ご無沙汰しております。

前回のエントリ で、grove-kijimadairaさんから、「できる状況づくり」が大切ですねというコメントを頂戴しておりました(ありがとうございます)。
とても良いコメントをいただいて、アンサーのエントリを書こうと思いながら、時間が経ってしまいました。
うーん自己管理、時間管理がなってません。


前回のエントリでは「これからの話をしましょう」ということを書きました。
まだ読んでない人は読んでみてくださいね。
で、じゃあ、そのためにはどうするのか?っていうと、grove-kijimadairaさんがおっしゃるように、「できる状況づくり」というのは外せないわけですよね。
でもってそれは、いわゆる「三項随伴性」による表現にほかならないと。

  SD ・・・ R ・・・ RFT

これは、行動分析学が「行動」というものを考えるときに、基本とする枠組みです。
わかりやすくいえば「どんなときに(先行条件)」「何をして(反応・行動)」「どうなった(結果)」というものを書いたものです。
僕は「きっかけ・・・行動・・・結果」という風に説明することが多いでしょうか。
この三項を基本の枠組みとして、考えていきます。

で、うっかりすると、この中の「行動」だけに知らず知らずのうちにフォーカスしちゃったりするんですけど、そうじゃなくって、あくまでも「どんな状況・条件で、どんな行動が起こって、どんな結果が生まれているのか?」という、「行動と環境との相互作用を見る」ための枠組みなんですよね。
あえて「行動が起こって」「結果が生まれて」と書いてますけど、こういうスタンスも大事だと思うんです。
「行動を」「している」という捉え方だと、これまたうっかりすると「どうしてそんなことをしたの」と、イヌがわざとやっちゃってるという風に考えてしまったり。
でもそうじゃなくて「これこれこういう条件のときに、このような行動が起こって、こんな結果が生まれている」と捉えることで、「どうしてそんなことをしたの」ではなく、「どうしたらそんな行動が起こらないようにできるか」みたいに、ちょっと考え方をシフトできるかもしれない。
でもって、そのようにシフトできると「じゃあ、どうしましょうね」と、「具体的に」考えることができる。
その「具体的に」というのは、「じゃあ、この条件を変えてみよう」とか、「じゃあ、この結果の部分を変えてみよう」とか、そういうところ。

そして、「三項随伴性」っていうのは、ただ「こんなきっかけで、こんな行動をしてて、こんなことになってますという、一連の行動の流れを記述」しているだけではなく、実は「この行動は、この条件があればできる」という表現なんですよね。

以上を合わせることで「できる状況づくり」というのが、「具体的に」できるようになるんだろうなと、そういうお話でした。



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「これからの話をしましょう」

僕が飼い主さんからご相談を受けたとき、結構言うことが多い言葉です。

色んな飼い主さんからご相談を受けていると、結構な割合で「子犬の頃からしつけをしてなかったから」とか、「あのときに、ちゃんと私が対応しておけば」とか、「もっと早く相談しておけば」とか、そういう言葉を聞いたりします。
そのときに、僕は言うわけです。

「これからの話をしましょう」

これは別に、「済んだことにくよくよせずに、前向きに頑張っていきましょうね」という意味だけで言っているわけではありません。

行動分析学が考える(受け入れると言ってもいいかもしれない)「行動の原因の説明」は、以下の3つがあります。

 「遺伝的要因による説明」
 「これまでの学習による説明」
 「現在の環境との関係による説明」

「遺伝的要因による説明」というのは、たとえば私たち人間は、二足歩行というものができるわけですが、それはそのように進化してきたからというのは、確かに大きな要因としてあるわけです。
魚に二足歩行は無理ですしね(そもそも足がないし)。
カエルの舌が長いのも、そういった遺伝子を持ち、そのように進化してきたからです。
つまり、親、祖父母、先祖代々から脈々と続くものが、「今の行動に影響を与える」わけです。
このあたり、どうも「行動分析学は、生物学的、遺伝的、進化的な要因を無視している」と考えている人もいそうですが、そんなことはないんですね。

「これまでの学習による説明」というのは、たとえばあなたがAというラーメン屋には行くのに、Bというラーメン屋には行かないのは、過去にAというラーメン屋で食べたラーメンがおいしくて、Bというラーメン屋で食べたラーメンはまずかったからということが、影響しているかもしれません。
あるいは、新しく付き合い始めた女性に花をプレゼントするのは、過去に違う女性にお花をプレゼントしたら、とても喜んでもらったからということが影響しているかもしれません。
このように、私たちの「今の行動」に、「過去の学習」が影響を与えていることは間違いありません。

「現在の環境との関係による説明」というのは、夜にあなたが部屋の電気のスイッチを入れるのは、そのままでは暗くて何も見えないからです。
冬場にTシャツ一枚だけではなく、ダウンジャケットを着るのは、Tシャツ一枚だけでは寒いからです。
でも、暖房のきいた部屋に入ってダウンジャケットを脱ぐのは、そのままでは暑いからです。
「現在の環境との関係」によっても、私たちの行動は大きく変わります。

さて、大きく分けて3つの要因について書きましたが、この中でもっとも重視するのは最後の「現在の環境との関係による説明」です。
特に、いわゆる「行動の問題」と向き合うためには。

たとえば、イヌという動物は吠えます。
ですが、だからと言って「吠えるのはなぜか?そりゃあ、イヌだからでしょ。そういう風に進化してきた生き物だし、そういえばこの子の親も、その親も、そのまた親も、よく吠えるイヌだった。遺伝だね」と言われたら、それはまあ確かにそうなんだろうけどさ、ってなりますよね。
話がそこで終わってしまいます。
あるいは、「過去に、吠えることで何か良い経験をしたんでしょう。だから吠えるんですよ」だけで終わってしまうのも、はてさてどうしたもんだろうとなっちゃいます。
そりゃまあそうなんだろうけれども、もうちょっと、ほら、あるでしょうってなりますよね。
これもまた、話がそこで終わってしまいます。

話をそこで終わらせないためには、「今、ここ」の話をする必要があります。

 「このイヌが吠えるのは、確かに遺伝的な要因も絡んでいるだろうし、
  過去にそういった学習をしてきたんだろうというのもあるでしょう。
  でも、『今、ここで』吠えているのは、『今、ここに』吠えることで
  得られるメリットが存在しているからです」


これが、行動分析学が持つ、ある種独特な行動観です。

「今、ここ」に、「その行動を維持する何かが存在している」と考える。
つまり、「今のこの環境は、その行動を成立させる条件がそろっている」と考えるわけです。

そして、このように考えることで、私たちは「行動の問題」と向き合いやすくなります。
もっと言えば「勇気づけられる」わけです。

イヌだから、○○という犬種だから、過去の飼育環境がアレだったから、これまでの散歩の仕方がまずかったから…そういったところに「行動の原因」を持っていくのではなくて、「今、ここ」のことを考える。
すると、「ひょっとしたら、何か工夫すれば何とかなるかもしれない」「今、確かに問題は起こっているけれども、それはたまたまそういう問題が起きる条件が揃っているだけで、問題が起きない条件がきっとあるはずだ」と、前向きに考えることができます。

だから、「これからの話をしましょう」なわけです。


 これまで、色々あったんだろうと思います。
 
 これから、色々あるだろうと思います。

 でも常に、考えることは「今」と、「これから」です。

 行動分析学は、「今」と「未来」の学問です。


とかって言うと、きれいにまとめようとしてすべってる感ありありですねー。

まー、4月に「脱トレーナー宣言」かましてですね、相変わらず「あー、あたしって何者なのかしらー」という感じで(正の強化師は相変わらず不評)、前回のエントリも「なるほどと思いましたー」といったとてもありがたいお言葉から、「言いたいことはわかるし、まあきっとそうなんだろうけど、で?どうすんの?」と「なんか大丈夫?ちょっとダメっぽくね?」っていうのを言外に含んだありがたいお言葉から、「なんか意味わからんこと書いてはるわーって思いながら読みました(笑)」というどストレートなありがたいお言葉まで頂戴して、本当にありがたいことです。
そんなわけで、「これからの話をしましょう」と、自分に言い聞かせながら「サンデル教授のパクリじゃねーかって突っ込みくるかなー」とか思いつつ、このエントリを書いてます。
これから、僕はどうなっちゃうんだろうと、わくわくしつつ、不安もありつつ。

まあ、僕は常に、飼い主さんとわんこの、「今」と「これから」を、サポートしていきたいと、そう思うわけです。

「これからの話をしましょう」

あなたと、あなたのわんこの、これからの話をしましょう。
はいどうも4月1日のエントリが少し波乱を呼んでしまったTaKaYaMaです。

「ドッグトレーナーを辞めるってどういうことですか?」的なメールや電話やをいくつか頂戴して、慌てて携帯でエントリを更新しました。
僕の思惑としてはですね、「ドッグトレーナー辞めます」というエントリを書いて、「はいはいえいぷりるふーるえいぷりるふーる」って軽~くスルーされて、「いや、本当に辞めるんですよ」っていう二段構えだったんですけれども。

あ。
本当に辞めますドッグトレーナー。
このブログのタイトルも「ドッグトレーナー、大学へ行く」から、「イヌの言い分、ヒトの都合。元ドッグトレーナー、大学へ行く」に変わってますでしょでしょ?

そんなわけで、辞め辞め詐欺の真相と、「やっててよかった行動分析」の最終回をあわせてどうぞ。
今日のこのエントリは、行動分析学に出会わなかったら、絶対に出てこなかったものだと思うので。


「あたし、ドッグトレーナー辞めようかしら」

このことは、実はここ2年ぐらいずーっと考えてたことではあるんです。

 「自分の仕事」
 「自分がやりたいこと」
 「自分のやるべきこと」

この辺をぼんやりと考えていて、去年の秋頃から特に考えるようになりまして。
年明けて、多分2月頃には結論を出してました。

僕の仕事ってなんだろうと。
「ドッグトレーニング」「ドッグトレーナー」なのかと。
ここのところで、結構引っ掛かりながら日々を過ごしてたんですよね。
考えながら過ごすうちに「もう、ドッグトレーナーじゃないかもなぁ」と思い始めたんですね。

そもそも、飼い主さんが求めてるものって、なんだろうと。
「しつけ」とか「トレーニング」とか、そういうものなんだろうかと。
きっと「愛犬との楽しい暮らし」なんだろうと思うんですよね。
「トレーニングをしたくて、イヌを飼い始めた」って人も、まあ中にはいらっしゃるとは思いますが、そんなに多くはないでしょう。
ほとんどの方は「イヌと一緒に暮らしたら楽しいかも」って思って、イヌを飼うんだと思うんですね。

じゃあ、誰かと一緒に暮らし始めるときに、もっとも大事なのは何かというと、それはきっと「コミュニケーション」だと思うんですね。
「意思の疎通」とか。まあ、そういうの。
でも、イヌはあくまで「イヌ」ですから、言葉が通じません(中には「通じる」って人もいるかもしれませんが)。
そうなると、なかなかこの「意思の疎通」「コミュニケーション」ってのが、やっぱりちょっと難しくなっちゃうこともあると思うんです。

イヌと日々生活をしていると「なんで?」っていうことが結構あったりします。

 「なんで吠えるの?」
 「なんで噛むの?」
 「なんで暴れるの?」
 「なにか気に入らないの?」
 「なにが楽しいの?」

こういうのが、いまひとつよくわかんないってことが、結構ある。
イヌは本当に色んな行動をするわけでして。
それぞれの行動には、必ず意味というか、理由というか、目的がある。
たとえば「無駄吠え」なんて言われたりすることもありますけど、イヌにとっちゃ無駄でもなんでもないわけです。
ちゃあんとした理由や目的があって、イヌは吠えてるんです。
しかし、飼い主さんにとってはこれ「無駄」だったりするわけです。

イヌにはイヌの「言い分」ってものがある。
それはわかる。それはきっとそうだろう。
じゃあどんな「言い分」があって、それをやってるのか?
そこが、よくわからない。
そして、ヒトにはヒトの「都合」ってものがある。
ところが、そんな「都合」は、イヌはわかんないし、知らない。
たとえば、なんでか知らないけど吠えてると。
何かしらの理由があって、きっと吠えてるんだろう。
でも、ずーっと吠えられるというのは困る。
一緒に暮らしていく上で、それではちょっと楽しく暮らせない。
こういうギャップというか、齟齬というか、そういうものが「しつけの問題」とか「問題行動の悩み」みたいなものとして、表面化してくるんだろうと。


「イヌにはイヌの言い分があって、ヒトにはヒトの都合がある」


で、これって結局は「コミュニケーションの問題」だと思うんですね。
双方の言い分と都合が、うまくかみ合わない。
それぞれ相手に伝えたいこと、伝わって欲しいことがある。
でも、いかんせんそこが伝わらない。

じゃあ、どうやって伝えるのか?
何で繋がるのか?

「コミュニケーション」っていうのは、「お互いのやり取りの結果、成立するもの」なんです。
どちらか一方だけが努力して、頑張ってってのは、コミュニケーションっていうのとは違いますよね。
ヒトだけが努力するのでもなく、イヌに努力させるのでもなく、お互いのやり取り、歩み寄りみたいなのが必要だろうと。
でも、やっぱり「違う生き物」ですから、どうやってやり取りすればいいのか、歩み寄ればいいのか、わかんない人も多いと思うんですよね。
イヌも、うまくわかってなかったりね。

そして、僕がやってる「行動分析学」っていうのは、その「言い分」ってものを、行動を通してちゃんと理解しようって学問でもあるんです。
「ちゃんと」っていうのは、「科学的に」ってことね。
一方の勝手な思い込みとか、勝手な解釈じゃなくてね。
「行動を通して」ですから、イヌだろうとヒトだろうと関係ないわけです。
つまり、私たち人間と、イヌという動物は「行動を通して」繋がってるわけです。


「ヒトとイヌを繋ぐのは、行動だ」


そういったイヌとヒトとの、「行動を通したコミュニケーション」「繋がり」「やり取り」「関係」ってのを支える、サポートするのが、僕の仕事なんだよなと。

そこから考えるとですね、なんか「トレーニング」ってね、「イヌを訓練して変えちゃうんだぜべいべ」的な空気というか、雰囲気を感じちゃうんですよね。
いや、人によってここのイメージは違うと思います。
でも、僕はそう感じちゃったんですね。
なんかね、「しつけ」とか「トレーニング」とかが持つイメージというか。
同時に、「飼い主のトレーニング」ってのも、なんか違うんですよね。
なんかね。
「トレーニング」とか「行動を変える」とか、そんなんじゃなくて。
もっとこう、根本的であり、同時にそういったものの先にあるものを、いかにお伝えしていくかっていう。
そこが仕事だろうと。
これはもう、はじめて立命館で講義を受けたときに聞いた言葉から、大きく影響を受けてます。

 「行動を変えるってことに関しては、行動分析学は行きついちゃってるんだ。
  だから、行動を変えるだけで、満足しちゃいけないんだ。
  その先を、我々は考えていかなきゃいけないんだよ」

僕が衝撃を受けた言葉です。
ビビビって電流が走りました。
そのときは、「行動を変えるってことに関しては、行動分析学は行きついちゃってる」こっちに強く引っ掛かったんですよね。
「やった!これでどんな問題行動もなおせるトレーナーになれるぞ」って。
実際、「どうやったらなおるのかなぁ?」なんてところで、悩むことはほとんどなくなりました。

でも、それでいいのかいと。
「問題行動をなおす」それだけで満足なのかいと。
この2年ぐらいは「行動を変えるその先」ってのが、割と重ーく僕の中にありました。
そこでようやく見えてきたのが、「コミュニケーション」でした。


 「トレーニングじゃなくて、コミュニケーション」



こんなことを考えながら、多くの飼い主さんと接してると、あることが見えてきました。
それは「飼い主さんは、イヌの行動の理由を知りたいんだ」ということ。
前は「理由はどうあれ、行動が変わらなきゃ意味がないんだから」とか、ちょっとシニカルに考えてたりもしたんですけど、でも理由がわかることで、ちょっと余裕というか、ゆとりを持てるようになる飼い主さんが結構いるんですよね。

 「だから吠えてたのか」
 「だから噛んでたのか」
 「だから言うこと聞かないのか」

こういうことがわかって、はじめてイヌと向き合える。
イヌと、やり取りする準備が整うというか、そういう方は結構多いんだなと。

そして、「行動分析学」というのは、相手の行動を「条件づけ」や「行動変容のテクニック」でもって、どんどん変えていくっていうものではなく、相手をとことん尊重して、いわば「相手の気持ち(あえて気持ちといいましょう)に、どこまでも寄り添っていく学問」だと思うんです(ちなみに僕は、これは「愛」だと思う…恥ずかしいけど 笑)。
確かに、行動の見方、捉え方がちょっと独特だから、わかんない人も多いんだろうなとは思うんですけどね。
「行動分析学は、動物を機械のように考える」とかね。
そんな風に考えてないよ。

こういう視点から、改めて「ドッグトレーニング」「ドッグトレーナー」というものを見ると、なんとはなしの違和感を持ってしまうのですよ。
いや、実はね、「ドッグトレーニング」も「ドッグトレーナー」も、本来は、本来は「コミュニケーション」なんだよっていう思いも、僕の中には大~きくあるんです。
あるんだけれども、です。
「ドッグトレーニング」「ドッグトレーナー」って言葉は、もうたくさんの人が触って、手垢がついちゃってるんですよね。
でも、手垢のついた言葉って、結構肌ざわりもよかったりするんです。
ところが、肌ざわりがよすぎると、結構するりと手から抜けちゃうような、そんな気もするんです。
いやいやもうちょっとさ、もうちょっときちんと手に持って、考えてみようよっていう。
「ああ、トレーナーさんね?じゃあ、訓練とかしつけとかして、なおしてよね」みたいな、いやいやちょっと待ってよっていう。
そうなると、もうまったく別の、全然違う、ちょっとゴツっとした、手に持ったときに「ん?なんだこれ?」ってなるような、そういう何かで表現した方がいいんじゃないか。
そんな風に考えて、「ドッグトレーナー」ってのはもう辞めようと思いました。
あとは「しつけ」とか「トレーニング」とか「トレーナー」とか、そういう枠からもう出ちゃいたかったっていうのもあります。

僕の理想はですね、イヌもヒトも別になんの努力もしなくても、自然とコミュニケーションが取れて、暮らしが楽しくなっていく…そういう感じなんですよ。
特に何かやったってわけじゃないんだけど、気づいたらうまく回ってて楽しいぞーみたいな。
トレーニングなんか全然要らなかったぞーみたいな。
まあ、これはあくまで理想でね、実際できてんの?って聞かれたら、そこはごめんなさいって言うしかないところもあるんですけど。
でも、イヌをトレーニングして、なんか頑張らせるのは違うと思う。
これは、ヒト、つまり飼い主さんに大しても同じだと思うんです。
なんかね、最近ね、「犬のしつけは飼い主次第」みたいなのがね、結構言われたりするようになって、僕も同じこと言ってたんですけど、どうも「飼い主さんが頑張りましょう」みたいな、なんかそういう空気を感じるんですよね。
飼い主さんが頑張らなくてもいいように、こっちでサポートしようよっていう。

そう、「サポート」これなんですよね。


「ヒトとイヌのコミュニケーションのサポート」



お手伝い。
援助。
支援。
御用聞き。
まあ、この際ニュアンスが伝わればなんでもいいんだけど。
そんな感じです。


えー、だらだらと書いておりますけれども、ひとまず「トレーナー」には、一旦緞帳を降ろします。
第二幕スタートって感じですか。

窮屈なんですよね。
この「トレーナー」ってのが。

てことで、今着ている「トレーナー」は脱いで、衣替えです。
春ですし。
ただ、何を着ようか、まだ迷ってる感じ(つまり半裸状態?)。
一応、名刺には「Dog Life Producer」とかいう冗長な肩書き載せてるんですけどね。
こないだは、某所で「はいぱーりれーしょなるくりえいたー」という、胡散臭いこと極まりない名前もつけてもらいましたけれども。
イメージとしてはね、「サポーター」が一番近いんですけどね。

とりあえず、今のところ半裸状態ではありますけれども、おかげでちょっと肌寒いですが、風邪ひかないように頑張りますので、今後ともどうか温かい目で見てやってください(「サポーター」って、スタジアムで半裸の人多いし、いいかもしんない)。
つまり、服は着替えますが、僕自身は変わりありません。


ヒトとイヌのコミュニケーションをサポートして、
暮らしを楽しく、楽にしていくお手伝いをする。



これが僕のお仕事です。
根底にあるのは「正の強化で維持できる、行動の選択肢の拡大による、ヒトとイヌのQOL向上」です。
てことで、ひとまずはこんな肩書きでいいんじゃないかなと思って披露したんだけど、えらい不評でした。

「正の強化師」

いいと思うんだけどなー。
「なんか詐欺師みたいー」とか言われちゃったしなー。
「みんなでTシャツにプリントして着ようよ」って言ったら「えー絶対やだー」とか言われちゃったしなー。

「負の強化師との戦いを日々続ける、正の強化師」とかどうすか。
ダメすか。
そうすか。

むむん。

ま、そんなわけで、今後ともよろしゅうお頼み申します。

TaKaYaMaですこんばんは。

「かいぬし塾」を終えて、池袋のホテルでぼんやりしております。

えー、昨日のエントリがどうも一部で波乱を呼んでしまったようで。

えーと。

昨日はエイプリルフールでしたね。

いやほら最近、マジメ更新ばっかりじゃないかとお叱りを受けることが多かったものですから。テヘペロ

でも、実は、なんもかんも嘘というわけでもなく。

ま、関西に戻ったら、真相をば。

では、おやすみなさいませ。
これを書いているのは31日なので、このエントリがアップされるのは東京で「かいぬし塾」をやっている頃ですかね。

今日から新年度ですね。
新年度にあたり、ちょっとお知らせというか、ご報告があります。

色々と思うところがありまして、ドッグトレーナーを辞めることにしました。
もちろん、今ご依頼いただいているお仕事は、きちんとお役目を果たします。
イヌ関係の世界から、まったく違う世界へ行こうとも思いません。
ただ、トレーナーはもう辞めます。
このブログも、このまま置いておこうか、あるいはもう閉めちゃうか、その辺はゆるりと考えようと思います。

これまで、本当に、本当にありがとうございました。

またいずれ、どこかでお会いすることもあるかと思いますので、そのときはよろしくお願いいたします。

ではでは。