トピックスに上がってた記事をたまたま見たら
「子が通ってるスイミングに、高学年の大きいお姉さんなのに、
お母さんが狭い更衣室に一緒に入ってくるうちがあって、
更衣室内の湿度も上がるし、ムワッとして体調悪くなっちゃう。
もう大きいんだし、一人で着替えられますよね?!
お母さん、なんでついてくるのかな…
まあ、目に見えない何か理由があるのかもしれないから、
不満は言わないけど、モヤる…」
って書いている方がいらしてね。
その状況だけ読むと、「その大きい女の子、発達特性がある子なんじゃないのかなー」って思っちゃうんだよね😅
普通だったらさ、もう、5,6年生だったら
『ママ、入ってこないでいいよ』
って言うよね…😅
一緒に入ってきているお母さんも雰囲気は感じ取ってて
内心、申し訳なさを感じていたりしてさ。
でも、娘一人で着替えさせたら、変なこと(下着履かず…とか、「〇〇がないんだけど…」って着替え終わってないのに更衣室から出てきちゃうとか…)起きそうだから
仕方なし…って一緒にいたんじゃなかろうか…とか、考えてしまい、
そのお母さんの苦労を想像して、切なくなってしまった。
想像し過ぎか…笑
年齢にそぐわないことしてるなーって人(特に親子)を見かけたら
見た目には分からない障害をきっと抱えているんだな。って
思ってもらえるくらい、「見た目に分からない障害」が認知されたら
少しは、特性ありの人達も生きやすくなるのだろうか。
障害の認知も必要だろうけど、
もう少し個人主義が重視される傾向になるのもいいのかな。
他との調和を重視するのが、日本文化でもあり、日本の良いところでもあるのかもしれないけど、
周りの他人がどうしてるかが、自分がどうしたいか(どうするべきか)の判断基準にならないようになると
もっと誰もが他者に寛容になれるんじゃないかなぁ、なんて思う。
”私には障害があるんだから!”と周りがフォローするのが当たり前に思うのも、ちょっと違うかなぁと思うし、
周りが我慢して障害者を常に受け入れなきゃいけないっていうのも、なんか違うと思うんだよね…
どちらの場合も、なんだか底にある精神が歪んでるように私には見えてしまうんだよね…
「犠牲払ってください」とか「犠牲払ってます」って声が聞こえちゃいそうな態度だからかなぁ??
互いに寛容になって
互いに努力できるところを全力で頑張る。
それが当たり前の世界になったら
障害があってもなくても、少なくとも、感情的な生きづらさはなくなるんじゃないかなぁ…
理想論だと言ってしまえば、そうなんだけど。
理想がないと、進むべき目標も持てないもんね。
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※息子の体調などを見ながら日程を決めているため
4月、5月は日程が急で申し訳ないです😅
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