「天鼓」と出会う | さゆあめのセルフトーク

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喜怒哀楽豊かでピュアな表現者しし座(月星座)

好きなもの好きなこと
踊ること。
習い事。(仕舞のお稽古はじめました)
伝統武術、ヨガ、着物、編み物、手抜き料理、人間分析、
✡️人生のマジックアワーを
謳歌満喫したい


秋の発表会に

やりたい曲目はありますか?と

かねがね先生から聞かれていましたが


好きな曲といっても、まだ始めて半年もたたないので、あげた曲も四つだけ。


鑑賞としての能に親しんだ経歴があるわけでもないので何もわからず、

選曲は先生におまかせすることにしていたのですが。。。



ふとしたことから

「天鼓」という曲目を知り

動画などで観て


引き込まれてしまいました。

(生の舞台は見てないですが💦)


天鼓

中国のお話。
鼓の神童の名前です。


皇帝の不興をかって川に沈めらたにも関わらず

出てくる霊には、怒りも嘆きも、恨みも

なく、、ただただ、懐かしい鼓に会えたことを喜んで無心に打ち、星の下、川の水とも戯れ遊び、明け方の星が消えるように

霊の姿も消えていく。



究極の悲しさでもあります。


この能は遺族(両親)への最大の悔やみ、慰撫を旨としている、と先生は言うのですが。


確かに。


他の霊たちとは違い

天鼓の霊の心は一点の曇りもなく

冥い情念の虜にはなっていません。

子供の霊はそうでないと、親はやりきれません、と。💧


この無心、無垢に

やられてしまいました。


亡くした長男(愛犬です😓)が

彷彿とします。

純粋無垢で

ひとを恨むことなど片鱗も知らぬまま

自分がなぜ苦しむのかも知らず、逝ったけれど

恨みなさい、憎みなさい、とは

とても言えない。


霊があるなら、いま、どこにいても

そんな思いとは永遠に無縁で


天鼓のように、無邪気に楽しく遊んでいてほしい、と切に、そう願う。


余談ですが

先生の名前と愛犬の名前が偶然にも同じ。。😆

どうでもいいことだけど。💦


さて、

天鼓の仕舞が、どれほど

難しいのか、どのレベルに位置するものか

何もわからないまま


「好きな曲みつかりました!!」

と先生に告げたら


少し息を飲んで

「天鼓!。。。それは、近い将来の目標にするといいですね」


「はい!いつかやりたいです」


で話が終わっていたのですが




間をおいて先生がまた言い出す。


「やりたい曲があるというのが一番いいんです、それが、やり時です。。。やってみますか?今年」


「はい!」(即答)



「けっこう、動きも激しいので、身体が動くいまのうち、というのもありますしね」


「はい!」


何にでもはい、と答える私。



たぶん、先生からしたら母親のような年代の生徒。わがままも許容してくれてるのだろうし

先生はもうお母さんを亡くされているので


「来年再来年、と待たせていて、そのうち亡くなりでもしたら悔やまれる。。」と、いう懸念もあるのかも。😝




「身の程知らずかもしれませんが。。。」

(先生、無言。否定しない。

「初舞台が。。。天鼓?」とあきれたようにひとりごちてもいる。やはり。。😂)



無謀、無茶なのかな。




しかし話は、勢いで(誰の?😁)

今年やる方向に進む。





私とて、初心者にありえない選曲だろうということは想像にかたくない。




プロになるべく弟子入りした人たちには

決してできない選択なんでしょう。




でも

思うに

これこそ

素人の特権というやつで


遊びのためにやってる稽古ですから。

遊んでなんぼです。


遊びで自分を追い詰める。。また愉しからずや。






このままいくならば

この春夏、秋の終わりまで

大きな張り合いとなります。



そして願わくば😆

亡き子(と自分)の鎮魂のために舞い遊びたい。🌠





ちなみに

ただの、私見(直観)ですが

この「天鼓」は


芸の至高


をテーマにしたのではないのか?とも

感じます。


世俗の全ての感情(恋愛や親子の情でさえ)を昇華、超越したところに芸の真髄はある。。。と。


俗人は、だから「芸」に触れることで

愛別離苦からも救われるのかもしれないな、


などと。