ふと思い出すことがある。
「あれ・・?そういえばこの選手、
タイガースに在籍してたよなぁ・・・たしか」
ネタがないときや、ネタがあまりにも暗いときなどに
不定期でお届けしようと思う。
「阪神にいたっけ?」series
第1回はこの選手
週間ベースボール
まずこの投手を知っているか?どうか?
世代の話ではあると思うがご覧の通り堂々のエースナンバーピッチャーである。
太田幸司 背番号18(近鉄時代)
1952年生 右投/右打 176cm 76kg
青森出身 三沢高校〜1969年ドラフト1位 近鉄バファローズ
実は筆者は近鉄時代の太田幸司と自宅が近所であった。
太田幸司は藤井寺球場まで徒歩5分のところに住んでいた。
いつも朝、庭先を掃除する大柄なロシア人のお母さんが
「オハヨゴザイマスー」と皆に愛想よくご挨拶されていたのをよく覚えている。
が、今回、調べてみると彼は養子だった。
青織の三沢基地の軍人と日本人女性の間に生まれ、その後基地の軍属をしていた男性と養母にひきとられたそうだ。
この太田幸司という投手。
なんといっても有名にさせたのは甲子園だ。
その後、バンビだ、ハンカチだ、という選手、投手が出てくるが
(ニュー・バンビってのもいた・・・)
「元祖・甲子園のアイドル」
といえばこの太田幸司である。
端正な顔立ち(ハーフだしな)、3大会連続で甲子園に出場し女性ファンの注目を集める。
その人気を不動のものにしたのが3年の夏の大会の決勝試合。
名門・松山商業との対決。
三沢高校は当時青森県勢としてははじめての決勝進出。
東北勢としても戦後初めてのことであったためにおおいに盛り上がった。
初の栄冠なるかと思われた試合は延長18回を0-0のスコアレスドロー。
太田幸司は262球という球数を一人で投げ抜いた。
翌日の再試合でもフルイニング投げ抜いたがこの試合、2-4で敗戦。
2日間45イニングを熱投した。
これ以来、「アイドルとおっかけ」というものが高校野球に流れ込み「甲子園のアイドル」というものが確立する。
「延長試合」からの「惜敗」というものが、
女性ファンのハートをつかみ、それ以来アイドル路線の王道とされる。
その後、鹿児島実業の「サダ坊」=定岡正二、
東邦高校のバンビくん=坂本佳一、
早稲田の「ニュー・バンビ」=荒木大輔・・・と系譜され
「ハンカチ王子」=斎藤祐樹へと受け継がれていく。
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太田幸司の全成績
その年のドラフトで近鉄バファローズに1位指名されて入団。
初年度からファン投票1位でオールスター選出されるなど「人気先行」であった。
太田幸司はのちに初年度の「オールスターは地獄だった」と語っている。
高卒でまだ体力も実力もつかないうちから一軍に定着させられたことは彼にとって決してプラスではなかっただろうと思う。
藤井寺球場や日生球場では太田幸司のファンのために女性トイレが増設されたくらであったから球団としては二軍で力をつけさせてから・・というわけにはいかなかったのだろうと思う。
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近鉄の12年間で58勝。
転機は西本監督が近鉄に就任した年だったと語る。
5年目の1974年に初の10勝をマーク。
アイドルから脱皮し近鉄の主力投手として二桁勝利をあげた。
その後4年間で41勝をあげたがその後は低迷し2年間で8勝。
1980年から3年間は未勝利に終わり、1983年に金銭トレードでジャイアンツに移籍
さらにその年のオフにタイガースに移籍したが、ジャイアンツ・タイガースともに一軍登板のないまま引退した。
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