最近見た動画で、「発達障害のパートナーとこれからも一生一緒にいなければならないのかと思うと絶望を感じる」というようなコメントに、





自分は、最近は発達障害のパートナーといることに絶望や怒りを感じなくなった。

自分の実母が亡くなった経験から、パートナーが死んで、もう、声も聞けない、二度と会えない。そういう状況をリアルに想像したら、「寂しい」「悲しい」と思えた。

パートナーが、この世から居なくなった状況を想像したら、暴言吐いて怒鳴りちらしてるパートナーも、なんか可愛く見えるようになる。



って答えているのを見た。





確かに。

しかし、それは愛が残っている場合だよね…


リアルに想像してみた。



ある日、私の携帯に旦那から着信。

出たら知らない人の声で、相手は病院の看護師。

「ご主人が事故に巻き込まれて危篤状態ですので、一刻も早く病院へ」



まず…

真っ先に感じること…



「面倒くせぇな…」



「うちの人、死にそうなんですか?それとも助かる見込みが高いんですか?助かりそうなら、治療お願いします。必要な物があったら、主人本人に直接私に電話するように言ってください。」

って言って電話切りたいけど、ちょっとひんしゅく買いそうだから、とりあえず、病院行くか…

子供を母にみててもらえるかなぁとか、色々、他の算段もしなきゃいけなくて、呼び出されたことにイライラしながら…



で、病院到着。

医師に会ったら

「最善を尽くしたのですが…」

と言われる。



ああ、そうですか。



(えっと、、遺体ってどうしたらいいんだっけ?

お義父さんお義母さん、呼ばなきゃいけないよねぇ…

誰に電話したらいいんだ?

保険会社の番号ってどこに書いてあるっけ?)


など、事務的な用件を考え始めるけど、悲しいとか思えそうにない…


むしろ、

(これからは、子供のケアしながら働かなきゃ…

何して働こうか…

全く余計なことばっかり押し付けてきやがって(怒)

ろくに子供の世話もしないで死んでんじゃねぇよ…でくの坊が!(怒))

とか考え出し、余計に状況を深刻にされたことに関して旦那に怒りを覚えそう…




泣くとしたら、これから子供が、私がいつもそばにいてあげたら感じなくても良かったであろう寂しさなどを感じながら成長して行かなければならないことになって不憫に思った時かな…



そして、どこかでホッとしてそう。

あぁ、これで、これまで逃れられなくて苦しめられた怒りから自分を逃がせるんだって。



全然、寂しいとか、悲しいとか想像できない…



面倒くさい状況にしやがって!っていう怒りと、抑圧されたような心境からの解放による安堵感。



それしか想像できない…





昨日、ジョーカーの仮装した男が電車の中で人を無差別に刺したり、車内に火をつけたりする事件が起きた。


あの、電車が緊急停車した駅。


うちから、近いと言えば近い。

最寄りではないけど、チャリでピャッと行ける距離。



旦那が通勤途中でおかしな事件に巻き込まれて、殺されてしまうこともないとは言いきれない。

状況としては、かなりリアルに想像できる。

子供が産まれたばかりの頃なら、たぶん、想像しただけで泣いてた。


色々、ムカつくことはあったし、傷付いたり、悲しい気持ちにさせられることは、五万とあったけど、それでも、まだ愛情は残っていた。


だから、旦那がいなくなるなんてこと、想像したくなかったし、ずっと一緒にいて欲しいって思ってた。




その旦那に対する感情は確かに覚えている。



でも、今、どんなに頑張っても、その同じ気持ちは戻って来ない。




冷めている。

うん、、、

これが気持ちが冷めるってことなんだな。



相手がどうなろうと、何とも思わない。

迷惑かけてくんなよ!って思うだけ…




これって、どうにかして「やり直す」ってことできんのかな…


人の感情って、そんなに復元可能なものだろうか…