才能が有り過ぎる、という不幸 | 3億8千万円の借金地獄から復活した零細企業の社長のブログ

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確かに私は運が良かったと思います。でも、いろいろな知識を得て、その知識を生かして行動したのも事実。私が獲得した幸せを分かち合いたいと思い、このブログを立ち上げました!みんなで幸せになりましょう!

今回の話は、私の偏見というか、妬みかもしれません(笑)




誤解を恐れずに話してみようと思いますが、私は、才能が有り過ぎると、逆に不幸になると考えています。




例えば、大学入試の場面。




普通に勉強していて、簡単に東大や京大に受かってしまう。




学生時代の場面では、走ればいつも一番。




容姿端麗で、いつもモテモテ。




こういう人生を憧れるのかも知れませんが、これだけ整った人は、それまで努力というものをしていません。




確かに、私も相当羨ましいです(笑)




でも、この様に才能に恵まれた人は、努力の過程で何かを得る、という喜びに出会う事が出来ません!!




「そんなの、上には上がいるから、結局は努力しないといけないんだ!」、という意見もあるでしょう。




確かにそうなのですが、そういうもっと上を望まない人は、その辺りで満足して、上記の様な人生になるかもしれません。




本当に人生いろいろですが、世間では、才能に恵まれる、容姿に恵まれる、環境に恵まれる、という事に対して、一喜一憂します。




本当は、人はそれぞれに分相応の幸せがあり、そういう考えのもとで活動すれば、だれでも幸せになれる、というものだと思います。




なんだか、宗教染みた話になってきました(笑)




私はやはり、世界的に、過度の自由主義により、お金が先に立ち、金儲け主義に成っている事が、影響しているように思います。




もっとお金があれば良い暮らしが出来る、豪華な暮らしが出来る、楽な暮らしが出来る・・・




こういう考え方があるから、何かに恵まれた人を見ると、羨ましいと思いますし、他人と比較するという視点を持つようになるのでしょう。




要は、自立していない、自分の考えがない、他力本願、という事になるのでしょうかビックリマーク




自分に自信があり、何でも自分で出来るという観点があれば、他人を羨ましいと思うどころか、努力して自分もそうなる、という希望を持ち、その希望により人生を積極的に捉えることも出来ます。




人生を積極的に捉える事が出来ると、楽しいでしょう。




この様に考えてみると、努力する余地がある方が人生は幸せだ、という結論に達します。




自分の周辺レベルで才能に恵まれているという場合でも、少し外に出れば、大したことがない、もっと努力しなければという立場になれば、幸せを感じる事が出来るという事になりますね。




何だか屁理屈のように聞こえるかも知れませんが、幸せというのは、案外、身近にあるという事だと思うのです。