火野正平さんがお亡くなりになった。
最近は、火野正平といえば、
NHK『にんぽん縦断 こころの旅』
だが、私の火野さんは、1973年の大河ドラマ『国盗り物語』の木下藤吉郎(羽柴秀吉)である。
『太閤記』の緒形拳もサルにふさわしい(?)風貌だが、火野さんもそれにまさるとも劣らない。
このとき、火野さん24歳。
大河ドラマ『国盗り物語』タイトルバック Amazonウェブサイトより
サル、朱傘をさせィ
と、高橋英樹演じる織田信長から、毛利攻めの総大将に任じられたとき、織田軍の筆頭の武将として一人しか許されない朱傘の使用を許された秀吉。
馬上、誇らしく嬉しそうな火野秀吉。
カネもチカラも門地もない浮浪の身から栄光の階段を駆け上がってゆくこの若者を、無性に応援したくなった記憶がある。
『国盗り物語』は明智光秀が山﨑の戦いに敗れ落武者狩りに討たれるところで終わるため、権力者になる前の若き秀吉が描かれている。
浅井長政の裏切りにより、金ヶ崎からの退却を迫られ、殿軍を買ってでた秀吉の奮戦。居残って光秀(近藤正臣)や家康(寺尾聰)と一緒に鉄砲をぶっ放していた。
最初は味方だったが、あることをきっかけに敵となった雑賀鉄砲衆の首領・雑賀孫市(林隆三)との友情と対決。
『国盗り物語』の青春担当が、火野正平の秀吉だった。
ああ、懐かしい。
『国盗り物語』の思い出を本人も語っている。
あ〜懐かしい!
何てったって45年前だもんね。最初に出演の話をいただいたときは「俺にできるのかな」と不安だったんですよ。
秋にロケーションがあって、明智光秀役の近藤正臣さんが同じ事務所の先輩だったので、どうしたらいいかって話したら「役者の基礎は感性が大事や。お前が感じた通りにやれ」と言って下さった。
それで楽になった覚えがありますね。
明智光秀役の近藤正臣(左)と火野正平 NHKアーカイブスより
ただ、初めての大河ドラマでしたから、俺にとっちゃ共演者はテレビで見ている人たちばかり。みんなすごい人だから、現場ではキョロキョロしていました。
実はこの作品で火野正平っていう名前になったんだよね。
それまではずっと本名でやってたの。何年か前に『太閤記』に主演された緒形拳さんが、ほとんど無名だったところから大きな俳優さんになられたから、制作側はそういうのを狙ってたのかな? 新人という形で出演してほしいと言われたので名前を変えたんだよね。
当時の事務所の社長が池波正太郎さんとつながりがあったので、正の字をいただいて正平。
火野という名字は珍しいから、よく小説家の火野葦平さんの息子だって言われたなぁ。
『国盗り物語』をさかいに名前が変わって、最初は火野さんって呼ばれて何だか変な感じだったな。
すぐに慣れたけどね。
『国盗り物語』の最終面接で「原作は読んだか?」と尋ねられた火野さんは、
まだ読んでいません。
俺にやらせてくれるなら、今日から一生懸命読みます。
と答えたという。
すると、なぜ読まないのかと問われた。
俺以外の人が演じたら悔しいから、今は読みません。
いかにも、自由で自然体の火野さんらしい。
一方で、稀代の人たらしである秀吉を演じるということで、人使いを身につけるために身元を明かさずに果物店に3カ月も勤務したという。
感性をとても大切にした方だった。
感じたままに演じ、秀吉の青春を見事に演じ切った。
錚々たる『国盗り物語』の主要キャスト 右端が火野正平 日刊スポーツウェブサイトより
かつての主君・信長を演じた高橋英樹さんは訃報に接し、ブログにこう綴った。
収録終わりに
突然
火野正平くんの訃報を知りました。
驚いたことは勿論!です。
彼が
まだまだ若く
腰を痛めたことは
聞いておりましたので
心配していました。
国盗り物語で
信長 秀吉を 演じた時の熱演!
あの 飛び歩くような姿は
忘れられません。
猿!
速く 走っても
こんなに 速くは
寂しいぞ!!
信長
泥中のなかから出て、明るく軽やかに転げるように出世の階段をかけのぼった若き秀吉を見事に演じた火野正平さん。
その後ろ姿に、万雷の拍手を!
さようなら、火野正平さん NHKアーカイブスより
※タイトル画像は、『国盗り物語』で羽柴秀吉を演じる火野正平(NHKアーカイブスより)
大河ドラマ『国盗り物語』オープニング曲