年を取ってくると、少なからず、「死」について考える機会が増えるものです。
私は現在57歳ですが、ほんの100年前は、平均年齢が45歳くらいですから、もう十分に長生き、ということになります
まあ、現在は女性の平均寿命が88歳、男性が81歳ですから、まだまだ先は長いという感じです。
世間一般的には、長生きしたいと思う人が多いものですが、最近では健康寿命という考えが浸透してきています。
いくら長生きしても、自分で歩けない、認知症や病気など、心配になることは多いです。
どうでしょう。
現在100歳だけど、ベッドに寝た切りになっている。
70歳で亡くなったが、死ぬ半年前まで元気で、その後、癌などの病気であった、という二通り。
長生きしていても、本当の意味での長生きというのは、考える余地がありそうです。
私は天縄文理論を学習して、死について考えたことがあります。
天縄文理論や仏教などの宗教の世界では、人間は死ぬと魂になる、という考え方があります。
そして、その魂はまた違う形の生き物として、また誕生する。
所謂、輪廻転生という考えですね。
私は、この考え方を理解した時に、死に対する恐怖がかなり薄れた様に思います。
死んでも輪廻転生して、また別の生を得ることが出来るのですから、特段、死を恐れることはないはずです。
でも私たち人間は、人生は一度きりだから、とか、生きることがこの上で最も大切なこと、という常識があります。
生きることは大切な事ですが、自然の流れで訪れる死は、そのまま受け入れたい、というのが私の考えです。
なので、私の家族には、私が不治の病(例えば癌が末期で見つかった場合など)に見舞われた時、そのまま自然に入院させておけばよい、と言っています。
特に、延命治療はしないでほしい、と伝えてあります。
死ぬときは、周りに、特に子供たちには迷惑を掛けたくない、というのが私には、強い考えとしてあります。
これは、私の父と母が、その形で亡くなっているので、その様に自然に思えるというのがあるかもしれません。
武田邦彦先生によると、死を恐れるのは人間だけ、だとか。
人間以外の動物は、おそらく死を全く恐れていない、という事です。
よくよく考えてみたら当たり前のことです。
いつか死なないと、人口は増える一方ですし、もう何十億年前から生物はいつか死に、また新しい生命が誕生します。
私たちは、時間が経てば老いが来て、また死を迎える。
この自然の形を恐れずに受け入れて、今の人生を謳歌する、という事が私たちには大切な事なのかもしれません。