しての感覚に愕然となりました。

きっと、お爺さんは犬が好きで、自身の出来る範囲で大切にされていたのでしょう。ペットに先立たれてしまい生活の張り合いがなくなり、悲しみや寂しさに元気を失っているのも良くわかりますし、それは伝わりました。

だからといって、新しいペットを飼えばいいのに!なんて、まわりが安易に考えて囃し立てることはいけません。

動物を飼う、動物と生きるということは、私たちよりも短い生のなかで精一杯に生きる、その死もまた生あってのこととして受け入れる覚悟がなくてはいけないのですから。


無責任体質…

投稿だけで他人を批判するのは正しくないかもしれないけれど、こんな図々しく無責任な意識の方々がいることが、ペットとなる動物を平気で不幸にしかねない、高齢者とペットの暮らしに関わることで大きな問題になるだろうと感じました。

愛護センターへ足を運ばないとか、
譲渡会に足を運ばないとか、
ネットでの情報だけで里親希望して空輸で愛犬となる犬を受け取るような飼い主さんには個人的に多少なりし違和感があるし、なにより犬たちの幸せを願って飼い主を希望するなら、マッチングもトライアルも受けないような不親切な譲渡うけたり、無責任な譲渡をしたりなんて論外なので、とてもじゃないけど話にならないですね。


里親を募集してるんでしょ?
飼ってくれる人が必要なんでしょ?
そんな足元を見たように簡単なものだと思ってるなら、塩まいて「おととい来やがれ!」って叱ってやりたいくらいです。

保護犬たちもショップで売られてる犬たちも変わりはありません。この犬を家族に迎えたい!幸せにしたい!一緒に幸せになろう!その強い気持ちと覚悟がなければ。

譲渡会にはいけないけど、散歩はできるとか、一人暮らしじゃないと思うとか、大人しいミニチュアダックスとかがいいとか、動物に癒されて暮らすのがいいとか、愛護団体に渡したらいいとか、引き取って譲渡するのが愛護団体とか、その為に愛護団体があるとか、全部おかしいよ!!





何がしたいのか、馬鹿馬鹿しいったらないです。それで動物愛護に関心を持ってるとか、殺処分反対、とか言うのでしょうか?言うのでしょうね。

そこまで望むのなら、この方々が保証人となる責任を背負ってお願いすれば、まだ筋が通ります。自分たちが譲渡会に連れていってさしあげたらいいだけ、そうでしょう!


わたしの考える結論は…

お爺さんが本当に犬を飼うことを考えているならば、このような方々ではなく、ご家族と話して相談し、万が一の事があった時、ペットが行き場がなくならないように家族が終生飼育する同意のもとで、愛護センターや譲渡会、ボランティアの方々のもとへと足を運んでいただきたいです。

例えば私が、この方々のような立場であるとするなら、お爺さんにそう話をして、常識の範囲内で出来ることを考えてお手伝いをさせていただきます。

この女性たちのように責任はとらないとれないのであれば、一見するとお爺さん思いのようにも感じられるけれど、誰にとっても迷惑な存在となるだけなので、ハナから関わらず、この姿勢がベストだと思うんです。

冷たい、ですかね? (笑)
だとしても、責任も持てないなら偽善でしょう。私はそう考えています。



私の大好きな近隣のお婆ちゃんのことをお話します。お婆ちゃんには、小さな同居犬がいました。’不要”とされたポメラニアンを引き取っておられました。長年の伴侶のような佇まいを感じちゃうくらい穏やかな犬のでしたよ。

常にブラッシングしたり、サロンで綺麗にしてあげて大事に手をかけて飼っていたのですが、すでにシニアだったこともあり残念ながら老衰でなくなりました。

先に行かせてやれて良かったわ、そう言っていました。その後は声をかける方もいたそうなのですが、満足なこともできないから可哀想で飼えないと言われていましたが、やはり好きなんです!変わらず健康のための散歩ついでにと我が家の犬たちに会いに寄ってくれたり、私たちも散歩しながら声をかけに寄ったりしながら交流を育んでいます。

別々に暮らされてる家族のかたに聞くと、決して飼うとは本人は言わないけれど、ペットショップや愛護センターにも出来るだけ連れていってあげると犬を見たり触れ合えることを凄く喜ばれて楽しみにされているらしいです。

飼う・飼わないの選択でなくても、犬や猫に会いに行く、その目的だけでも、ご家族が思いやりをもって連れ出してさしあげたり、この方々も自分たちが連れ出してさしあげたりすれば、お婆ちゃんのように、このお爺さんにとっては、その気遣いや優しさに喜び嬉しい出来事となり、十分に心の支えとなる豊かな時間となると思いました。




こんな事まであったそうです…

(相手)もしもし~、捨て猫を拾ってくれる所ですか?

(私)えっ… 違いますけど…!!

(相手)捨て猫を拾ってくれる所って聞いたんですけど~?ニャンハウスって何するところですか?

(私)うちは高知にゃんわんの家と申しますが…

(相手)捨て猫拾ってくれる所じゃあどこにあるんですか?

(私)さぁ…

(相手)番号まちがいました。


番号まちがえました?

そんな番号は、何処にもあるはずがない。きっと上の女性たちのような人が無責任に言われるんでしょうね。

『あそこは動物たくさん保護して面倒みてるから連絡すれば引き取ってくれるはず。』

『動物愛護団体なんだから野良猫も捨て犬も可哀想な動物を引き取ってもらえるはず。』

『捨て猫か迷子の猫を拾ったけど、殺処分にされたくないから引き取ってください。』

『猫が子どもを産んだけど、家では飼えないから誰か良い人にもらっていただいてください。』なんて・・ね。

なんだと思ってるんでしょうね。皆様なら耳にしたことも、目にしたこともあるだろうと思いますが、私も知人に聞いたり、団体のホームページの記載を読んだり、SNSでもこのような方々が無責任にコメントしてるのを見かけたりもしますが、このような方々を見かけたら、迷惑をかける行為になること、間違った認識が周知されないようにご注意してさしあげましょう。

『知らなかったとは言え、相手のかたに失礼な迷惑とならないよう、ご自身の優しさで責任をもって全うすべきですよ。』と。

伝わりやすく書いたので、ちょっとキツく感じる表現になったかもしれませんが、加えて『愛護センターや付近で地域猫の活動されてる人たちに分からない事はご相談されてみてはどうでしょうか。』とアドバイスもしてさしあげましょう。

なぜなら、このような失礼で非常識であっても活動されてる方々は動物を見捨てることが出来ません。腹が立とうが傷つこうが、悩んだあげく走ってしまったり、余裕などないのに無理をしてしまったりもされるのです。

こちらの『高知にゃんわんの家』の方も事情を聴き直し、猫が鳴いてるとの事で、そのままにしていても猫の命が消えてしまうことが分かると探しに走って行かれたのです。


残念ながら、見つけたときには既に生き絶えてしまっていたそうで、亡骸を連れて帰ってくれたそうです。

命がけで《ここにいるよう!》そんな風に鳴いていただのかな。どれだけの人たちが鳴き声に気づいてもらえたのか分からないけれど、そのまま放置され死んでしまったのです。他人任せにしないで気づいた時に自らの手を差し伸べることができたなら救えていただろう。

可哀想だからと、動物が好きだからと、誰かを頼り誰かに押し付けるのは動物愛護でも親切でもなんでもない。だったら最初から関わらずです。聞こえないふりでもして自分の責任で通り過ぎればいい。その方がずっといい。

だからといって、保護できない人を責めたりなどしませんよ。

犬や猫を保護をしたり、警察に届けたり、自宅で預かったり、飼主が見つからず引き取ったり、里親を探したりされた経験がない人たちには、思いもしない考えが至らない事もあるかもしれません。

だから分からないことは聞いたり相談されるのは良いことだと思うんです。しかし、思いを行動にできる人たちは保護すべき必要性と責任の重さがよく分かります。だから責めたり非難などしませんよ。

自分がされたら嫌でしょ? そんな風に思われて扱われたら傷ついてしまうでしょう?少し考えてもらえたらと思うんですが、、、





下のリンク先の投稿も是非あわせてお読みください。これも動物愛護の取り組みについて大切な大切な啓発となることだと思います。動物を傷つけてはいけないように、活動されてる人たちも傷つけていけない、犬や猫を思うように人にも思いやりをお願いします。

この話も偶然にも高知県なのですが、高知県の方々がこのような人ばかりといった誤解だけはしないようにしましょうね!

きっと、実際の現場となる収容状況や保護する活動が活発であり、そちらで手一杯な状況かもしれません。

こうした活動の在り方や保護動物についてなどの正しい情報や知識においては、市民や地域の皆様に啓発活動が少し行き届いてはいないのかもと個人的には思ったりしました。



それにしても、何がなんでも餌を与えたい、餌を与えることが正しいと思う方々にも同じことが見受けられますが、その行為の先のことはお構いなし、自分の要求が通らないことに酷く怒り批判したりされますよね、、、これ、とても困ったものなのですよね。

兎にも角にも、このような人たちからの電話が鳴らないことを願うばかりです。
電話をするなら《今は飼えないけど何か私にもお手伝いできることはありますか?》という電話をかけていただきたいくらいです。

私も以前、お電話でないのですが、似たような声をかけていただきました。泣くほど嬉しかったんです!関心を抱き、何かできることを探し求めてくださるなんて。

誰かに褒められることや誰かに認められることを求めてすることではない、誰かに強制することでもない、自分の思いと考えを行動で可能な限りで示していくだけ。苦労も悲しみも悔しさも喜びも全て自分次第。

愛ってそういうものですから。

1人から2人へ、2人から3人へと広がり、人にもペットにも優しい地域になりつつあるって実感を与えてくださった方のおかげで幸せな気持ちになりました。だから、このような思いを届けてくれる電話ならばと思ったりしました。





話を少し先に戻しますが…

皆様はどう考えておられるか分からないんですが、私は高齢者の方々が犬や猫を飼うことには反対でもないし不可能だとは思いません。

一般的に飼育環境や適性飼育とはいえないことがあったり、病気や死去や施設の入所による置き去りにされるペットの問題などがあることも知って、ブログにしたこともあるけれど、自分なりに凄く凄く凄く考えました。

それでも高齢者がペットと生きる選択をすることを取り上げることが正しいとも言えず、かと言って高齢者の欲求に合わせることで犬や猫たちを苦しめることは見逃すことなどできず、正確には、NO!と思いきれませんでした。

どれくらい前になるでしょうか。里親募集をされていた犬がいました。この犬の飼主さんは高齢者で、詳しくは書かれてなかったけれど、突然お爺さんに先立たれ、天涯孤独となった犬は行き場を失っていました。が、心配された近隣の方々がボランティアのかたに連絡をしてくださり、無事に保護されたというものでした。

ここまでを聞くと、よくある高齢者とペットの問題でもあるのですが、ただ少し違ったのは、近隣の方々が犬のこれからを親身になって心配されるくらい、お爺さんは犬のことを大切にお世話をされていたそうで、その犬はとても綺麗でした。

さらに家の中から手帳が見つかり、その子の成長記録とか通院記録などの詳細が几帳面に記されていたそうで、言葉にできないような暖かな気持ちになったのを今も良く覚えているのです。そして、私の出会った1人暮らしのお爺さんが亡くなったとき、目の前でそれを実感することがあったんです。

ご家族は、離れて暮らされていたものの行き来はされてました。そのせいか、ペットとも仲の良い印象がありましたが、お住まいの事情があり引き取るという選択が出来ず、置き去りとなってしまった犬のためにも、しばらく周りで協力してお世話をしながら一日でも早く新しい家族を探すお手伝いをすることになったんです。

家のなかは、高齢者の一人暮らしでも清潔にされていて、シンプルな生活が感じられました。ついつい物が増えてしまう自分の環境を恥ずかしくなるくらいで・・w
小さなテーブルの横のカゴには、犬の食事や買い物リストのメモ、日記のように毎日の様子をA4ノートに書き綴っていたものを見させてもらったとき、その様子が浮かぶような優しい愛情に触れました。

お爺さんにとっての犬は紛れもなく家族であった、親のような大きな責任を持って大切に守ってきたのだと感じました。気づけば誰もが涙が溢れるような気持ちで、ただただお爺さんの魂が安心して眠れるように素晴らしい飼い主さんを探してあげなきゃと思ったものでした。

そうしたことも1つにあって、近隣地域で高齢者の方々とペットと双方のサポートをすれば可能なんじゃないだろうかと、どこまで可能なのかをチャレンジしてみようと現在のお手伝いをさせていただいています。

だけど良いことばかりではなく、この投稿を見たとき、活動当初の高齢者の方々の犬たちに対する感覚や姿勢や低い意識、身勝手なことを言われたことや、避難時のことなどを話したことなどの忘れもしない会話なども思い出しました。

昔は外飼いで番犬としてしか犬を飼ったことのない人たちが大半でした。共に暮らす同居人としてペットを室内で飼育されるようになり、どんどんと変わっていかれるんです。気づいたこと気になることを心配されて、無邪気にどんどん質問されたりします(笑)

今でこそ、時に私を励ましたり労ったり、お手伝いをすると嬉しそうな笑顔でペットに「良かったなぁ!」と話しかけていたり、どんどん愛情を示す喜びを楽しまれ、やり方を教えてあげたり、できるように工夫を考え伝えれば、自分たちでお世話ができることを楽しんで努力され、今では地域で最高齢の優良飼主のモデルになられていると思います。(笑)

いつ何が突然あるか分からない高齢の皆様であることには変わりないので、夏や冬や季節の変わり目にはヒヤヒヤしたりもしますが、自身のなかの愛情を感じながら、その愛情を与えながら、その喜びを持って共に生きられることは、素晴らしい人生じゃないかと思うんです。

大したことはできませんが、高齢者の皆さんとペットの双方が求め合う幸せな暮らしを願い、実現できるように有り難くお手伝いを続けていきます。いつか、いつか、高齢者がペットと暮らすことにも社会的にサポートを受けられたり、地域のコミュニティで支え合えるような世の中になれたらなぁと。



高知わんにゃんの家…

こちらの方の判断は、目の前のことだけではなく行く行くのことも懸念されながら、飼う方にも犬にも配慮された丁寧な返答だったと思います。

高知県にお住まいの皆様、もしもこれからペットを飼おうとされる事があれば、是非こちらでの譲渡もご検討いただけますよう宜しくお願いします。そして皆様の地元である高知県で不幸にも飼主に恵まれなかった犬や猫たちのことを、ご活動されているボランティアの皆様を応援お願いいたします。




保護犬を迎える方へ…

これから保護犬を迎えようと思われている方は、譲渡会や動物愛護センターに足を運んで、保護犬ということを知り、実際に犬たちに触れて下さい。
自ら歩み寄り犬を知ることは、犬たちの幸せにとって、私たちの幸せにとって、これからの互いの暮らしのためにとても大切なこととなります。

犬を飼うということを学び、飼主となることの義務を学び、自身のライフスタイル、終生飼育の責任ということを考え、今後の人生のことをよく考え、自身にあったボランティアの方や動物愛護センターに相談して『マッチング・トライアル』を受けて下さい。これは犬たちでは選べない大事なことですので、実際の自身の暮らしにあう犬を飼うようにすることは、無理をなくすことであり、これも飼主となる人の持つべき責任ある適切な飼い方にも繋がるものなのです。


適正譲渡を求め受けて…

そしてもう一つ。里親となる新しい飼主のかたへ命を託すという立場の保護活動されてる方々は、動物と人間(飼主)の双方ともに『楽しい!幸せ!ありがとう!』という結末を迎えられるような譲渡が目標です。

そのためか一部の理解のない方々には厳しすぎるとさえ言われるような『譲渡条件』も必ずあります。しかしこれは、その犬の命を預かってきた人たちが飼主となる方々へバトンを渡す『命を託す』という大きな責任があるからなのです。その責任ゆえに幸せを願うがゆえに、大切に保護してきた犬への親心のような愛情いっぱいのお願いが込められている条件なのだと思っています。

逆にいえば、こうした丁寧な説明や条件がない不親切な譲渡には愛情も思いやりを感じませんし、私が知る中でも里親に出したあとのトラブルや苦情や相談があった場合もすべてこうした人たちによる『簡単な譲渡』を受けた場合でした。

保護と譲渡に関わる人たちは、最後まで愛情と責任をもち、言葉を話さない犬たちの代わりに架け橋として丁寧で親切な譲渡を心がけてすべきであり、また、譲渡を受ける飼主となる方々はそれを知り適正譲渡を求め受けるべきなのです。

可哀想では得られないもの。
愛することができる喜びです。
愛される存在と愛するための譲渡。
悲惨さより、憎しみより、愛することの素晴らしさ、愛する存在のあることの幸せのが一番の動物愛護だと思っています。犬たちと飼主となる皆様の豊かな生涯を願っています。よろしくお願いいたします。





最後まで読んでくださり、考えてくださり、皆さん有難うございました。
今日も全国で迷子となってしまった犬たちがいます。きっと明日も。
せめて今できることをすれば、その小さな所有者を示す札があれば……
帰る場所を見つけてもらえますように。
Lovely days CHIKA'S MIND TRIP