立秋を過ぎたのに連日猛暑日が続いている。小倉ではもう3週間は雨が降っていない。朝から身体に纏わり付くような熱気を感じる。朝湯に植木やミ二歳園に水遣りをするが、汗が出るのでシャワーを浴びてさっぱりして夕食の準備をすることが常になっている。

  さて、この夏のテーマは三つあった。「我が家の墓」、「孫達の頑張り」と「スイカ」だ。

  墓問題だが墓自体は分家した父が生前に建立し、父の没後に私が立て替えた。墓自体に物理的な問題はないのだが、私たち夫婦には引き継ぐ男児がいない。弟たちがいるが、それも女系であって、管理できる後継者がいないのだ。墓と仏壇は元気なうちに何とかしておかないと娘たちの負担になるので。何とかしようと6月末に兄弟寄りして、各分家として永代供養を考えることになって、その方向で順調に
進んでいる。

  次に孫達だが、和君と奏汰君、共に高3。来年は大学か社会人だ。和君は進学するとして、部活のサッカーは7月で退部となり、夏休みは講習会や模試で忙しい。希望は九大医学部と言っていたが、最近は京大経済系になっているという。理由は?といえば、生体解剖?がいやといってるらしい。それに何故か英語と国語の成績が良いようだ。

 奏汰君は人好きの性格を生かして将来は保育士になりたいので、その関連の専門学校に行きたいと決心して、夏休みのこの期間に目標や考え方を記した作文を書かなければならないと,学校の先生に相談して進めているという。(書いていて思い出したが「めぞん一刻」ではないだろうか? 響子さんはいないだろうが)
 
  啄チャン、中3で来年は高校受験。野球部のキャプテンとして頑張っている。やはり7月で退部して受験に備えるとされているが、実際は夏休み期間は後輩のコーチとして部の練習に顔を出しているようだ。その啄チャン、最後の公式大会で見事に優勝した。小倉北区軟式野球大会だ。私も応援に行ったが、ピッチャーとしてバッターとしてキャプテンとして大活躍。嬉しかった。優勝決定戦の相手は私の母校A中学だったが、なんとそのピッチャーは女の子。男兒と堂々と渡り合っていたのには感心した。
ただ、その1週間後、北九州市の軟式野球大会では1回戦で負けてしまった。啄チャンがピッチャーだったのだが、80球?の球数制限のために,ピッチャー交代した結果打たれたそうだ。残念だった。サァ、来年受験する高校は? いくつかの高校から誘いが掛かっているとの噂もあるが・・・。

小倉北区中学校軟式野球大会優勝 記念写真


  最後に紅一点、杏莉ちゃん。あっという間にもう小4になった。毎日、ピアノに塾にバレェと忙しい。今年もこの時期はピティナ。6,7月は地方予選、本選があるので練習に明け暮れる。個人のソロと連弾の2部門にエントリーしている。二年前の小2の時はソロ、連弾の両方共に東京の大会に選出され、連弾では銀賞、ソロではベスト16に入ったのだが、今年はそれ以上を目指して頑張っている。ピアノに対する杏ちゃんの集中度はこれはもう大したもので2時間程度は休みなく弾き続ける。だから素人の私が聴いても上達の程度が分かるように、音が滑らかに涼しげに、そして重厚に聞こえだす。

 そして、今日パパママと三人で東京に飛び立った。明日のピティナコンペティションに向けて。残念ながら連弾はわずかな差で敗れたが、ソロは本選一位の肩書きを持って。北九州地区百数十人の代表だ。杏チャンが出場するBクラスは最も出場人数が多いクラスで10組に分かれているらしい。杏ちゃんは3組目の一番に演奏すると聞いたが、上がることなく頑張って欲しい。

 次回、好結果を報告できることを期待したい!

三番目のテーマ、「スイカ」は次回にアップします。

 北九州地方は線状降水帯に見舞われたそうで、昨日から断続的に雨が降り続いているが、今は空が明るくなって、小糠雨程度になっている。前の川は土手の半分近くまで水かさが増え、ゴウゴウと茶色の濁流となっており、よく観察していると時折枯れ枝や草なども混じっている。この川の下流には地下に調整用の池が作られているので、水害の心配は無いと思うが、やはり水害は怖い。高齢者は避難せよと携帯に連絡が入るが、もうそれも慣れた感じで、半ば無視している。地形的に山崩れの心配は無いし、せいぜい床下浸水くらいのものだ。

 先週、数年ぶりに兄弟寄りを催した。新型コロナのために兄弟旅行を中止していたのだ。私は五人兄弟の長男であるが、夫婦で健康に黄信号がともり始めたので、墓をどうするか、兄弟で意見を纏めたかったのだ。午後に我が家に集合し、墓問題の意見を述べ合って纏めた後に、スーパーで買ったにぎり寿司を食べながら宴会。昔はビールの他に日本酒二本くらいだったのだが、皆年老いたか、日本酒半分、焼酎少々程度だった。

数年ぶりに五人兄弟が集まって記念撮影


 宴会の後は麻雀。実に30年ぶりくらいだろう。私は足が自在に動かなくて、座れないので椅子を持ってきた。牌を並べるにも手先が不自由で、もう麻雀は電動式じゃないと駄目だと自覚した。それでも弟たちの手助けもあって、ハンチャンした。開始早々に3男が「メンタンピン サンシキ ドラ3」の倍満をツモ上がりしたのだが、私は粘ってオーラスの「ピンフー ドラ3」の満願を上がって最後にトップを逆転。昔のように勝負強さを発揮したのだった。弟達が兄を立てたのだと言うが、それは違うと思う、やはり経験の差はおおきい!

 麻雀は四人しかできないので、次は5人全員で遊べるトランプでのオイチョカブ。花札はあるが、トランプの方が計算が瞬時でできるので簡単だ。オイチョだのカブだの、ワァワァ騒いで午後8時に終了した。結果は麻雀と合わせて私(長男)と次男が勝ち、負けは3男と5男。まるっきり30年前と同じ構成。年を経ても習性は変わらないようだ、それにしても楽しい時間だった。五人とも還暦を過ぎ町内会などの役職はあるものの悠々自適の生活を送っている。それぞれ苦労は背負ってはいるのだろうが、
幸せに暮らしている。それが嬉しい。

 最後に今年は秋に是非とも兄弟旅行を復活しようと約束して散会した。(一人は山口県なので家に泊まった)

昨日のスイカミニ畑。ソフトボール大が2個、ピンポン玉大が2個ほど隠れている。花合わせの肝心な時に天気が悪くてめしべが無駄になったのが多かった。






 この1週間、小倉は天気が良く毎日が夏日、時に真夏日の暑い日が続いた。妻はすっかり元気になって体力的には問題無いけれども、緑内障が悪化してほとんど視力を失ったため家事は無理なので、私は主夫業を専門として家事を私なりにこなしている、ただ、娘からはまだまだ不十分だと言われているが、まぁそれなりに暮らしていければと聞き流している。
 パーキンソンは確実に進行しているような感じで、身体全体の動きがぎこちなく、動作も遅い。だから何をするにも時間が掛かるので、自分の時間が取れないのが悩みだ。そんな中、今年も近所の私と同世代の植木職人さんからスイカを植えましょうかと提案があったので、喜んでお願いすることにした。5月の始め、GWの期間中のことだ。ある朝、朝食を食べ始めた8時、チャイムが鳴って出ると、植木屋さんが、「スイカを植え終えたので毎朝夕に水を遣ってくれ」という。苗は接ぎ木苗で3株、去年と同じように道沿いの畝に植えられていた。スイカは連作は駄目と聞いていたが、接ぎ木苗なので、まぁ問題無いだろうと水遣りを欠かさず10日ほど経過したのだが、連作の弊害?かもしれない葉が開かない現象が発生した、3株のうち、1株が全部の葉がアウト、1株は半分だけがアウト、1株は正常だった。
 調べると、土中の窒素成分が多すぎるとその様な状況になるらしい。対策は無く、植え替えするか、毎日水を遣って奇跡的に治るのを待つかしかないようだ。
私はその日のうちにホームセンターに走ってスイカ苗を購入しようとしたが、もう販売時期は過ぎていて在庫はゼロ。仕方ないので種を買ってきて種から育てることにした。この天気だ、なんとかなるだろうと。3日で芽が出て、今月末に植え付けられれば1ヶ月遅れで成るだろうという目算だったのだが、3日経っても、4日経っても、芽が出ない! これは大変だと再度別のホームセンターへ。すると運良く売れ残っていたスイカ苗があった、それを3株と花と野菜の土を一袋買い、畝の土を入れ替えた。これでスイカの株はだめと判断した1株を取り除き、残った2株+新3株の5株となった。半分アウトだったものも土の入れ直しなどで、すっかり完治したので良かった。それにしても、この忙しい中で、スイカ騒動。順調に育ってほしい!

子蔓が伸び始めた最初のスイカ苗と植え付けたばかりのスイカ苗


枇杷の収穫期? 例年6月1週目に収獲している枇杷、そろそろ収獲です、でも今年は剪定したので数が少ない。



 大の里、よくやった! 昨日の相撲、勝った瞬間、見ていた父親が涙を流していたが、私も思わず涙が出た。やっと、日本人の強い関取が出てきた!と。
 相撲界はモンゴル勢が席巻していて、面白くなかったのだ、尊富士に続いて若手の台頭にほっとした心境だ。横綱、大関が不甲斐ないと思える相撲界に新風を吹かせてくれる。大谷翔平のような「気は優しくて、力持ち」の雰囲気があって、非常に好感が持てる。来場所が楽しみだ、全勝優勝するかも!