以前に、浅草寺の仲見世の家賃の事が話題になったことを覚えているでしょうか。
あの場所は、浅草寺が破格の家賃で貸している場所で、相場の16分の1だそうです。
今はどんな話になっているか分かりませんが、破格値段が当たり前になると、それが権利化して、元に戻すのも大変な事態になる一例だと思います。
上記の仲見世通りの話は、今私が営んでいる事業にも通する話で、特に通行権の場合に多く聞く話です。
通りの地主がその通りを売却したので、他人が通れなくなる、という話ですね。
まあ、そうならないために法律があるのですが、全ての土地にその法律が適用されるわけではない、という事ですね。
それにしても、元来ダメな事でも、長期で許していると、それを権利主張するのは時々聞く話です。
あなたはどの様に思いますか。
上記の仲見世の話だけではなく、今回のコロナ対策協力金でもあったようです。
要は、協力金をやめるから通常営業に戻ってほしいという県の要請に対して、行政に対して文句を言うパターンです。
コロナが落ち着き、お客さんが戻りつつありから通常営業に戻すというのは当たり前、と思うのですが、協力金という強力な甘えを数年も続けていると、それがあたかも権利の様に主張されてしまう、という事です。
確かに、最初のころは、何とか店を存続させようと、協力金がないころは必至で色々と策を講じていたお店の人も、数年も只でお金を貰うという環境に置かれると、怠けてしまうのでしょうね。
長時間の例外を許していると、それを権利化されてしまうので、賃貸業を営んでいる場合は気を付けないといけません。
今思いましたが、これは子育てでも言える事かもしれません。
子供は、小さい頃から普通に家に住み、ご飯を食べて、学校に行っている状況なので、その状況が当たり前と思っています。
そんなことはないですよね。
家を確保するために、家賃を払ったり住宅ローンを組んだり、親は大変です。
食事だって、決まった収入の中で、お母さんは毎日、献立を考えて、これも大変なことです。
子供は、社会に出て働くようになって、一人暮らしをした頃になってやっと、親の大変さを理解します。
まあ、いつまでも理解できない人もいますので、理解できるだけでも良いとしましょうか。
何かまとまらない感じになってしまいましたが、甘やかし過ぎると良くない、という結論で間違いないと思うのですが如何でしょう。