惜別・山田太一さん〜『シャツの店』のことなど〜 | 天地温古堂商店

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歴史、人、旅、日々の雑感などを徒然に書き溜めていこうと思います。どうぞお立ち寄りください。

鬼籍に入られた山田太一氏と、いまだ別れがたい。

持っているマイナスが多い人ほど、ドラマを書くのに向いている。

そう言っていた山田氏。

『シャツの店』の店主でシャツ職人の磯島(鶴田浩二)も、『チロルの挽歌』の北海道の小さな町に出向した鉄道会社の技術部長、立石(高倉健)もそういう人間だった。
 

おのずとテーマは、

生き方を変えることができるのか。

ということだった。

『シャツの店』のことについて、少しふれてみたい。

山田氏と俳優・鶴田浩二は約10年にわたり、テレビドラマで時代を並走した。

1976年が初対面。
NHKで脚本家の名を冠した連続ドラマをつくることになり、山田太一がその第一弾に指名された。
NHK側の条件はただひとつ。

主役は鶴田浩二、ということだ。

山田氏は、鶴田を口説くべく自宅を訪問。
そこで、延々と鶴田の戦争体験の話を聞くことになった。
『男たちの旅路』のなかでも語られた特攻隊の話だ。

それをヒントに作られたのが鶴田演じる警備会社の幹部・吉岡司令補である。
頑固で硬骨ではあるが、はっきりとした信念、考えのある人物だ。

ドラマは第1部から第4部とスペシャルまで13話あるが、ごく一部をのぞいて吉岡の信念のある行動がストーリーを引っ張っており、それが『男たちの旅路』の魅力だった。

第3部第1話の「シルバーシート」、第4部第3話の「車輪の一歩」だけは、身近に起きた社会問題に〝はたけ違い〟の吉岡がどう向き合うかが見どころの回であった。

 

ドラマ『男たちの旅路』のワンシーン NHKオンデマンドより

その『男たちの旅路』は1982年で終わった。
山田氏が次に鶴田浩二でドラマを書いたのが、『シャツの店』(全6話)である。

「ほかのことは一切忘れて夢中になるところがなくて、いい仕事ができるか。」

東京下町を舞台に、仕事一筋で愛情表現には不器用ながら、精いっぱい家族を支えてきた昔かたぎで頑固なシャツ職人・磯島周吉を鶴田浩二が演じた。

このとき、鶴田は61歳。
私には、『男たちの旅路』の吉岡とは違って、だいぶ老けて見えた。

さて、『シャツの店』。

東京下町のオーダーシャツ専門店「磯島」。
主人の周吉(鶴田浩二)はシャツ作りに誇りを持ち、その道一筋に生きてきた。
しかし、ある日突然、長年連れ添った妻の由子(八千草薫)と大学生の息子秀一(佐藤浩市)が、万事が仕事中心のピリピリした雰囲気に反発し、家を出ていってしまう。

由子はアパートを借りて、自分の実力でオーダーメイドシャツを作る。
それが意外にも好評で近所に宇本(井川比佐志)というお客さんまで出来た。

周吉を親方と呼ぶ弟子の昭夫(平田満)と息子の秀一は夫婦2人の仲を取りもとうとなんとか画策するが、2人の頑固な性格を思うとなかなかうまくいかない。
やがて親方の周吉の独り暮らし生活は荒れ気味になり、妻の由子はそれなりに生活を楽しんで対照的になる。

由子はシャツの代金のおつりを届けるため、昼間に宇本と会う。
宇本は妻子持ちで、かなわぬことと思いながらも由子に好意を抱いている。
字本は二人で話ができることを喜ぶが、由子は新しい人と暮す気はないことを告げ、周吉との別居の理由を語るのだった。

由子は仲直りの条件を手紙に書き昭夫に託す。
その条件を聞きだした息子秀一は笑いが止まらない。

「母さん、それは無理だよ」

由子が帰宅する条件は「目を見て『おまえのことが好きだ』」と言う、ただそれ一言だけ。

しかし戦前に生まれ、男尊女卑の気質がある亭主関白(見方によっては自己中心的)な周吉にとってそれは無理難題ともいえる条件だった。
それを知って周吉はバーで飲んだくれる。
ドラマは終盤、さまざまな登場人物が周吉に「素直に好きだというべきだ」というアドバイスをするが、周吉は周囲がとやかく言うことが気にくわず頑として断る。

そして、最後の朝、意を決して周吉は由子のアパートへ乗り込む。
あいかわらず亭主関白な周吉は開口一番、

「文句がいいたい。なんだ、若造が言うようなことを口に出していわせるなんて。」

由子も譲らない。

「言わなければ帰りません。」

そして周吉はついに…。

というストーリーだ。



磯島周吉を演じる鶴田浩二 NHKアーカイブスより

いきなり余談になるが、『シャツの店』では鶴田の息子役を若き佐藤浩市が演じている。
佐藤の父は俳優・三國連太郎だ。
佐藤は鶴田との奇しき因縁について、こう語っている。

鶴田さんと三國ってすごく仲か悪かったんですよ。

ある作品で、本番で三國が鶴田さんに痰を吐きかけるという芝居をしましてね。(略)

ずるい男だと思います。

それで、カットがかかった時に鶴田さん、止められないくらい怒ったみたいで。それ以来、絶対に組み合わせられなかったんですよ。
僕はそれを知っていたので、鶴田さんの息子役と知って『どんなひどい目に遭うんだろう』と思っていたら、すごく優しくしてくれたんです。

(略)
いつもにこやかで。ほんとうに感謝しました。


ドラマ『シャツの店』の佐藤浩市(左) NHKアーカイブスより

果たして、人は生き方を変えることができるのか。

山田氏は、長きにわたり『男たちの旅路』で吉岡司令補を演じた鶴田に、そういうテーマの人間を当て書きしてドラマを書きたかったに違いない。
吉岡とはまったく違うタイプの人間で、である。

山田氏は、インタビューで『シャツの店』の狙いを3つあげている。

・夫婦関係における時代の変化を鶴田浩二で書くということ。
・吉岡という硬骨漢を演じた鶴田に正反対の役を演じてもらうこと。
・できることならぜひNHKで(いわくのあった)「傷だらけの人生」を歌ってもらうこと。


ドラマ制作の頃は、まさにバブル時代の始まりだった。

女の人が非常に強くなってきた流れの中で書いた作品です。
鶴田さんは非常に硬派な、東映のやくざものですとか、NHKの私の作品の『男たちの旅路』ですとか、男っぽい役柄も非常にすばらしいですけれども、松竹のころに「若旦那もの」シリーズがあったんですよ。

鶴田さんはすっとんきょうな若旦那で色男で、ハリウッド的な二枚目とは全然違う、歌舞伎からの流れの〝つっころばしの二枚目〟がとてもうまかったんですよ。

つっころばしの二枚目ってなに?
と思ったら、歌舞伎の役柄のひとつだという。
語源は、肩をついただけで転びそうといい、優柔不断の性格で、たいていは商家の若旦那といった甲斐性なし、根性なし、益体のないどうしようもない男をいう。
そんな軟派な役柄を演じてた過去もあったわけだ。

 


映画『与太者と若旦那』の鶴田浩二(左) AUCFANウェブサイトより

そういう部分が中年以降あんまりないもんですから、なんとかアノ線を書けないかなと思ってたんですよ。
しかし、いまさらただ軽いというわけにはいきませんでしょ。
いろいろ考えて、オーダーシャツの職人っていうのはたいへんいいんじゃないか。

それで東京のオーダーシャツ組合に申し入れをしまして取材をさせていただいて。
鶴田さんはミシンの前に座ったときから、パッと色気があってさすがだと思いました。
すばらしかったと思います。


吉岡司令補から職人・磯島周吉に変わった瞬間だ。
よほど見事だったのだろう。

もう一つは、鶴田さんがNHKとあまり仲が良くなかった。
『傷だらけの人生』という鶴田さんの唄をNHKがずっと放送しなかったことがひとつの理由としてあった。


理由とはこういうことだ。
『傷だらけの人生』についてNHKは、「公共放送で流すことは好ましくない曲」、「任侠映画に出演している」という理由で、鶴田のNHK紅白歌合戦の出場を拒否したのだ。
これに鶴田は激怒し、以後、NHKの番組出演を拒否するようになったとされる。

しかし、それはともかくとして『男たちの旅路』に出てくださった。
そのあと、できることならぜひNHKで『傷だらけの人生』をうたっていただきたいと思ったんです。
それで脚本に『傷だらけの人生』の歌詞、古いやつだとお思いでしょうが…と書いたわけですね。

NHKも度量が大きくなって何も文句を言わずに、それを歌っていただいたのがなんともいえぬ喜びです。

さらに少し付け加えさせていただければ、これが鶴田さんの遺作になってしまったわけですね。
(撮影の)終わりのころにはお体が大変で、終わった途端に入院されてしまってそれっきりという感じにになってしまったものですから、おつらかったはずなんですが、私が見た感じでは全然そんなことはなかった。

ただ、打ち上げのときに、「おれ、禁酒してるんだ」と言ってたんですね。
「これから病院へ行かなくちゃならないんだ」と。
で、「あんたはどう思ったかしらないけれど、おれはこの作品、精いっぱいやったよ」と言って握手してくれたんですよ。


精いっぱいやった。
と、鶴田浩二はいった。
吉岡司令補とは違う、そして自分の本質とは違う役のドラマを、演ったのである。
山田氏は嬉しかったのではないか。

僕は打ち上げの会場のおもてまでお送りして、「ありがとうございました」と言ってお別れしたのが最後になってしまった。
非常におもいで深いです。


山田太一氏が書いたストーリーの最後は、鶴田浩二の生涯最後の演技となった。


文句がいいたい。

なんだ、若造が言うようなことを口に出していわせるなんて。


夫が妻に好きっていうのが…。


口で言えるか。


態度で言ってくれた?優しいところなんかなかったじゃないの。


心のなかで思ってる。


そんなのわからない。


わかるのが女房だ。


でもわからないからたまらなくなったんです。


わかれ。言わなくてもわかれ。

決まってる。おまえを好きなのは決まってる。いま言ったぞ。

帰れ、帰ってこい。


はじめて言ってくれた。


そんなことはない。


結婚するときだって、好きだなんて言わなかった。


だからいま言った、だからいいだろ。


ちゃんと言ってくれなきゃ。


おまえが好きだ。


そんなのいや。


ぜいたく言うな。


こっち向いて。こっち向いて言って。


由子の目に涙が…。

それを見た周吉は、妻を抱いて言った。


いい。もういい、泣くな。

おまえを、おまえを好きだ。


わたしも。

憎らしいとこ、いっぱいあるけど、あなたが好き。


変わってほしい妻、変われない夫 NHKアーカイブスより

 

なごり惜しいが、そろそろお別れのときのようだ。
もう言葉もあまりないが、最後に。

脚本家の倉本聰氏は山田太一氏を〝古い戦友〟と呼んだ。
倉本氏の追悼手記の一部を引用して、この稿を閉じたい。

テレビドラマというケチなジャンルを、一つの、もう少し輝かしいレベルへと引き上げるべく僕らは必死だった。
僕らはこの戦いに孤独に挑むバカな懸命な孤独な兵士だった。


しかし世の中は大きく進展し、商業主義にまきこまれた社会は、やがて若者のテレビ離れを招き、テレビドラマに賭けた哀れな古兵は、敗残兵となって戦場に残される。

太一さんの訃報に接した時僕が、瞬間的に心に描いたのは、破壊されつくした戦場の中にポツンと立ち残るいくつかの墓標である。


太一さんの墓標もその中にある。

さようなら山田太一さん 読売新聞ウェブサイトより


【参考】
DVD『シャツの店』全集(NHKエンタープライズ)
春日太一『すべての道は役者に通ず』(小学館)
倉本聰『【追悼手記】倉本聰氏、山田太一さんとは古い戦友だった 向田邦子さんと脚本家〝御三家〟と呼ばれた同学年の盟友』(サンスポウェブサイト)