人が、死について考える時。
それは、性に満たされ、お金もある程度あって幸せで、友は居、希望があり、ある程度の女にもて、社会的にもある程度認められているときで、死について考えるのは、ある程度幸福な時だ。雅子様は、外交官の子に生まれ、ハーバード大を出られ、将来の天皇妃は、約束されている。しかし、人間とは不思議なものだ。
死にたい。
そう、考えるようなのだ。
性欲に個人差が、はっきりとあるが、悩むタイプと悩まないタイプがあるだろう。
しかし、自殺に追い込まれる人の悲惨さは、筆舌に尽くしがたいのではないか?
自ら、死を選ぶ。それがどれだけたいへんなことか?
焼身自殺は、この人は?とあてつけにすると言われている。借金自殺。失恋自殺。病苦による自殺。うつ病と認定されての自殺。尾崎豊、三島由紀夫らの社会的成功にも、関わらず、精神的圧迫、あまりにもの芸術的感性による死もある。自殺に及ぶほどの精神的苦悩と、死について考える幸福とは、全く逆だ。借金苦は、あまりにも苦しいだろう。自殺に及ぶ苦悩と死について考える余裕のある幸福。幸不幸両極端な時、人は死を考える性質がある。