善と悪 | 3億8千万円の借金地獄から復活した零細企業の社長のブログ

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確かに私は運が良かったと思います。でも、いろいろな知識を得て、その知識を生かして行動したのも事実。私が獲得した幸せを分かち合いたいと思い、このブログを立ち上げました!みんなで幸せになりましょう!

 

現代社会では、悪い事は法律で裁かれます。




そこで、貴方に聞いてみたいのですが、法で裁かれたその人が、倫理的に悪い事をしたのか、と思ったことはありませんか。




自分の家族を殺された人が、その敵を討つという行為は、どうでしょう。




明治以前の日本では、仇討ちという行為が許されましたが、現代社会では許されません。




また、戦場では、多く相手の軍人を殺した方が良い、とされます。




何が善で、何が悪なのか。




その状況次第で、善も悪も変化する、ということでしょう。




ある住職の話ですが、善と悪は、状況において変わると仰っているという事です。




ただ、自分が行ったことで、周りの人が幸せになる、楽しくなる、その結果として、自分の周りに人が寄ってくる。




そうした行為は、善なのだろう、とその住職を仰っているという事です。




この話を聞いて、なるほど、と思いましたが同時に、哲学的で難しいな、とも思いました。




現代の社会では、国で法整備がなされた法治国家が殆どです。




なので、全ての事柄が法律で裁かれるのですが、これにも行き詰まりの感が出てきている様に思います。




昔の日本なら、そんなこと当たり前、という事象が、裁判をしないと片付かない、という事が頻繁に起きていますよね。




そんな中で、理不尽な裁判結果もちらほら散見されます。




ただ法律がないと、確かに無法者が増えて、社会は混乱してしまうというのは、容易に想像できます。




国レベルの多くの人が、倫理観を持つという、善良な社会に成れば良いな、と思いますが、難しいのでしょうか。




先程も、テレビで宝塚問題を報道していましたが、いじめという行為は、当然悪い事のはずですが、一向に無くなる気配はありません。




やはり、法律だけではなく、人々がそれぞれ善良な倫理観を持つことは重要な事だと、個人的には思います。




それを学ぶものとして、日本書紀や古事記、万葉集は格好の教材になると思います。