空海のあの風景~佐伯真魚を空海にしたもの~ | 天地温古堂商店

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歴史、人、旅、日々の雑感などを徒然に書き溜めていこうと思います。どうぞお立ち寄りください。

仏教と一口に言ってはみても、私はそこから先を語るだけの知識をあまり持っていない。

 

極楽浄土、輪廻転生、加持祈祷、如来、菩薩、阿修羅、除夜の鐘、花まつり、一汁一菜などなど、一期一会は茶道か。

 

私は自分の名前を寺でつけてもらったこともあり、初詣はそのお寺に行っている。

むろん、先祖は寺の墓に眠っている。お寺で年忌や葬式を行っているところをみると、キリスト教のカトリックと同じように、住職がお経を読むことで仏と会話し、住職を介して私と仏界が繋がっている。

という心持ちだ。

 

護摩祈祷に立ち会うこともある。

護摩を主宰する僧侶が護摩をたく火の傍らでひたすら真言を唱えている。

護摩祈祷の最中に、立ち会っている私たち一般人は唱和もする。

 

ノウマク サンマンダ  バサラダン センダン マカロシャダ

ヤ ソハタヤ  ウンタラタ  カンマン

 

この真言を何回か繰り返す。

護摩祈祷で唱える真言は燃え盛る火の勢いもあって、不思議に気持ちが高揚する。

 

護摩とは、インド宗教において行われる火を用いる儀式。「供物」「いけにえ」を意味する梵語のホーマを音訳して書き写した言葉だという。

禅寺の枯山水庭園の清冽で透明な世界観からすると、仏教という定義の空間はもはや宇宙に近い。

 

護摩について続ける。

護摩は、仏教の始原である釈迦とは直接関係がない。釈迦が入滅して約500年後に発生した密教の過程でヒンドゥー教から取り入れられたという。護摩はその密教にのみ存在する修法である。

 

いま現在、密教はインドにも存在せず、中国にもない。あるのはわずかに日本とチベットだけだ。

日本に加持祈祷も含め正統な形で密教をもたらしたのは、空海である。

 

 

僧になる前は、佐伯真魚(さえきのまお)といった。

真魚は、讃岐国善通寺の出身。幼い頃から言語の発達が早く、記憶力がよかったという。

もともと高い才能を持ち地方の学校でも持て余すほどの人物で、今で言うと「吹きこぼれ」。真魚の父は彼を中央官吏にさせたかった。

古代の日本は大化改新以降、究極の中央集権だ。地方の秀才のゴールは中央官吏であろう。

 

真魚は、登用試験合格を目指して大学で猛勉強するも、早くも彼は失望する。

彼が学んだのは大学明経科、儒学である。

大学での授業は書物に書かれた意味を研究するのではなく、一言一字間違いなく暗記して、意味を理解する暗記重視の教育だった。

真魚にとって儒教や漢字の書物を丸暗記して意味を理解するだけの授業は物足りなかったのだ。

物足りなかったというより、大学で学ぶ能力はもうすでに備わっていて、何もすることがなかったのではないか。あとは官吏として出世すること。

真魚は、その世界を極めることが馬鹿馬鹿しくなったのだろう。

 

真魚は、違うものに惹かれた。

目に見えるものより、目に見えないもの。

具体的なものより、抽象的、観念的なもの。

個別的なものより、普遍的なもの。

知識や技術より、哲学。

彼は体質的、精神的にそういうものを激しく好む人間だったのではないか。

 

彼は19歳を過ぎた頃、豹変する。

 

大学に入学して1、2年ほどで山に入り山岳僧の修行に参加するようになり、ついには私度僧になってしまう。当時の僧は国の認可制だ。私度とは自称ということだ。

父は激怒。

真魚は行方知れずになった。

彼は31歳で唐に渡るが、それまでのことはわからないことが多い。

私がこの項を書き連ねてきたのは、この彷徨時代のこの出来事について気になったからだ。

その間のことは彼が24歳に著した「三教指帰」によるところが大きい。

その著書のこの部分だ。

 

谷響きを惜しまず、明星来影す。

 

真魚は、大竜ケ嶽で虚空蔵求聞持法を行い、深い境地に入った時、 谷からの響きが、自分の身と周辺を揺るがし、大きな音や振動となって共鳴したといい、また室戸の岬では、明けの明星が口の中に飛び込み、自分の身と周辺を真っ赤に照らしたといっている。

 

成田山真如院の高山誓英住職によると

 

求聞持法を深く修すと、喩伽三昧(ゆがさんまい)の境地に達する。

そこは、素晴らしい醍醐味、エクスタシー漂う境地で、自分の身が、あたかも自然や宇宙と一体となった空間を感ずる所である。

その瞬間、自分の身に自然や宇宙と共鳴する、実に不可思議な現象が起こる。いわゆる加持感応(かじかんのう)するのである。

この現象が起きると、修行は成功したといわれる。

 

という。

 

科学的に、金星を呑む行為をどう理解するかはわからない。

小説「空海の風景」で司馬遼太郎氏はこう言っている。

 

ただ空海をその後の空海たらしめるために重大であるのは、明星であった。天にあって明星がたしかに動いた。みるみる洞窟に近づき、洞内にとびこみ、やがてすさまじい衝撃とともに空海の口中に入ってしまった。この一大衝撃とともに空海の儒教的事実主義はこなごなにくだかれ、その肉体を地上に残したまま、その精神は抽象的世界に棲むようになるのである。

 

室戸岬でのこの超常体験をもって真魚の肉体の上に空海の精神世界が誕生したという。

 

これが事実だとすると、この後の唐留学、密教との出会いと灌頂、帰国と真言密教の確立

は、真魚の肉体に明星を借りて飛来した精神的物質によって成就したことになる。

 

 

真言密教のことは難解すぎて私にはよくわからない。

が、空海の生な部分や情念が感じられるエピソードはいくつかあり、とても興味深い。

ここでは、彼の死の直前に触れたい。

 

空海の人間性を垣間見る記述が、「空海の風景」にある。一部意訳する。

 

あの世にいて、私は雲の間から地上をのぞき、そなたたちのあり方をよく観察しているぞ。567千万年ののち、自分は必ず弥勒菩薩とともにこの世に降り立ち、我が足跡を訪れるだろう。その時よく勤めている者は救いを受けるだろう。信仰の不十分なものは不幸になるはずである。

 

この遺言には、彼のはるか未来に至る無限の弟子たちへの濃厚な執念を感じる。

怠けている者、不出来な奴には、取り憑いて不幸にしてやる!

と宣言しているのだ。

 

密教においては、師が弟子に対して教義を完全に相承したことを証する儀式をもって最高とする。

その開祖は、まぎれもなく空海だ。

 

私にはこの執念の遺言は、誰も超えることのできない自分に対して、法統に連なる全ての者たちが不断に励み不断に勤め、そのことによって永遠に私とその教えに奉仕せよ、と言っている気がしてならない。