愛 | ドイツのブログ

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私が、博士号を取り、子供と同居し、芸能人になるまでを描きます。

私に病的な計算は、いつもあったが、ほんとの意味で、人を愛すなどなかったように思っていた。
 
 
 
私の病的な学問は、知識ではあったが、ほんとの生きた知識ではなかった。
 
 
 
しかし、私は妻を愛した。
 
愛したから、子が出来たのだ。猥褻も、変質もない。
 
 
 
神は、一対の男女が愛し合うのを許されたのだ。
 
 
 
 
私の親は、私を愛してくれた。
 
 
 
 
似た顔の私を愛してくれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
人間は、似たものを愛すし、似た経歴なら同性でもわかりあえるだろう。
 
 
 
 
 
わかりあえた友も、
愛した人でさえも、
 
 
 
 
 
 
真の学問。真の学者に真の知識は降りてくる。
 
 
 
語源がくでもそうで、真の語源がく者が、真理だ。
 
 
 
経験を経て、学んだものが、真理だというか、
 
 
 
その人に触れ、その経験に学ぶのだ。
 
 
 
 
愛とは、漢語だ。するという動詞をつけて、愛するとした。
 
 
恋とは、古くからのヤマトコトバで、恋愛というとレンアイでコイアイでなく、恋は訓読みだが、れんは、音読みで、こいというヤマトコトバは、中国オンのレンだっただけだ。
 
 
 
 
 
それに対し、アイというヤマトコトバは、なかったが、愛するという日本語を作り、愛という中国語は、日本語になった。
 
 
 
 
 
 
語源がくといウモノハ、細かいが、
 
 
 
助けるは、足す得る
助かるは、足す在る
 
 
 
 
教えるは、押す得る
 
 
 
これらも、経験からそうで、教えられるのは、ただだが、なぜだろう?
 
 
教わっといて、と思うが、教えたがわは、教えてええ気分になっているのだ。だから、押す得る
 
 
 
 
楽ええ気分を得ているのだ。
 
 
 
 
 
足す得る助けるでも、人に足して、得ている。助けたら、ええ気分だし、後でよくしてもらえるかもしれない。
 
 
 
足す在る助かるは、足してもらってて、在る場合だ。
 
 
 
座っていて、妻が総司をしてくれたら、
 
 
 
 
助かるわ
 
 
 
というが、足してもらって、仕事してもらってて、旦那の私は座っていて、在る、だけなのだ。
 
 
 
あるとは、座っているだけだ。
 
 
 
 
 
 
経験語源がくからも、勘からも、神話からも、おかしいの語源は、犯しいである。
 
 
 
 
 
笑いの本質は、勘からも性だと、思っていたし、神話からも、天照が、アマの岩戸に隠れて、この世が、闇になっても、女が裸で、踊ると笑ったという古事記の記録からも、性だし
 
 
 
 
 
 
語源からも、おかしいは、犯しいで、女の裸に笑いの起源はあるし、例えば、宗教家より、エネルギーのあるのは、コメディアンではなかろうか?
 
 
 
 
 
閑話休題
 
 
 
 
 
 
 
 
私は、ほんとの意味で人を愛したことが、なかったようで、人を愛していた。
 
 
 
 
 
浮気するような人は、ロンガイ、ほっとく、或いは何かに取り付かれている?か?単に違う女なら、違うのではないか?という軽い発想だが、女が浮気するようなら、間違いなく、何かに取り付かれている。金?地位?名誉?権力?その女は、美人だが、どこか不健康。
何よりも、何かに取り付かれているような目をしていた。だから、薬を飲んでいるのは
精神病だが、取り付かれているのは、また別だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
また私は、心の底から、子を愛しているらしく、東京に日帰りでも行ったが、わかり会えない人はいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
冷血。その人は、人相がくからも、冷血と言えたが、私は、その人を避けるようになった。
 
 
 
 
 
 
 
黒い目の奥に霊に繋がるものがあり、避けるべきだと読んだからだ。
 
 
 
 
 
 
その人の経歴かとも、思ったが、どこかで、血の通っていない、どこかで先祖との霊線の切れている。血が、通っていたら、とっくにわかっているのに、わからない辞めない。
 
 
 
 
 
 
私は、その人を避けるようになった。
 
 
 
 
 
 
 
 
明日は、芸術文化祭に作品を出しに津に行ってきます。
 
 
 
 
 
 
雨やろけど、
 
 
 
行ってきます。