大河ドラマ名優録⑥〜二代目尾上松緑さんと勝小吉〜 | 天地温古堂商店

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去る6月9日に女優の久我美子さんがお亡くなりになられた。

93歳だった。

1931年生まれというから昭和ヒトケタで、私の親と同じ世代だ。
私がテレビドラマを見出したのは1970年代の半ば。
個人的には久我さんといえば、NHKのドラマ『男たちの旅路』(1976)の鶴田浩二演じる吉岡司令補の初恋の人、それから大河ドラマ『勝海舟』(1974)の海舟の母親・おのぶくらいしか存じ上げないが、優しい母親役という印象が残っている。

ご冥福をお祈りしたい。

ところで、きょう6月25日は、歌舞伎役者、俳優にして人間国宝の二代目尾上松緑の命日である。

二代目尾上松緑(1913〜1989)。

 

二代目尾上松緑 NHKアーカイブスより

この松緑さんは、生前5度の大河ドラマに出演している。
最初は、記念すべき大河ドラマ第一作『花の生涯』の主役・井伊直弼だ。

次いで、

『赤穂浪士』

『樅の木は残った』
『勝海舟』

『草燃える』


『勝海舟』で海舟の父・勝小吉役を演じた。
つまり、亡くなった久我美子さんと夫婦役だったわけだ。

『勝海舟』の脚本は、倉本聰氏。主役の海舟役は渡哲也さん。当時32歳。

渡さんは撮影中、原因不明の病気(のちに膠原病と判明)にかかり、第9回をもって途中降板してしまう。
勝小吉もその回で亡くなり、二人とも同時に舞台から去った。


大河ドラマ『勝海舟』タイトルバック NHKアーカイブスより


航海シーンでは航海訓練帆船・日本丸を使用した NHKオンデマンドより

 

たった9話ではあるが、私は松緑さんの小吉をいまでも忘れることができない。
小吉は松緑さん、これは倉本氏の当て書きだったように思える。
当て書きとは、その役を演じる俳優をあらかじめ決めておいてから脚本を書くことである。
倉本氏にとって『勝海舟』における小吉の存在は相当に大きかったようだ。
それは氏自身のこの言葉でもわかる。

いわゆる偉人を書くなんて僕は苦手だし、むしろ海舟の父親の勝小吉のほうがずっと面白かった。

倉本氏は海舟(麟太郎)を偉人と見ていた。

自分が責任を持てるのは家族とか趣味までと言っているくらいだから、きっと書くのに苦労しただろう。
むしろ、坂本龍馬や岡田以蔵の方がいい、とも言っている。

『勝海舟』では書かれなかったが、こんなことも言っている。

勝海舟の犬嫌いは、少年時代に犬に追いかけられて、おちんちんを噛まれたからで、それ以来、犬が怖くて困ったっていう話がある。
今だったら、犬を見ると逃げ出す人間くさい勝海舟の一面を物語のどこかに入れたかもしれないですね。


倉本氏はNHKからオファーを受けて、資料を読んだりして準備に半年かけたという。
もちろん史料のほかに子母沢寛原作の『勝海舟』や『父子鷹』なども読んだろう。
そこで勝小吉の面白さがわかったのだとおもう。

だから、彼の中で結像した小吉をぜひ松緑さんに演ってほしかったのだと思う。

 

『勝海舟』の脚本は倉本聰 新潮社ウェブサイトより

勝小吉とはどんな人なのか。

旗本・男谷家の三男に生まれ6歳で旗本・勝家に養子に来た。喧嘩好きで学問を嫌い、たびたび問題を起こした。
17歳で勝家の実娘・おのぶと結婚。
その後も家出や非行を繰り返して三年ものあいだ座敷牢に入れられたという。
相当な無頼漢だ。

勝家の禄高は41石で無役。
41石を現代の価値に換算すると年収85万円、ひと月だと7万円だ。
役職につければ役料が入ってなんとかなるが、小吉にはそれもなかった。
小吉は夜店の道具市に出て、刀剣類のブローカーの仕事をして糊口をしのいでいた。
ただし、侠客で江戸町火消の新門辰五郎は「喧嘩で(小吉の)右に出る者なし」と言っているくらいだから、おそらく喧嘩の強さは江戸随一だったのではないか。


こんな小吉でも『夢酔独言』という告白本を遺した。

例えばおれを見ろよ。

と、その中で自分のことをこう言っている。

理外に走りて、法外なことばかりしたから、祖先より代々勤め続いた家だが、おれが一人勤めないから、家に傷をつけた。
これが何よりの手本だわ。
今になって、目が醒めていくら後悔したとて、仕方がない。
持っていた金や道具は質屋に取られて、金を貸してやったやつらもそのつもりだから、ろくに挨拶せず、返しもしねえ。
だが、向うがもっともだと思うがいい。
そのようなことがあっても、人を恨むものではない。
みんなこっちが悪いと思う心が肝心だ。


一方で、我が子の麟太郎については、

息子は真っ当なものだ。
良い友達を持ち、武芸に遊んでいて、兄弟の面倒も見、倹素にして物を使わず、粗末な服でも恥じず、粗食をし、おれには孝行して、困らぬようにしてくれる。
(略)
おれのような子供が出来たらば、なかなかこの楽はできまいと思う。
これも不思議だ。
神仏には捨てられぬ身とさえ思う。
孫やその子はよくよく義邦(麟太郎)の通りにして、子々孫々の栄えるよう、心掛けるがいいぜ。


トビが鷹の子を生んだという口ぶりだ。

無学で無頼漢で着道楽で吉原好きな小吉。
その子煩悩ぶりはちょっと意外な気がする。

麟太郎は9歳のころ、異常な体験をしている。
野犬に睾丸を噛まれ瀕死の重傷を負ったのだ。
医者に聞くと命は危ないという。

医者が傷口を縫いながら麟太郎が震えているのに気がついた小吉は、いきなり刀を抜いて、枕元の畳へ突き立てて、泣いたら叩き切るぞと狂ったように叫んだ。
その後、家を飛び出していったが、近所の金毘羅さまへいって水垢離をとって願をかけて、それを毎晩欠かさなかった。
小吉はそれから毎晩、裸になって麟太郎を抱いて寝た。
ほかの誰にも手を触れさせず、病人の世話は全部自分一人でやった。

『勝海舟伝』には小吉のことを、

この父性愛の権化

と書いている。

そんないびつな小吉であることを脚本の倉本聰氏は聞き知って興味深く思っていたはずだ。
だからこそ、勝海舟が偉くなるまでのそういう家族の風景を念入りに大切に描きたかったのではないか。

小吉の成否でこのドラマは決まる。

と倉本氏は思っていたと言っては過言だろうか。

松緑さんをイメージして台本を書いていたであろう倉本氏。しかし、

小吉を尾上松緑さんに

という願いはもっとも難題なものだった。
NHKがまず尾上松緑に断られていた。
大河第一作では主演してもらったものの、当時、市川団十郎(11代目)や松本幸四郎(8代目)とならぶ歌舞伎界の大看板として多忙な日々を送っていた。


歌舞伎『雪暮夜入谷畦道』での二代目尾上松緑 歌舞伎ウェブサイトより

ここにひとつの逸話がある。
松緑さんをじかに倉本氏が口説き落とす、ということだ。
むろん、2人は会っても初対面だ。

倉本氏はどうしても小吉を松緑さんに演ってほしくて、NHK側に「僕が口説いてきたらどうしますか?」と聞くと、それは無理だよといわれた。

人の縁はどこでどう繋がっているかわからない。

倉本氏の作品に多く出演して師弟のような間柄だった俳優に仁科明子がいた。
その父は歌舞伎役者で舞踊家の岩井半四郎。
岩井は映画俳優としても活躍しており、歌舞伎では尾上松緑の一座で活動していた。

倉本氏は岩井半四郎に会ってそのことを相談すると、岩井は、

方法がある。
松緑さんていうのは意気に感じてくれる人だから、あなたが直接行って土下座したらいい。いま、大阪の新歌舞伎に出てるから行ってきなさい。


と言う。
いろいろあって、倉本氏は新歌舞伎座を訪ねた。

脚本家の倉本と申します。
実は今度、NHKの大河ドラマで勝海舟をやるんです。NHKが松緑さんに海舟の父、小吉の役をお願いしたら断られちゃったって言うんですが、僕はどうしてもやっていただきたくて、お願いします!


そういうと、地べたに頭をすりつけて土下座をした。
松緑さんは笑い出して、倉本氏はすっかり気に入られたという。
松緑さんはマネージャーに来月の仕事を尋ねて、言った。

それ、断れるかい?

マネージャーが煮え切らないでいると、

おい、この脚本家の先生が一生懸命やってくださってるんだから、こっちは断れねえぜ。

この一言で、松緑の小吉が誕生した。

私の勝手な想像だが、倉本氏は小吉の江戸言葉を松緑さんで演ってほしかったのではないか。

松緑さんの大河での出演は、井伊直弼と後白河法皇と勝小吉がよく知られている。
私は芝居の素人だからあくまで勝手な感覚でしかないが、井伊直弼と後白河法皇のセリフの語り口は、どちらかというとオーソドックスでクラシックな芝居の語り口に聞こえる。
しかし、小吉のそれは明らかに違っている。
ときおり巻き舌で伝法調の江戸言葉の語り口だ。

そして、もうひとつ書きたかったのは小吉と麟太郎のジェネレーションギャップだったのではないか。
無学だが人間としては決して無智ではない小吉。

自分は幕臣であり、幕府はオカミであり、オカミは幕臣の忠義の絶対的対象であって批判の対象ではない。

それが小吉(というか多くの幕臣)のマインドだ。
麟太郎のマインドは必ずしもそうではない。
しかし、子にとって親は孝の対象である一方、超えなければならない大きな壁である。
麟太郎にとっても小吉はそれであった。

江戸言葉と麟太郎にとっての壁

松緑さんはそれを表現するためにどうしても欲しかった役者だったのではなかろうか。

以上はすべて私の推察に過ぎない。

以下は、小吉の劇中のセリフの抜粋である。
私の拙い推察はこのあたりを根拠にしているのだがどうであろう。

小吉 きのう定廻りの秋田に会ったんだが、捕まったナントカという蘭学の先生…

麟太郎 高野長英先生ですか。

小吉 名めえは忘れた。その一人が永牢、一人が蟄居を申しつけられたそうだ。そいつが何か悪いことをしたのかい。

麟太郎 何もしていません。

小吉 何もしていない者が永牢はねえでしょう。

麟太郎 先年、モリソン号事件というものがありました。

小吉 なんでえ、そいつあ。

 


大河ドラマ『勝海舟』のワンシーン NHKオンデマンドより

高野長英らがモリソン号を異国船打払令によって砲撃した幕府を批判したことに対して、幕府は彼らを逮捕(蛮社の獄)。
麟太郎はそのあらましを説明した。

小吉 だが、お上にたてをついたにはちげえねえでしょ。

麟太郎 それはそうです。しかしお上に非がある場合、それを正すのは人の道ではありませんか。

小吉は沈黙して会話は終わる。

また、ほかの場面ではこんな具合だ。

小吉 麟さん、ひとつだけおいらのいうことを聞いてもらいてえんだ。
おぬしは若え。何やったっていい。そりゃ何やったって勝手だが、少なくとも四十俵小普請のおぬしだ。徳川家から御恩を受けて食っているれっきとした幕臣の一人だ、そうだな。
幕臣ってことを忘れてもらいたくねえんだ。
(略)

麟太郎 父上にとって「公」とは何ですか。

小吉 そりゃあ、きまってるでしょう。「公」ってのは徳川家の…

麟太郎 父上、「公」とは徳川一家のことではありません。「公」とはむしろ徳川を考えず、日本国すべてを考えることです。

小吉 そりゃいってえ(一体)どういうことだ。

麟太郎 誤解しないで聞いてください。

小吉 誤解はしねえ。だが、聞き捨てならねえんだ。
知ってのとおりおいらは阿呆だ。な。だから、阿呆にわかるように教えてくんな。徳川家のことを考えねえってのはいってえぜんてえどういうことだ。
おぬしは幕臣じゃねえのかい。


麟太郎 幕臣です。

小吉 そうだろ、幕臣ならなおさらのこと…。

麟太郎 待ってください。麟太郎は幕臣です。しかし、それ以上に私は…どういうか、この国の、日本というこの国の人間です。
そうなんです、ええ、父上。私は日本人です。日本人ということを、つまり、私は…


小吉 おぬしは幕臣だよ。

麟太郎 幕臣は幕臣です。

小吉 そうだ、だからこそ

麟太郎 しかし幕臣であることなどは、いってみれば私的なことなんです、ええ、どういうか、つまり父上、そんなことはどうでもいい小さな個人的なことなんです。
どういうか、つまり忘れなければいけないんです、いま幕臣であることは。


ややあって、静かに、小吉。

小吉 おのぶ、茶をくんな。

おのぶ はい。

 


大河ドラマ『勝海舟』のワンシーン NHKオンデマンドより

沈黙のなかの小吉の表情、気配が変わっている。

小吉 おぬしがいうことが正しいんだろう。おいら、もうこれ以上けんかはしたくねえ。

麟太郎 いや、これはけんかではないんです。

小吉 わかってるよ、おぬしのいうとおりだ。そのとおりだ。
ただ、オイラは古くてばかな人間だ。だから御恩を受けた上様のために…
よそう。やめよう。やめだ……


茶を差しだすおのぶ。
茶をのむ小吉。
茶をのむ麟太郎。

江戸言葉と麟太郎にとっての壁

ここがこのドラマにおける小吉父子のクライマックスシーンだった。

松緑さんの勝小吉。
声を掛けたいほど見事だった。

 

大河ドラマ『勝海舟』のワンシーン NHKオンデマンドより




【参考】
倉本聰・碓井広義『ドラマへの遺言』(新潮新書)
勝小吉『夢酔独言』(講談社学術文庫)
勝海舟『氷川清話』(角川文庫)
NHKオンデマンド『勝海舟・総集編』