世の中は、一般的に・・・、とか、普通は・・・、という会話がよく、行われます。
私も、よくそういう話し方をするのですが、今考えると、反省しないといけません。
どういう事かと言うと、一般的、普通、というのは、世の中の多くの人の考え方に合わせる、ということに成ってしまうからです。
お分かりと思いますが、大多数の意見にあった行動、というのは、なんの意味もない、それこそ、普通の言動になります。
その様な行動は、ビジネス的にも、人生向上の意味でも、あまり良くない行動と言えるかもしれません。
あまり格差が付くのも良くない事なのですが、やはり良い仕事、よい人生を生きたければ、もっと有意義な行動をした方が良いでしょう。
有意義、というのは人それぞれですが、現代社会での有意義と言うのは、大多数の意見ではないのでしょう。
毎日のニュースや報道を観ても、暗く悪い内容ばかりで、世間一般が、決して良い方向に向かっている様には見えません。
現代日本社会での常識は、一流大学を出て、一部上場企業や役所に勤める、ことだと思われています。
そうだとすれば、私のような零細企業の経営者は、常識を外れている人生、ということになります。
なるのですが、一流企業に勤めている社員や、役所で働く人が、私のは幸せそうには見えません。
私の独りよがりかもしれません。
確かに、一流企業や役所が働く人がいるからこそ、多くの社会活動が出来ている、とも言えます。
そうですね。
大企業や役所で働く人も、私の様な零細企業も、社会には必要なものだと思います。
ただ、現代の若者で、一流企業や公務員を目指す人があまりにも多い、という事です。
SDGSではありませんが、これだけ物質的に豊かになってくると、仕事も人生も多様化します。
なので、色々な考え方があって良いはずです。
多くの人が、凝り固まった考えを持っていると、社会が停滞します。
今の日本では、選挙参加率が大変低い状況です。
これも社会が停滞している一つの現象だと思います。
多くの人が大学に行く、大学を出たら大企業や役所に勤める。
そうではなく、高卒で職人を目指す人生もありですし、海外に行くこともありでしょう。
下手をすると、中卒で自分が好きな分野で働くこともありだと思います。
正直言うと、高校で勉強することが仕事に役立っているとは思えませんよね。
これからの社会は、もっと多様化し、色々な人生があって良いと思いますし、また、それを応援し、多くの人がその社会を望むようになって行くのかもしれません。