三つ目の小学校に通ったのは約八ヶ月。次の転校もほぼ決まっていたはずだ。奈良県の田原本町に家を建て、年末には完成して入居することが決まっていたから。仮住まいは同じ奈良県内でも生駒市。親戚が同じく転勤のため空き家にしていたところを借りた。ゆきちゃんはバレーボール選手のアタッカーみたいに背が高くスマートな美人だった。小学生でもやっぱりべっぴんさんが好きだった。半年ちょっとの短い間だったから、何があったわけでもなく、美人やなあと思って、ただ見てただけ。担任の先生がぐいぐい引っ張るタイプのカリスマ先生で、とても印象に残っている。ボランティア活動をおしえたり、水道管のビニルチューブを熱で曲げたものにマウスピースを付けた手作り管楽器で吹奏楽もどきをやったりした。みんな温和で仲良くしてくれた。でも八ヶ月は短い。僕の「没・個性人生」はこの頃に芽を出し、四つ目の小学校で、より色濃くなっていったのかもしれない。
子供の頃のことは、あまり覚えていない。覚えているのはほんの少し、短い記憶の断片だけ。一年生の秋に転校、ふたつ目の小学校は三年生くらいから少しだけ記憶が残っている。ふみちゃんはふみこちゃん。必ずセットではるみちゃんのことを思い出す。確かバレンタインにチョコをもらってもないのに、ホワイトデーの日、ふみちゃんに飴を多分二袋あげた。今でもコンビニで売っているような袋入りのキャンディを。その後どうなったのか、どれくらい好きだったのか、どこが好きだったのか、肝心なことを覚えていない。それよりも、ふみちゃんと仲良しで将来きっと美人になったであろう、はるみちゃんのことが気になる。多分、好きだったんだと思う。ふみちゃんは控えめな性格美人、はるみちゃんは活発で顔が美人だった。一年生の途中からだったから転校生の割にはみんなとても仲良くしてくれたし、まだとけ込めた。あのまま転校しなかったら、僕の性格は活発なまま、また違ったものになっていたかもしれない。ガキ大将にも仲良くしてもらった。スーパーカー消しゴムをノック式ボールペンで飛ばして砂場でレースをした。自販機に磁石をぶら下げたひもで吊り上げて王冠集めをした。ヨーヨー、メンコ、ベー駒、銀玉鉄砲、ベースボールカード、ミクロマン…駄菓子屋でそろうようなおもちゃでよく遊んだ。ひとり遊びも好きだった。川を埋めた跡の遊歩道で蝉をとった。歩いて行ける都立大学の敷地に入ってカナブンをとった。ため池やみずがめでザリガニ、ヤゴをとった。駒沢公園に行って凧(ゲイラカイト)をあげた。切手を集めた。スイミングスクールもひとりで行った。帰りにバスを間違ったのか、迷子になって大泣きした。高学年になる頃、音楽が好きになった。ザ・ベストテンとトップテンをラジカセのマイクで録音した。ラジオで音楽番組を聴いた。オフコース、クリスタルキング、YMOが好きになった。駅前商店街のレコード屋さんで探してシングルのドーナツ盤を買って聴いた。柿ノ木坂に住んでいた御曹子、よしのり君も仲良くしてくれた。中学の修学旅行で奈良に来た時に再会、高校時代に二人ともそれぞれドラムを始めて、20代後半で結婚式二次会に招待してもらって東京で再会。先日、年賀状に書いてあったユーチューブのアドレスをたどってネット上で再会してお互いの演奏を観たりもした。五年生になってすぐ、まだ夏にもなってなかった頃、父の転勤でまたまた転校。仲良くしてくれたみんなともお別れ。小学校、三つ目。ふみちゃんのことは、あまりよく覚えていない。
幼稚園児だった頃の僕の家族は、父が勤める会社の社宅住まい。社宅の裏が幼稚園だった。海と動物園が徒歩圏だった。かよちゃんは社宅に住むひとつかふたつ年下で、社宅の庭で一緒にままごとをした当時の僕の奥さん。将来は結婚の約束をしていたような。なんの個性もない、個性がないのが個性かというくらいおとなしい僕を将来の旦那に選んだのは、社宅という小さな世界で一番歳が近い、一応、おとこのこだったからか。てんとう虫をつかまえるのが頼もしかったのか。ちょっと優しかったのか。ここに住むちょっと前に住んだ家の前の道に、僕は三輪車で飛び出して車にはねられそうになったらしい。
運よく間一髪、難を逃れた。
時々起こる災難や、ここぞというとき、なんとかぎりぎりセーフという僕の人生。かよちゃんは見抜いていたのだろうか。
でも、小学校に入学してすぐ、その秋には父 の転勤で大都会へ引越し。かよちゃんとは短い夫婦生活となった。
運よく間一髪、難を逃れた。
時々起こる災難や、ここぞというとき、なんとかぎりぎりセーフという僕の人生。かよちゃんは見抜いていたのだろうか。
でも、小学校に入学してすぐ、その秋には父 の転勤で大都会へ引越し。かよちゃんとは短い夫婦生活となった。