今回の話は、私の偏見というか、妬みかもしれません(笑)
誤解を恐れずに話してみようと思いますが、私は、才能が有り過ぎると、逆に不幸になると考えています。
例えば、大学入試の場面。
普通に勉強していて、簡単に東大や京大に受かってしまう。
学生時代の場面では、走ればいつも一番。
容姿端麗で、いつもモテモテ。
こういう人生を憧れるのかも知れませんが、これだけ整った人は、それまで努力というものをしていません。
確かに、私も相当羨ましいです(笑)
でも、この様に才能に恵まれた人は、努力の過程で何かを得る、という喜びに出会う事が出来ません
「そんなの、上には上がいるから、結局は努力しないといけないんだ!」、という意見もあるでしょう。
確かにそうなのですが、そういうもっと上を望まない人は、その辺りで満足して、上記の様な人生になるかもしれません。
本当に人生いろいろですが、世間では、才能に恵まれる、容姿に恵まれる、環境に恵まれる、という事に対して、一喜一憂します。
本当は、人はそれぞれに分相応の幸せがあり、そういう考えのもとで活動すれば、だれでも幸せになれる、というものだと思います。
なんだか、宗教染みた話になってきました(笑)
私はやはり、世界的に、過度の自由主義により、お金が先に立ち、金儲け主義に成っている事が、影響しているように思います。
もっとお金があれば良い暮らしが出来る、豪華な暮らしが出来る、楽な暮らしが出来る・・・
こういう考え方があるから、何かに恵まれた人を見ると、羨ましいと思いますし、他人と比較するという視点を持つようになるのでしょう。
要は、自立していない、自分の考えがない、他力本願、という事になるのでしょうか
自分に自信があり、何でも自分で出来るという観点があれば、他人を羨ましいと思うどころか、努力して自分もそうなる、という希望を持ち、その希望により人生を積極的に捉えることも出来ます。
人生を積極的に捉える事が出来ると、楽しいでしょう。
この様に考えてみると、努力する余地がある方が人生は幸せだ、という結論に達します。
自分の周辺レベルで才能に恵まれているという場合でも、少し外に出れば、大したことがない、もっと努力しなければという立場になれば、幸せを感じる事が出来るという事になりますね。
何だか屁理屈のように聞こえるかも知れませんが、幸せというのは、案外、身近にあるという事だと思うのです。