ふつうに考えれば「できる」というのと「使える」というのは異なる事柄だ、ということはすぐに分かる。

古い壊れた電気製品を新品同様に直すには、例えば50万円かかったとしよう。しかし、同機能の電気製品が10万円で買えるとしたら誰も直そうとはしないだろう。

特別に価値のある骨董品ならいざ知らず、普通の家庭用のものなら直す者はバカである。無駄遣いなんだから。

 

しかし、そういう間違いは現実には大手を振って歩いている。リサイクルとか再生可能エネルギー、太陽光発電や風力発電なんぞはみんなそうだ。火力発電すれば安くできる電力をわざわざ大金をかけてクズ電力を作る。まさに資源と金の無駄遣いと公害まき散らしだ。

なぜそうするかは、地球温暖化の原因であるCO2を減らすためだという。しかし、地球温暖化がCO2が原因でないとすれば全く意味のないことをやっているし、百歩譲って仮にCO2が原因であるとしても、太陽光発電、風力発電、EV化等々みんなそれを作り出すために後ろでCO2を大量に排出している。しかしそれは見て見ぬふりだ。

 

最近核融合発電が有効だという報道が目に付く。

「核融合発電は、原子核同士を結合させてエネルギーを生み出し発電する技術です。燃料となる重水素は海水中に豊富に存在しており、低コストで莫大なエネルギーを得ることができます。また、化石燃料を燃やさないため、二酸化炭素(CO2)の排出もありません。
核融合発電では、水素は数千度以上に加熱され、水素原子核の陽子と電子が自由に飛び回る「プラズマ」の状態になります。この高温のプラズマを制御することで、原子核同士が衝突し、核融合反応を起こすことが可能となります。核融合反応によって生じるエネルギーは非常に大きく、大量のエネルギーが放出され発電に利用されるのです。

核融合発電では、前述のように燃料として重水素を使用します。重水素は海水中に豊富に存在しており、その供給はほぼ無限と言えるほどです。一方、現在日本において発電量の多くを占める化石燃料に依存した発電方法では、地球上の資源が枯渇していく可能性があります。核融合発電の利用によって、資源の枯渇問題に対処することが可能になります。


     核融合発電の仕組み

・排出物削減による環境負荷の軽減

核融合発電は、発電過程でほとんど排出物を生成しません。現在の原子力発電所では、核分裂によって大量の放射性廃棄物が発生しますが、核融合発電ではそのような廃棄物の生成が少なく、また生成されても放射能は速やかに減衰されます。また、二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量も極めて少ないため、環境負荷を軽減できます。

核融合発電はエネルギー安全保障にも貢献します。核融合炉は非常に安全性が高く、事故や放射性廃棄物のリスクが少ないとされており、原子力発電所のようなリスクを抱えることなく、安定したエネルギー供給が可能となります。
将来的な展望としては、2030年代には核融合発電が実用化される可能性があります。さらに、2050年以降には広く普及し、持続可能なエネルギー供給の一翼を担うことが期待されています。」(ネットより)

 

地球温暖化批判や脱炭素政策に批判的なキャノングローバル戦略研究所研究主幹の杉山大志氏のYouTubeをみると核融合発電に好意的なようだ。

 

 

 

 

ちょっと変です。

核融合発電も再生可能エネルギーも言っていること、つまり調子のいい言い方は両者ともに同じなのに、なぜ脱炭素批判など鋭い杉山氏は核融合発電を評価するのでしょうか。不思議です。

将来の大げさな話・夢に目がくらんだんでしょうか。

 

これも先に述べた「できる」というのと「使える」というのは異なる事柄だという例なんだと思われます。

でも話が大げさになるとそういう基本を忘れてしまうのですね。

 

再生可能エネルギーや地球温暖化CO2について鋭い批判をする近藤邦明氏の説を見てみましょう。

核融合について近藤氏の見解

核融合による無限のエネルギー供給という幻想についてです

太陽では自身の持つ強力な重力場によって安定的な核融合反応が持続的に生じています。この核融合反応を地球という小さな重力場で安定的に継続して実現することには無理があります。核爆発による一時的な強力な圧縮・高熱を用いる水素爆弾以外に「実用的」な技術は存在しません。
 もし地球上において核融合反応が安定的持続的に継続できる「場」を作り出そうとすれば、その場を形成するために莫大な資源と工業的なエネルギーの投入が必要になります。

この問題は既に1970年代に理化学研究所の研究員であった槌田敦によって検討され、エネルギー産出比が1.0を超えることはないので無意味であると結論されました。槌田はこの研究を基に資源とエネルギーの有用性について「資源物理学」あるいは「槌田エントロピー理論」として知られる理論体系をまとめました。
 付言すれば、地球上における核融合は太陽のように水素Hの核融合ではなく、重水素D(=2H)と三重水素(トリチウム、放射性元素)T(=3H)を用いるD-T反応です。トリチウムは自然界にはほとんど存在しないため核融合で用いるには原子炉で工業的に生産することが必要です。核融合炉は決してクリーンなエネルギーではなく、膨大な高レベル放射性廃棄物を作り出します。
 さらに、核融合は本来超高温熱を供給するだけの言うならばボイラーの熱源にすぎません。高温熱から有用な仕事を取り出すためには冷却することが不可欠になります。これによって、生み出された熱エネルギーの多くが廃熱として環境中に拡散することになります。
 これらを考慮すれば、熱核融合炉を工業的に利用するなどというのは愚かな発想だということがわかります。
 核融合に対する幻想の根源にある誤りは、供給される熱エネルギーの大きさばかりが強調される一方で、それを実現するための設備建設や運用に対して投入される莫大な資源や工業的なエネルギー量に対する考察を怠っているからです。

つまり、これも再生可能エネルギーに対する幻想と本質的に同じ構造を持っているのです。」

(引用終わり)

 

ここで言われているのは、まさに「「できる」というのと「使える」というのは異なる事柄だ」ということです。みんな発電とかエネルギーとか無尽蔵のことになるとみんな「アホ・バカ」になってしまうようです。

 世界のナベアツ

3のつく数字や3の倍数でアホになるネタで人気を取った「世界のナベアツ」さん(今は落語家に転向し桂三度)と同じで、再生可能エネルギーとか核融合発電とか「無尽蔵」いうと「アホ」になる!

 

エネルギーと社会を考える基本が分かっていないから「アホ」になるんですね。

核融合発電も出来るんでしょうね、科学的かつ技術的にも。

でも「使える」とはいえないんですね。

 

だから、こういう問題を評価するときは「出来る」よりも「使える」という点のほうが大事になるのです。

「使える」とは、100円儲ける(価格)ために1000円もコストをかけていたら、それは「使えない(元が取れない)」ということでしょう。簡単な理屈です。

 

これを先の近藤邦明氏は次のように言っているのです。

自然エネルギー発電の本質とは発電装置の工業的な生産である」

 

 

「つまり、すべて発電というのは工業生産プロセスを経て取り出されるものであり、自然エネルギーとて例外ではない。自然エネルギー発電とは、自然エネルギーを何らかの工業製品である発電装置によって捕捉して電気に変換する過程であり、自然エネルギー自体の無尽蔵性が本質なのではなく、自然エネルギー発電の本質とは発電装置の工業的な生産であると捉えないといけないということである。」

 

自然エネルギーを考えるとき、目を向けるべきは「自然エネルギーの無尽蔵さとか自然にやさしい」とかではなく、工業的な生産品としての自然エネルギー、それは太陽光パネルの生産、巨大風車の生産、そしてそこから生じた電気を安定的に社会全体のエネルギーとして利用可能にするまでの装置群いわば自然エネルギー発電システム総体として捉えないと、自然エネルギーを間違えてしまうということだ。

これは核融合発電にも当てはまるだろう。

 

無尽蔵に騙されてはいけない。

只ほど怖いものはない、というのが処世訓であるのは誰でも知ってるよね。