子どものとき、歴史の教科書に出てきた最も古い日本人は誰だっただろうか。
やはり卑弥呼か。
では、そのつぎは誰だったろう。
崇神天皇はいなかった気がする。
教科書本文にある名前だと、大伴金村ではなかったか。任那割譲問題で失脚した人物だ。
ここから、推古天皇、蘇我馬子と続く。王仁とか鞍作鳥などもあったかな。
とにかく、登場人物が少なく、倭の国がどうやって大伴金村にたどり着くのか、俯瞰できずよくわからない。
大伴金村以前の日本、倭の国はどうなっていたのか。
学校の教科書では教えない歴史があることを、多くの日本人は知っているはずだ。
日本には、国が作った歴史書があるからだ。
日本書紀である。
日本書紀は、奈良時代に完成した日本の歴史書で伝存する最古の正史。神話の時代から持統天皇の時代までが書かれている。
数年前に、「古代からの伝言」シリーズ全7冊を読んだ。また、石ノ森章太郎の「マンガ日本の歴史」を読んだ。
「古代からの伝言」は、卑弥呼が諸葛孔明と同世代の人であるというところから物語が始まる。邪馬台国の卑弥呼やその後継者・壱与は、古事記や日本書紀には現れない全く別系統の国であると、している。
この本は、日本書紀に基づいて(というより、日本書紀に嘘はないという前提で)初代神武天皇が、かつて狭野(さの)と呼ばれた四人兄弟の末っ子だったころから持統天皇まで筆を進めていて、大伴金村以前の日本黎明期の日本書紀に登場する人物が躍動している。
一方、「マンガ日本の歴史」の大和朝廷の初めは、崇神天皇の登場からだ。崇神天皇は実在するといわれる最初の天皇とされているが、崇神の章の最後にはつぎのようにある。
「この日本書紀の伝承はそのまま史実とはいえないが、この時代は、全国統一を目指して、大和朝廷の基礎が着々と固められた時代であった。」
と、伝承でありすべてが史実ではないと断りを入れている。
ちなみに「マンガ日本の歴史」の監修は、故・児玉幸多氏。児玉氏は日本近世史の大家で、学習院大学名誉教授。私らの頃の山川の日本史の教科書の監修もこの方だったはずだ。
実は、そのまま史実とはいえない伝承の時代に登場するのが、四道将軍、ヤマトタケルや神功皇后といった面々だ。彼らは決して教科書には出てこない。
歴史は親から子へ、孫へと連綿と続くのだから、崇神天皇から倭の五王(応神天皇、仁徳天皇、雄略天皇ら)の間に、「伝承」という空間が存在しているとはいえ、現実には彼らを繋ぐ実存する何者かは存在しているはずだ。
宋書倭国伝に4世紀頃の倭国のことが書かれている。
昔から祖彌(そでい)みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、寧処にいとまあらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。……。
これがその通りだったとすると、倭王武の祖先の功業の成果として、みずから武装して征討軍を指導して、東国と征討し西国を褶伏し半島に渡り一部を勢力下に置いたことになる。
倭王武は雄略天皇と見られている人だ。
大和朝廷の四方を平定した雄略の祖先とはいったい誰なのか。
雄略の8代前が実在したとされる第10代崇神天皇だ。
崇神は、大和一国だった王権を四道将軍という4人の王族をそれぞれ北陸、東海、西海、丹波に派遣して、いずれも敵を帰順させて凱旋を果たしている。
そのうち北陸を制した大彦は、埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文にある「意富比垝」と同一人物ではないかと言われる。鉄剣の持ち主は乎獲居(オワケ)臣といい、意富比垝(大彦)の子孫だという。
歴史上の扱いは伝承であるが、鉄剣というエビデンスを持ってしても、大彦は虚構なのだろうか。
西国は、崇神の孫、景行天皇が親征している。即位して12年、周防、豊前、豊後を制圧し、熊襲の国にいたり熊襲梟帥を討ち熊襲平定。ここに6年もとどまった後、日向に入り、遠く都を懐かしんでこう歌ったという。
倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし
※古事記ではヤマトタケルが歌ったとある。
さて、東国征討へは景行天皇の正妻の子、ヤマトタケルが向かう。
焼津での火攻めや相模走水での水難など七難八苦の末、克服し、さらに東行して蝦夷を平定。
都への帰路、伊吹山の戦いの後、病を得て伊勢の能褒野の地で亡くなった。齢30、戦いに明け暮れた短い生涯だった。
いまでは、大和朝廷の勃興に貢献した複数の人物の伝承が複合され、数多の事績を誇るヤマトタケル伝説になった説が有力だという。
ヤマトタケルは天皇になれずに死んだが、その子は仲哀天皇となった。
が、有名なのはその正妻、神功皇后だ。
仲哀急死後、海峡を渡り、新羅を攻めて降伏させ、百済、高句麗にも朝貢を約束させたと書紀にはある。
「渡りて海北を平らぐること、九十五国」
中国の史書に残る雄略天皇(倭王武)の報告文と、日本書紀の記述は一致している。
しかし、崇神天皇と雄略天皇ら倭の五王の間に描かれているヤマトタケルをはじめとする書紀の英雄たちは、いまは「伝承」という名の暗室に閉じ込められている。
「古代からの伝言」の著者によると、ヤマトタケルの存在を後世の人物や事績の付会ではないかと古代史学界は懐疑しているという。
神功皇后にしても同様の懐疑がある。
暗室のヤマトタケルの孫が応神であり、その子が仁徳という実在が確定されている天皇が現れるのである。
倭の五王の時代である。
みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉して、粉骨砕身。
大和一国から、東は蝦夷ら西は九州へ王化を果たした英雄たちが、暗室の扉を開けて私たちの前に真の姿を現すのはいつだろう。