松山市は文学の盛んな地です。
特に俳句はかなり愛好者がいるようです。
最近では、夏井いつきおばちゃん(失礼)もテレビ等で活躍していますね。
うちの息子も俳句を教えてもらったことがあるようです。
私は元々は理系なので文学の素養などは全くありませんが、郷土の宣伝を兼ねて、子規ゆかりの地や観光名所についてご紹介したいと思います。
まず、月並みですが、正岡子規のことについてちょっと触れておきます。
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正岡子規 本名は常規(つねのり) 1867~1902
幼名 處之助(ところのすけ) 後に改名 升(のぼる)
幼少のころはところさん、改名してからはのぼさんと呼ばれていたようです。
子規というのはホトトギスのことで、ホトトギスは「鳴いて血を吐く」と言われていることから、結核によって喀血した正岡子規の俳号になっています。
正岡子規にちなんで命名された「子規」という名前の小惑星もあるそうです。
また、子規は野球が好きだったようで、ベースボールを「野球」と名付けたのは子規だと言われていましたが、実は中馬庚(ちゅうま かのえ)という方が名付け親のようです。
以前の通説では、子規は、升(のぼる)と呼ばれていたので
の => 野 ぼる => ボール => 球
から「野球」となったと言われていました。(野原でする球技)
ちょっと残念ですね。
子規が生まれたのは1867年ですから、明治維新の前の年になります。
子規の父親は松山藩士だったのですが廃藩となり、当時は大変だったと想像します。
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前置きが長くなりましたが、子規ゆかりの地についてです。
まず、JR松山駅からです。
● 子規ゆかりの地
〇 JR松山駅
JR松山駅は、松山市が四国で一番大きい市であるにもかかわらず、貧素な駅です。
(今、付近の再開発が行われており駅も建て替えるようです)
駅を出ると、交番の前辺りに子規の句碑
春や昔十五万石の城下哉(はるやむかし じゅうごまんごくの じょうかかな)
があり、出迎えてくれると思います。
〇 子規の生家
子規の生まれたところは、JR松山駅からそう遠くない花園町にありますが、生まれた翌年に転居しています。(伊予鉄道松山市駅のすぐ近くになります)
歩道上に生家跡の碑があります。
〇 子規が育った家
子規が17歳まで住んでいた家跡で、道路が拡張されたため今は中央分離帯に碑があるだけです。
ここは中の川筋と呼ばれ、以前は「中の川」という川が流れていたのですが、今は川がなくなっています。(暗渠になっているのかもしれません)
余談ですが、この付近は海からかなり距離があるのですが、
湊町(みなとまち)や 千舟町(ちふねまち)
という、まるで海に面しているかのような町名が残っています。
昔は三津の港から、中の川に至る水路を運河のようにして船が行き来していたようです。
子規は、松山藩の儒家をしていた母方の祖父、大原観山などから教えを受けたようです。
また、私の自宅からそう遠くないところには、子規の伯父、佐伯政房(松山藩の祐筆)が妻の里に寄宿し寺子屋のようなものを開いていたようですが、子規は六歳の頃からよく遊びに来て指導も受けていたらしいです。
(注)祐筆は文書作成や記録をする職
その後、勝山学校や松山中学校で学びましたが、17歳のときに松山中学校を退学して上京し、明治17年に予備門に合格し、明治23年に文化大学(東京帝国大学の前身)に入学しました。
しかし明治25年に退学し、日本新聞社に入りました。
結局、子規はしっかり師から学び、多くの友と語り合い、議論しあって自らを高めていったような気がしますね。
〇 子規の母と妹が住んだ家
子規の母と妹は、明治21年に大原家の屋敷内に建てた家に移りました。
子規が育った家の近くにあり、同じ中の川筋にありましたが、現在は子規が育った家と同じように道路の中央分離帯に碑などがあるだけです。
この家には、子規が帰省した時に夏目漱石が立ち寄ったりしていたようです。
子規の母と妹は、子規の勧めにより明治25年に東京の子規宅に転居しこの家をあとにします。
子規は34歳11か月の短い生涯でしたが、病苦にもめげずに俳句24000句、短歌2500首のほか、小説、随筆、書画など多数を残し、多くの人に影響を及ぼしました。
そう言えば、モーツァルトやシューベルトも若くして亡くなっていますが多くの優れた作品を残しています。
「短くも美しく燃え」という映画がありましたが、何でも情熱をもってやらないといけないものですね。
● 子規関連の観光地
〇 子規堂
子規堂は、正岡家の菩提寺である正宗寺境内にあります。
子規が育った家を復元したものです。
子規堂内には、子規の直筆原稿や遺品などが展示されており、境内の墓地には正岡家の墓があります。
中の川筋から少し南に入ったところにあり、上記場所と近いところにあります。
〇 (松山市立)子規記念博物館
子規記念博物館は道後公園の北側入口にあり、
正岡子規の世界を通して、より多くの人びとに松山や文学について親しみ、
理解をふかめていただくために開設された文学系の博物館です。
と書かれています。
子規にまつわる色々なものが展示されています。
現在改装中なので写真が撮れませんでした。(入場はできます)
次のリンク先をご覧になってください。
〇 坂の上の雲ミュージアム
「坂の上の雲」は司馬遼太郎の作品ですが、皆さんご存知の通り、松山出身の
正岡 子規
秋山 好古(よしふる、陸軍大将、北予中学校長)
秋山 真之(さねゆき、海軍中将)
3人の主人公を通じて、近代国家となっていく明治の日本を描いています。
このミュージアムには、小説に描かれた主人公3人に関する種々の展示がされています。
場所は、松山地方裁判所東側を北に入ったところです。
詳しくは次のリンクをご覧になってください。
「坂の上の雲」は私が若い時に3巻まで読みましたが、それからはご無沙汰しています。
また、機会があれば全部読んでみたいですね。
NHKでもドラマ化されて放映されましたが、こちらの方は全部見ました。
これを機会に、皆さんも子規や俳句に興味を持っていただけると嬉しいですね。
松山市内には句碑がたくさんあるので、機会があればご紹介したいと思います。