断捨離(対人編) | さゆあめのセルフトーク

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断捨離、はあまりとくいではありません。


ところが、この数年、

何か、目に見えない力によって

期せずしてあれよあれよと「断捨離」が行われてしまった


のは、。。。

おもに

人間関係においてです。



相手も私を離れ、私も離れる、という形が

ほとんど。

でも、互いが離れる「理由」は、全く別だったと思う。


そして、その互いの理由を

それぞれ、誤解しあってるんではないか、とも。少なくとも

私がその相手を「断」した理由は

当人には思いもよらないことと

推察します。


それほど、理解しあいにくい相手と

しかも

複数人

なぜ、長年付き合ってたのか。。





常に彼らに対し

私が「下」「譲歩する」態度をとっていて


もちろん望んでやってたわけではないが、そうしなければいけない、と言う思い込みやその癖が付いていたようです。


でも、

わが意識としては


負けてやらされてる

しかたなしに耐えている


ではなく


与えている

献身

役立っている


つもりだったのですから


なんという。。。思いちがい

いや、思い上がり、でしょうね。


関係が成り立っていた理由としては

相手がとりもなおさず、

私に譲らせることを望む、喜ぶ手合いだった、ということです。




それをしなくなった最初の理由は


薬害によって

精神力、体力やられて、エネルギー枯渇しきったことがひとつ。



たとえクセでも

譲歩するにもすごいエネルギーが要ります。

キャパオーバーも省みず

自己犠牲という、ムリをするわけですから。




そうしたら、まず相手が離れた。

(これまでみたいな、希望どおりの態度をとってくれなくなって利用価値がなくなったからだと思います)



私のほう、はといえば。

始めは、まだ

薬害の病人を毛嫌いされたのか、自分は受け入れてもらえなくなったのかと

情けながっていましたが。。。。



まもなく

いやいや、これは楽になった

に変わり


従来の自分が、長い年月

いかに間違った、辛い人間関係のなかにいたか、に気付き、


人をみる目が一変したわけです。

むしろ

元に戻った、と言いたい。


その元、は自分でも思い出せない、はるか遠い遠い昔だろうけれどそうした時間的「元」だけでなく


体内(脳内?)の深層部にいた自分。その子が目覚めた、みたいな。。。


誰だって 自分が一番かわいい。

わたしとて、その例外ではない。

と。


でも、

やはり、長年の「生き癖」というものは

そんな即座の大変化もかなわず


薄皮はがれるように、だけれど


人の態度への解釈がまず変わってきた。

という感じでした。


もともと、いや、これまでもずっと

「人間分析」は得意なのです。



その分析結果を自分の行動に活かせるか、そうでないかの違い、が大きかった気がします。



たとえば

私に不当な頼みごとをしてくる人がいるとします。



当然


人を尊重した依頼ではない。

よって言葉で頼まず、

この人は

私が察して自ら手をさしのべることや

不当性にも関わらず

相手ファーストに考えるだろうことに

期待し

その手段として、私への操作を試み


操作できる人間一人を確保することで

安心を得ようとしている



ここまでは、いつだって分かっていたのです。


そこまでわかってりゃ

普通は、そんなひとから

とっとと逃げる、離れる。


その当たり前のことができずに生きてきてしまった理由は、おそらく物心つかないうちからの、誰かからの「洗脳」によるものではないか?と踏んでるんですが。


理由や洗脳については

いまは置くとして。。


この数年内に並行して起きた

あれこれの出来ごと、環境変化による

脳の「激震」の効能として




とりあえずは


対人関係が正常化してきた


ことを示す

最近体験した

一例。。


それを書こうと思ったのですが。


長くなりそうなので



具体例は

次の投稿に回します。





レイニーブルー
という珍しい薔薇だそうです