うつらうつらといつの間にかソファーで眠っていた私、身体が重く感じて目を覚ました。掛布団が掛けられていた。無理してでも歩かないと足腰が駄目になると、2時間かけて忠霊塔まで散歩して帰ったのだが、さすがに疲れ果てていたのだ。横を見ると妻が目をつぶってTVのS40年代フォークソングを口ずさんでいる。視力が0.1にも満たない妻はTVの音に合わせてリズムを刻んでいた。2か月近く散髪してない髪は茶褐色に染めていたはずだが、銀髪が覗き見える。日頃は若く見える妻だが、無防備でラフな姿は年相応に老けてみえた。

 

 眼が不自由な妻だが、私が疲れ果てて寝たのを見て3Fから布団をおろしたのだろう。迷惑をかけた。無心に無邪気に身体でリズムを合わせている姿を見て、私は思わず涙がでた。「この妻を私は守り切れるだろうか?」

 

 妻は3年前にネフローゼ症候群に罹り、生死の淵を彷徨ったのだが、視力の喪失と引き替えに命を長らえた。この時は私はまだまだ動ける状態だったから良かったのだが、最近は歩くのさえ不自由で、転ぶことも多い。いずれ車椅子になると思う。その時に、障害者で初期認知症の妻はどうなるのか、心配でたまらない。

 

 今は妻と私、二人で1人前の生活だ。着替えからトイレまで妻の手を借りているし、私の役目は家事采配、なんとか生活しているのが実情で、これ以上私の病気が進行すると・・・考えたくもない。恐ろしい。

 

 若いころから妻に家庭を任せきりにしていた私、その借りを返すことができない。と思うと思わず眼がしらが熱くなった。

 

 

3月27日、私の79回目の誕生日だった。デイケアや孫たちからお祝いが。

 

 

我が家のミニ菜園、雑草が蔓延るのでシートを張り、芝生を植え付けた。

もちろんスイカ用の畝は準備している。

 

 

 

 神戸、2日目。ホテルの窓から六甲の山並み、眼下には生田神社の赤い建物が見えた。天気は晴れで暖かそうだった。いつものように7時過ぎまで寝ていたのだが、8時前に娘達が朝食はバイキングだよと起こしに来た。バイキングなら、少しでも早いほうが良いだろうと。日頃食べ慣れないと細かくなるのが自分でも恥ずかしい。

 

ホテル11Fからの六甲の山並み

 

朝食、バイキングで三千円。元は取れてない!

 

すぐ隣が生田神社。無事な旅行を祈願した

 

 次女が、神様にお願いするにはちゃんと住所、氏名を名乗り出なくては、神様も判らないよ、と言いだしたが、私はもう祈願済みだったので、 神様は偉いから覚えてくれるよ、と勝手な判断を。結局、神様への願いは通じて旅は無事に終えました。

 

 生田神社の参拝を終え、次は異人館に行くことにした。朝食を食べ過ぎたので中華街は遠慮したかった。5人なので二組に分かれてタクシーで、北野の異人館街へ。私の乗ったタクシーは中国人女性のドライバーで1500円、娘達の車は1000円だった。何故こんなに違う?

 

 六甲の麓、北野に異人館は点在しており、私たちは英国館と、洋風長屋、トリックアート館を巡った。

 

英国館ではシャーロック・ホームズに変身、ディテクティブを楽しんだ。

ケンロック・ホームズとベーカー街少女探偵団

 

犯行現場を調査・観察するケンロック・ホームズ

 

ベーカー街221B

 

犯人追及の推理をするケンロック・ホームズ

 

トリックアート館では色んな剥製と世界の蝶などが展示されていた。

 

 

異人館を見学した後、ちょっと休憩。

 

 

異人館街から新幹線新神戸駅はすぐ近く、帰りの電車の時刻に合わせて、歩いて新神戸駅に。

 

帰りの新幹線は遅れもなく、快適に2時間過ごして小倉に到着。婿殿の迎えの車に乗って神戸旅行は無事に終えました。

 

 

 

リタイアしてからもう8年近くになる。最近は昔の頃、特に学生時代や勤務初期の時代を思い起こすことが多くなった。それと円熟期というか仕事に趣味に大いに励んでいた頃も。その中でも特にお世話になった親会社のO先輩を。入社した時の新人研修から技術職での技術研修、そして海外出張での手配りや親切な対応、我が社に役員として出向して頂いた期間の指導や私的交流などなど、多岐に渡ってお世話になった人で、挫けそうになった時、何度励ましてくださったことか。私が無事にと言うか、大きなミスも無く業務を遂行、卒業できたのも、O先輩の賜物だと思っている。

 

 今年の正月、我が身の将来を考えたときに、このままではOさんとはもう逢えないと思い至った。それでは、私はO先輩に申し訳ない、是非にとも逢って感謝の気持を伝えておかなければ、と。それで暖かくなった三月に逢いに行くと連絡をとった。

 

 Oさんは芦屋に住んでいる。新幹線で新神戸だ。電車に乗れば簡単に着くが、私の現状から言えば、「一人では行けない、介助が必要だ。」介助役に娘が行くとして妻はどうする? 一人では置けない、だったら一緒に連れて行く? それには娘がもう一人必要だ。杏ちゃんは留守番で良いだろう。・・・・何だって! 杏ちゃんの小学校は卒業式で休み? だったら、杏ちゃんも連れて行こう。ということで私、妻、娘二人、孫一人の5人の大所帯の遠征となった。旅行の趣旨が私事なので当然費用は全て私持ち・・・娘達が喜んでお供するわけだ。

 

 3月13日、金曜日。新幹線搭乗口に1時間前に着いた私たち、新幹線に遅れが出ていることを知った。架線に異物が絡まっているらしい、小倉駅で。結局、このおかげで私たちが乗るはずだった4人席のミズホは運休、臨時のノゾミに2時間遅れで、ぎっしり満員立ち席で旅立つことになった。

 

小倉駅新幹線構内は人で溢れかえっていた。

 

それでも新神戸には5時前に着き、待ち合わせの酒心館に向かった。

Oさんは既に来ており、10年ぶりの再会と元気な姿を見て思わず涙が出てしまった。長身ですらっとした風貌は何故か人を安心させてくださる。私とは4歳違いだが、一回りも違うような貫禄は従来通りだった。

 

ノーベル賞晩餐会で出された日本酒「福寿」の樽の中で。

 

酒心館の販売所

 

懐石料理で福寿を味わった。Oさんとの話は娘達も興味を持ったようで大いに盛り上がって、神戸の夜は更けていった。