「誇りを持つこと、持たないこと~pride of Japanese~」 | docomonejp-0713さんのブログ

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私達の普段の生活が極端に変わらない限り、今の政治がおかしいと疑問に思わない限り、政治に関する国民の意識は変わらないだろう。

いや、たとえ国民の意識が変わったとしても、どうすればいいのか。そう思ってしまうのではないだろうか。

生活をする為に働かなくてはならない私達にとって、政治と社会、政治と私生活が完全に切り離されているのが、今の現状だろう。

政治がどのように私達の会社に、私達の生活に及んでいるのかをまずは知ることから始まる。

政治を知れば知る程、私達の生活がいかに豊かにならないかということに、少しずつ気付いてゆくだろう。

その始まりは、戦後GHQの3S政策により、大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策からだった。

今もなお、テレビや新聞、マスメディアによるプロパカンダに、私達は踊らされ続けている。

公平や中立はさておき、マスメディアは大衆に伝える機能だけは果たしているかもしれないが、今日まで、左寄りの空気を日本中に蔓延させてしまったことは、今に始まったことではないだろう。

若い人達は、政治がどうなろうが、私生活と密接に影響し合っていることにそう気付くこともなく、必要な時に、官公庁に出向き、手続きを済ませる範囲で止まっているのかもしれない。

しかし私は、若者が政治離れをしているのではなく、「若者は政治に関心がないだろう」という概念を持った政治家が、若者を政治から遠ざけていると思っている側です。

いずれにせよ、若年層の投票率は年々減少の一途を辿っている。

国民の権利である一人一票という参政権を放棄する人達には、政治とは関係のない別世界にしか見えないのかもしれない。

このままいけば、民主主義たる日本の政治は、国民の信頼を得ることはないだろう。

それは、国民の為に働く政治家ではなく、自分の為に働く政治屋の拡大を意味するのではないだろうか。

知らないということが、政治屋にすれば非常に都合の良いことなのです。

だからこそ、政治の動向に無関心でいられないのです。

私は、政治に関心を持てないということは、日本という国に誇りを持てない、日本という国を愛せないことにも繋がると思うのです。

たとえ人は愛せても、国は愛せない、愛国心を育めない末路になるということを。

日本という国が愛せないということは、それは、今住んでいる地元、故郷愛を育むことも困難なことではないだろうか。

私達は、ただただ、生活をする為に働き、会社の往復を繰り返す日々。

仕事があるのは有り難いことだが、
「日本に貢献している」
あるいは、
「未来の日本を担っている」
そう考えて働いている人は皆無に等しいことだろう。

私は、京都北部の地方で仕事に携わっているので、中小零細企業にスポットを当ててみると、日本において企業の数は386万社で、そのうち大企業はごく一部であり、全体の99.7%にあたる385万社は中小企業です。

企業の従業者数の割合を見ても、大企業に勤める人は約30%で、中小企業が約70%と多く、企業数、従業者数から見て中小企業が日本経済に極めて重要な存在です。

中小企業は、事業活動を通して、日本の雇用の大部分を支える一方で、私達にとって欠かせない財やサービスの提供を行っています。

また、こうした中小企業者の積極果敢な挑戦が、産業構造に絶え間ない新陳代謝をもたらしては経済成長を牽引し、多様な経済社会の創造に寄与しています。

地域を、日本を、より元気にする。

その原動力となるのは、全企業者の99.7%を占め、日本経済を支える中小零細企業の皆さまに他なりません。

実は、私達は日本の為に尊い尊い仕事をしているのです。

だからこそ、誇りを持った生き方を、国民全ての方々に意識を持って頂きたいのです。

その誇りとはなにか。

日本に生まれた誇り、日本人としての誇りです。

しかしながら、日本人の多くは、学歴、年収、家柄、容姿などを気にしながら、思想や信仰の違いを隠しながら、建前社会で生きているのではないだろうか。

子供にすれば、ブームに乗り遅れないようにと、気を張って生きているのではないだろうか。

ブームに乗り遅れると仲間外れにされるのではと、子供なりに分かっているからです。

他人からどう見られているのか、どう思われているのか、これらは、結局のところ世間体によるものです。

今の日本では、なにが正しいかどうかで決めるのではなく、世間がそれをどう思うかで決められているようなもの。

周囲と合わせないことは恥ずかしいと思う。まさに、世間様から見て恥のないように生きる。

これが、戦後日本人の心に植え付けられた「恥の文化」なのです。

そのような小さなモノサシで、同じ日本人同士が侮辱し合い、足を引っ張り合うことは、日本の為には決してならないはずです。

失うものが無い者は強いと聞きますが、実によくできた言葉です。

しがらみの無い者は強いのです。

誰しもが自分を守りたいと思っているなか、世間の目から見たお飾りを身に付けたとしても、所詮は虚しく、もろいものなのです。

だからこそ、心の底から涌き出るような自信、誇りというものを、日本人は持たなければなりません。

戦前の日本は、欧米を追い越し追い越さんとする志がありました。

夢を描き、信念を曲げずに貫く日本であってこそ、本来、日本人の持つ高貴なる誇りを取り戻すことになるのです。

小さな枠に捕らわれず、従来の常識に迎合しない大きな大きな考えを持った日本へと舵を取ることが、今の日本に求められていると思ってやみません。

考え方次第で、人は変わることができます。

時間は掛かりますが、国民全体の意識が変われば、日本も変わります。

変わらざるを得ないのです。

若い方にすれば、やりたいことがなかなか見つからないというような環境です。

今の環境下では、立志することも難しいかもしれませんが、やはり、その環境をも、心ひとつで変えていくことができるのです。

私は、30代の若者であるからこそ、未来を支えている現役世代に、そして、これからの未来を担う同世代に、強く強く呼び掛けていこう。

信念を貫き、必ずや、日本の政治を変えて参ります。


真下こうじ