GWが始まった。今年は10連休の会社もあるそうで、毎日が日曜日?の私でも羨ましい感じがする。異常な円安をものともせずに海外に出掛ける人も多いそうで、勝ち組人種は、「我が世の春」を謳歌しているようにみえる。昨日の衆院補選の結果をどのように評価するか、円安と相まって、今我が国は大変な危機を迎えていると思わざるを得ない。現役を離れてもう数年、透明感を持って世の中を眺める心境も板に付いてきた。逆に言えば、今を生きてゆくのが精一杯の私が、どうあがいても世の中は変わらないと諦めている・・・?

 さて、この1ヶ月、色んな事があった。写真をベースに振り返りたい。
まず3月の下旬。私の77回目の誕生日が来た。「喜寿」を迎えたのだ。お祝いは何が良いかというので、県南だったプラネタリウムに連れて行ってもらった。八幡東区のスペースワールド跡地にできたスペースラボ内にプラネタリウムがあって、面白いと聞いていた。ソファーに座って天幕に写る星々は、その輝きと興味深いエピソード紹介などで面白かったのだが、暗いこともあって、後半の半分以上は寝てしまって残念だったが気持ち良い睡眠だった。

●スペースラボで展示されているアメリカのアポロ計画(スペースシャトル)。 この他、「月の石」や「シャトルのエンジン」も展示されていた。


●アポロ計画初期の頃の帰還船?


●3月27日 忠霊塔(平和公園)にて、桜の開花を確認した。昨年より7日遅れ。


●3月の下旬に収獲した夏みかん(ハッサクかも知れない) 今年はあまり酢っぱく無くて好評だった


●妻は週2,私は週1でデイケアに通っている。デイケアは和気清麻呂がイノシシに先導されて足の傷を治した湯川の地にあって、桜の名所としても有名なところにある。4月5日、満開の桜をバックにデイケアで妻と。


●翌6日、平和公園でアンちゃん家族とお弁当を持って夕方に花見。






●玄関の石柱にアゲハチョウのさなぎが居を構えていたが、4月7日に羽化した模様。残念ながら羽化の瞬間は見れなかった。



●夕方の花見で寒かったのが悪かったが大変な事態に。7日、日曜日だと思うが、朝から身体がだるくて頭も冴えない。熱っぽいので体温測ると37.5℃。疲れが出たのかも知れないと早めに寝たのだが。熱は38.5℃まで上がっていた。これを聞きつけた次女が夜分にかかわらず駆けつけてきてくれた。翌朝一番に掛かりつけ医で診察した結果、新型コロナの陽性反応を検出。五日間の自宅籠もりを指示された。2回目の感染だった。そして、またしても妻も発熱。夫婦で罹ってしまった。ただ私は薬のおかげか、1日で熱が引き、妻も3日で快復した。またまた入院にならなくて良かった。 しかし、2度の感染の原因は私。どこで誰からもらったのか、分からない。3度目は許して欲しい。

●4月13日 ご近所で藤の花が咲いているのを見かけた。その他にもハナミズキやツツジなども咲いていて、まさに春爛漫。


●GWの初日、27日の土曜日、妻を乗せて車を運転して中間市の義姉宅へ。およそ1年ぶりだ。仲が良い姉妹で、お互いに涙、を流して喜んだ。
この時期にはスイカは東京に全て出荷しているという熊本スイカを手に入れたと、スイカをご馳走になった。甘くて旨かった


●28日、奏汰君が枇杷の袋掛けの応援に来てくれた。体力が低下してしんどくなる作業なので応援は嬉しい。間引きの仕方、袋の掛け方などを教えてスタート。やはり作業は早い。今年の出来はどうなんだろうな、と楽しみだ。QW中に、袋掛けを終えなければ。




今月はアップテーマがたくさんあったのに、深掘りできず、残念だった。来月は月2を目標にアップしたい。


 今日は春分の日、今日から半年間は昼の方が長い。光を浴びる時間が長いと活動的な気分になるから嬉しい。
 
 病院通いや家事に追われる毎日ではあるが、彼岸入した日曜日、ホームセンターに行って木片と釘、ねじを買ってきた。木片は15t×600L×200wサイズが1枚と90幅の長尺ものを200幅に切断してもらったものが4枚。この小さい板は2枚重ねて足として長い板にねじと釘で取付けた。何かというと洗面所においている洗濯機の排水ホースが邪魔で貴重な場所を取っているので、ホースの上に板を通して、物置スペースを確保したのだ。要するに物置台だ。前々から考えてはいたのだが、なかなか実行する気分にならなかった。それが家事をするようになって、収納スペースが大事であるかが体得出来たのだった。
 
 ただ、この工作、単に釘を打ち、ドリルで穴を開けてねじをドリルで打ち込むだけなのに、腰は痛くなるし、足は曲がらないし、思ったより作業はきつかった。10年くらい前は蝶の展翅板を10セットくらい簡単に作っていたのに。日頃使わない筋肉がいかに衰えているか、よく分かった。


 今日は全国的に風が強く寒気が舞い降りているらしいが、小倉でも墓参りに出掛けたときにみぞれが降った。その時間は短かったが、傘を持ってなかったのと強風で寒かったのもあって、妻のネフローゼ完治を報告し、見守ってくれたお礼を申し上げて帰ったのだった。(前回記事で、妻のネフローゼが奇跡的に治っていると言われ手喜んだが、いまいち不安なところもあったのだが、今月11日の診断の結果、先生から「完治している」とお墨付きを頂いた)

 我が家の墓は公営墓地の中腹にあって、駐車場から墓まで20度以上の急斜面を100mほど登らねばならない。妻は、食欲も戻り体力も戻りつつあって、最初は登れるか危惧していたが何とか無事に墓まで行けた。私の方が足腰に問題がありそうな感じだった。でも、春分の日にみぞれとは! コブシはすでに咲きおわり、水仙も咲き誇っているのに。

 2週間前の隣家のコブシ、


 1週間前、夏みかんの下でひっそり咲いていた水仙


 今年の大河、平安時代の物語。この時代の著名な英雄、豪傑をしらないので、平安時代を良く理解していない。紫式部の生涯のようだが、時代背景を良く理解していないからストーリーと登場人物の関係がよく分からないところがある。道長と紫式部の恋はストーリーだと思うのだが、実はどうなのか、生きていた時代はどの程度かぶっているのか、など疑問点も多々ある。今後の展開もよく分からないのも気掛かりではあるが、平安時代の愛憎劇をどのように創作したかは非常に興味があるところだ。先日は清少納言も出てきた。彼女の切れの良い良質な歌詞のような文は実に味わいがある、春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝など、実に季節を的確に捉えていると感じる。紫式部の今後のストーリー展開を期待している。

 我が家の夏ミカン。収獲時期ですが、食べる気がしないので。

 
 去年作った金柑酒が旨かったので今年も金柑酒を作りました。夏みかんからは何が出来るのだろうか


 遅れましたが前記事の続きを。
 ネフローゼ症候群の治療として利尿剤を飲んでいる妻は、食べたくないと言って栄養飲料だけの時が多かったため。みるみるうちにやせ細ってしまい、体重も10キロ以上おちてしまった。水も足りてなかったようで脱水状態となり、掛かりつけ医からすぐさま総合病院に入院させよ、との指示があって、その日のうちに入院することになった、1月20日の土曜日のことだった。これで4回目の入院となった。

 総合病院では内科病棟に入れられたのだが、点滴はもちろんのこと、食べないのならば無理矢理にでもと鼻からチューブを通して流動食を食べさせる荒療治が実施された。この結果、妻は食事の摂取量も増え、日毎に快復し、2月1日に退院することになった。

 退院後、ネフローゼの専門医検査してもらったところ、なんと奇跡的にネフローゼの症候が消えているという。ようするに,治った?! 私たちは先生からそれを聞いて大喜び、まさに奇跡ではないかと。良かった、本当に、良かった! 

 とは言っても、3ヶ月以上もほぼ寝たきりの生活をしていたので、足腰の衰えはひどく、歩くのが精一杯。リハビリに精を出さねばならない。妻は週2回のデイケア、私は要支援1の査定だから週1回のデイケアでリハビリを頑張らなくてはならない。だから週に1回は夫婦でデイケア、妻はその他に週1回一人でデイケアとなっている。

 最近の妻は食事も殆ど完食だし、おやつやコーヒーも欲しがるようになってきた。ただ、利尿剤を飲んでいないので、足の浮腫(むくれ)は結構あって、次回の検査まで浮腫に耐えきれるかどうかが心配ではある。眼は依然として視力がなく、細々とした作業は出来ない。それでも食事後の食器洗いと洗濯物たたみをしてくれるので大いに助かってる。認知症も進行が泊まっているような感じがして嬉しい。厳しい冬を乗り切った感がする。

先週、天気が良かったので妙見宮にネフローゼ治癒のお礼を妻と二人で出かけた。
妙見宮の麓にある平和公園、忠霊塔の梅林。もう盛りを過ぎていた


妻の治癒をお願いした氏神様、足立山妙見宮