歴史のことば劇場38

女性宮家などが論点となると報道されましたが、
しかし、近年の一般的な憲法概説書(渋谷秀樹『憲法 第3版』有斐閣、平成29)は、
この問題に関する「皇室典範の改正は、国会の議決で可能とはいえない」と述べています。
なぜなら、天皇の地位は、
旧憲法以前からの歴史的な継続性が認められ(地位継続説)、
現憲法による過去との断絶を強調する説(地位断絶説)もあるが、
「明治憲法が過剰に与えすぎた権能をそぎ落とし、天皇が歴史的に担ってきた権威の付与という政治的役割に純化させたとする地位継続説が、憲法の制定過程や具体的に付与された機能の内容からみても妥当ではないか」
このため、
「天皇の地位の断絶性を認めない限り、皇室典範の改正によって女系または女子の天皇を定めることはできない」
もっとも、天皇の地位は、主権の存する国民の総意に基く(1条)から、
「憲法改正または国民投票によって、女系または女子を認めることは可能」というわけです。
もちろん、憲法9条改正も進まない状況で、天皇の地位に関する改憲や国民投票などは、殆ど実現不可能、あるいは不適切と言うべきです。
また同書は、男系男子を現憲法の「当然の前提」とし、
「千数百年を経ていわば憲法慣習(※憲法典には見えない実質的な憲法のこと)となった」と解して、
天皇の地位の継続性として「譲位の道」を合憲と認めています。
またこの「憲法慣習」の注には、
憲法義解(明治22)の「上代の恒典に因り中古以来譲位の慣例」の記述を根拠にあげます。
しかし女帝は、周知の通り譲位を含め十代を数え、
また神皇正統記のいう「マサシキ御ユヅリ」は父子継承の優位をさすので、
「千数百年を経ての憲法慣習」と言うなら、男系の女帝は含まれるように見えます。
思えば、上皇陛下(当時は天皇)は、憲法上の「象徴」について、
複数のご発言によって「長い歴史」「伝統」の上に位置づけ、
「国民と苦楽を共にする」との伝統を、上述の継続説のうえに、付加されました。
いわば伝統と現憲法を相反するものではなく、相通ずるものと位置づけました。
その一方で、
小泉政権の有識者会議(平成17)で、女系容認を打ち出した憲法学の横田耕一氏は「断絶」論者でした。
横田氏いわく「『断絶説』を採る私には伝統というのは、合理的理由とは認められません。/したがって、女性天皇や女系天皇の否認は違憲と考えております。」
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai6/6siryou4.html
ちなみに同氏は
「仮に女性天皇や女系天皇を認めたといたしましても、世襲制度そのものが平等原則からの逸脱であることは言うまでもございません。」とある通り、
皇室自体が人間の平等原則や人権に反すると考える反天皇論者です。
現憲法と伝統との繋がりなど全く考慮していないように見え、これらは、いわゆる女系容認論が、
いかなる論理や経緯から出現したのか、その出自を明らかに示しています。そればかりか、
彼らの依拠する「断絶」説は、学問的にも、現実の運用上も、成立しません。
にもかかわらず、それを誰も指摘せず(吉川座長「学説には立ち入らない」)、
しかも当時座長代理だった園部逸夫氏は、近年の著書でも問題にふれません。
要するに、女系継承論とは、
法律的な無知あるいは逸脱の産物にすぎないのですが、
憲法の「象徴」の語は、英国の立憲君主制に由来し、
E・バークは、「わが憲法は慣行的な憲法であり…慣行権は、あらゆる権利の中で最も確実なもの」であって、
「世襲君主制以外の経路や方法をとる限り、我々の自由が、世襲的権利という形で整然と末代まで受け継がれ、かつ神聖なものとして保持されることはありえない」と述べました(坂本義和)。
女系容認は「千数百年を経ての憲法慣習」という「実質的で、慣行的な憲法」の無視や逸脱であるのと同様に、
国会や有識者会議などによる、改憲を伴わない天皇の地位に関する変更は「権力の濫用、逸脱」であり、
長期的な「自由と安定」(バーク)という「国民の世襲的権利」をも同時に毀損する「権力の濫用、逸脱」であることをも忘れています。
このように、伝統と憲法の関連性を明確に考慮しない論議は、
法の支配や立憲主義の基本原則を無視した、単なる感想やら政治談義にすぎず、ひいては国民の世襲的権利の保持をも考えていない謬説と見なしてよいのではないでしょうか。








