
「自由と法の支配を守り抜く」―
ロシアのウクライナ侵攻や中国の覇権主義に対して岸田首相が使ったフレーズですが、
戦前・戦後を通して読まれた末弘厳太郎の『法学入門』(初刊は昭和9)によれば、
旧来の法学概論は「いたずらに著者の学識が羅列されるにすぎず」、「法律とは何ぞやとの根本問題についてしっかりした考えがない」と批判して次のように述べました。
普通、法律といえば国家や主権者の命令や指示と考えがちだが、それでは国際法や国際慣例はもちろん国内の裁判の判例も法律の中に入らない。
また慣習法すなわち社会一般の慣習によって法律たる力を持つ(不文の)規範も数多くある。
法例第二条(現行では、法の適用に関する通則法第三条)は、公序良俗に反しない慣習法は「法律ト同一ノ効力ヲ有ス」とし、
商法第一条は「本法ニ規定ナキモノハ…商慣習法ヲ適用シ商慣習法ナキトキハ民法ヲ適用ス」と、慣習法が国家法たる民法よりも「優待」されている。
このため、国家や主権者の命令や支持のみを基礎にして法律概念を決める考え方は成り立たない。
社会法や慣習法、判例法は国家法に先行し、優位する場合があり、国家主権はむしろ大小様々な社会の法や慣習に拘束され、社会の統制力の影響を受ける、と。
ハイエクもまた国家に先立つ「法」の概念が自由社会に不可欠と考えましたが、
いわゆる「人による政治ではない、法による支配」という概念は、ハイエクによればアリストテレスの言葉に遡ります。
アリストテレスは「法によってではなく、民衆が政治をおこなう」政府、「多数派によって決定され、法によっては決定されない」政府を次のように批判した。
「なぜかといえば、法こそがすべてに優先しなければならないのに、政府が法の制約下におかれないとすれば、自由の国は存在できない…
すべて権力を民衆の投票にだけあるものとし、これらの権力を民衆の投票に集中されるのは…民主主義であるとはいえない…
人々によって決定される命令は、その適用範囲において、一般的であることができないからである」
立法それ自体をも支配する「一般的法規」、「法に先立つ法」との古来の原則は、ハイエクによれば、英国では他国より維持されたがために、自由の近代的発展を各国の先頭に立って開始することができた。
また、多くの社会制度は人間行為の結果ではあるが、人間の思慮や計画の直接的成果ではないとする「自生的秩序」の原理として再発見された。
この無数の世代にわたる長期的な経験のおかげであり、僅か年数の事業で作られるものとは明らかに異質な「自生的秩序」を、一時の政権の企図や思惑から安易に改変できると考えるのは「完全に誤った推測」(ハイエク)といえます。
むしろ古来よりつづく「法の優越性」こそが、全体主義や覇権主義の体制に対抗して「自由と法の支配を守る」原理であると同時に、
本来ならば、それは近時の皇位継承論や夫婦別姓の議論においてもその根底にすえるべき基本原理であることは、もはや言うまでもないと思います。



