ロシアによるウクライナ侵攻が世界を震撼させていますが、
1943年末、カイロ会談でルーズベルト大統領は、蒋介石に対し、
中国は沖縄に関して権利を主張するつもりはないかと一度ならず質問した。
これに対して蒋は、
米中共同で琉球諸島を軍事占領し、ゆくゆくは国際機構の信任統治制度のもと両国で共同管理することで賛成していました(渡辺昭夫)。
いっぽう、マッカーサーは、
沖縄人は日本人とは人種的・文化的に異なる存在であり、歴史的に搾取されてきたとし、
軍事的で、戦略的な統治の観点から、沖縄が元来日本の主権の下にあることを認めませんでした。
沖縄をめぐる状況は、まさに予断を許さず、
昭和22年9月、昭和天皇は、御用掛の寺崎英成を通じ、総司令部のシーボルド政治顧問に秘密メッセージを伝えます。
「米軍が沖縄、琉球諸島に対する軍事占領を続けることを希望する」、
それは「主権を日本に残したままでの長期―25年ないし50年またはそれ以上の―租借方式という擬制(fiction)に基づいて」行われ、
米国が沖縄に「如何なる恒久的野心も持っていないと日本国民に確信させ…ソ連や中国が同様の権利を要求することを阻止するであろう」と。
この英文は、昭和54年に米国で発見され、現憲法に反する天皇の政治的行為を示すため、国会でも議論になりましたが、
当時天皇は
「蒋介石が占領に加はらなかったので、ソ連も入らず、ドイツや朝鮮のやうな分裂国家にならずに済んだ。
…アメリカが占領して守つてくれなければ、沖縄のみならず日本もどうなつたかもしれぬ」(入江相政日記5)
と回想しています。
秘密メッセージを発した天皇の真意は、
米国の軍事力を背景に、ソ連や中国の脅威から日本の安全を守るばかりでなく、
マッカーサーの“沖縄は日本ではない”という分離方針を、あえて長期の基地租借を逆提案することで回避し、
本土と沖縄の分断を阻止することにあったようです。
G・ケナンが室長の国務省政策企画室は、22年10月、天皇の長期租借の「示唆」に注目しながら、
軍部らによる戦略的統治は説得力がないとし、その代案として長期租借方式の検討を「特別勧告」します(R.エルドリッヂ)。
天皇の秘密メッセージは、米国外交筋における日本の主権に関する柔軟な見解と、絶妙なタイミングで符合しましたが、
日本が敗戦状況から脱し、講和、日米同盟への基盤が築かれるのも、
22・23年頃の、反共主義の吉田茂と「封じ込め」のケナンの見解との一致に始まる(中西寛)といわれます。
27年1月22日、講和批准後の国会開会式で、天皇は
「平和条約については、すでに国会の承認を経て、批准を終り、効力の発生を待つばかりとなったことは、諸君とともに喜びに堪えません。…
わたくしは、全国民の諸君が、六年余の長きにわたり、わが国に寄せられた連合諸国の好意と援助に対する感謝の念を新たにしつつ、新日本建設の抱負と誇りをもって、今後の多くの困難を克服する不動の決意をさらに固めることを望むものであります。…」
E・バークによれば、
諸国家は文書や印章で結びつくのではない、「相似していること、符合していること、同感できることにより結びつくように導かれる。
それらは条約以上に力を持つ、精神に明記され義務である」と論じましたが、
その相似し、符合し、一致同感できるまでに至った「精神に明記された義務」によって、
自由主義陣営の一員として生きる日本側の「不動の決意」は導かれていったのではないでしょうか。











