寄り添うかたち | たぶん2EなJUNIORと私

たぶん2EなJUNIORと私

ブログ数年ぶりに復活。たぶん2Eの我が子と私の諸々のメモ的記録。自慢話??みたいのも多いと思うので不快な方はスルー推奨です。

(妊娠中の話)単身赴任、ドイツ語苦手、なのに妊娠…から、5ヶ月で帰国しました。

我が子はまぁグレーなわけですが。


自分を振り返るとわりと自分もその気はあるなぁと思うんだけど、昔は知られてなかったし、まわりとのズレはあまり気にしてなかった。


私は診断受けたわけじゃないので自分がどの程度「変」なのかはわかってないけど。



わりと母とは一卵性双生児母娘みたいなところがあって、なんでも話してたし聞いてもらってたんだけど、最近になってかなり距離を置くようになってきており。


要因は色々あるんだけど、きっかけの一つに、我が子の特性をどうやっても認めなかったというのがある。


挙げ句、扱い方が悪いとかもっとちゃんとしないと発達障害児になるとか言われて、限界が来た。


扱いで本人が大きく変わるところもあるし、今の子はほんとに「普通の型」がガチガチに嵌められていて、それ個性じゃない?ってところも特性だから直せみたいに扱われてイラッとするところもあるけど。


そもそも定型ではないから本人も親も苦しんでいるんで、叱咤激励したつもりだろうけど全く勉強する気もなく全てを否定されて耐えられなくなったところはすごくある。



それで最近つらつら思うに、私の幼少時から対人関係については気にしてくれなかったなぁ、と。そういう人なんだろうなぁ。。(本人も対人関係はそんなによくない)


人とは衝突するくらいでちょうどいいと思ってたみたいで、何かトラブルがあればその都度対処について話し合うとかはあったけど、友達ができないとかトラブルが多いこと、あと忘れ物が多いとかに対して抜本的にどうにかしようということは考えてなかったみたい。


私としては、勉強側はたいして覚えてないけど、誰も話し相手がいない休み時間とか、修学旅行で誰も班に入れてくれなかったこと、みんなに呼び出されて糾弾されたこと、もう30年も前の話なのにいまだに胸がぎゅっと締められるような苦しさを覚えるくらい辛かったんだけど。


別に周りに合わせるべきとはいまでも全然思っていなくて、仮にいまの記憶を持ったまま30年前に戻れたとしても同級生と仲良くできる気は全くしないんだけど、「学校の同級生と仲良くできないなんて別に珍しいことじゃないし、そこそこトラブらない程度に流しときゃいい」「感情や調子には波があるから悪い時は大人しくしとくほうが吉」くらいの知識は持ってたかったなぁ。。


そしたら多少は自己肯定感下がらずにいられたのかも。

とにかく小中学校は苦しかった印象しかない。


まぁ、むしろ対人関係は無視して育てたのがプライド(そっちに気を取られると勉強面が潰される)みたいなことも言ってたから期待してもアレですが。


抑えるんじゃなくてある程度コントロールしないと本人が辛い、というのを私としては身を以て体験しているがゆえに、我が子にはできればそんな苦しさは少なくあれかし、とは思うんで。


ちなみに勉強面が潰されるという話については程度問題で、勉強できたからって対人関係壊滅でうつになったりする人もたくさんいるし、そうでなければそもそも自力で対処法をみつけないといけないのでその間に何回も自己嫌悪で凹みまくったし、落ち着いたのおとなになってある程度コントロールできるようになってからで。


一方で、ボスに迎合するのに力やら気やらを使いすぎて疲れ果てたら当然他のことはできないので、まぁそこそこ流せるような要領をインストールするくらいがいいのかな、と思っている次第。


言い換えれば、自分のリソースを自分の好きな方に使うためにも、苦手分野はさらっと流していいんだということと流し方をマニュアルとして知っておくと楽、っていう感じ。


私がおとなになってやっと知った「書いてみる」「食べる」「歌う」とかのもやもやの切り替え方、めっちゃ子供がもらってきたテキストに書いてあるし、実践してみてるし。いいなぁぁぁぁ


まぁ、自分が苦しんだから言ってあげられることもあるし何事も経験とは思うけど、寄り添いかたって難しいなぁと思ったりするのでした。