前回のブログ記事では、使い捨てフォーク・スプーンの有料化を画策する小泉進次郎大臣を笑いとばしましたが、去年のレジ袋の有料化の際に、「レジ袋を全部無くしたところで、プラスチックごみの問題は解決しません」と凄い発言をテレビでしていたようです。
こんな本音を言ったとは全く知りませんでした。大臣が施策の効果を完全否定していたのです。
それでも国民にバカげたことを強いる目的について、次のように説明していたようです。
それは去年の7月29日にBSフジのプライムニュースで、視聴者からの次のような質問に、小泉進次郎大臣は回答したのです。
視聴者
「レジ袋の有料化で買い物が不便極まりなくなりました。そもそも食料品をマイバックに入れるのは不潔です。レジ袋はゴミ捨てにかかせず便利で有用です。ごみを入れたまま燃やすことにも問題ないと思います」
小泉進次郎
「不便極まりないのは申し訳ないなと。レジ袋を全部無くしたところで、プラスチックごみの問題は解決しません。それが目的ではありません。この有料化をきっかけに、なぜプラスチック素材が世界中の問題となって取り組まれているのか、そこに問題意識を持って一人ひとりが始められる行動につなげてもらいたい。是非ご理解いただけるように引き続き努力をしたい」
つまり環境問題について国民が理解するきっかけにせよと。だから、今回の使い捨てフォーク・スプーンの有料化の際も小泉進次郎大臣は、「コンビニでスプーンなどが有料化されれば、自分でスプーンを持ち歩く人が増えていく。こうしたことでライフスタイルを変化させていきたい」と言い、しきりに国民の行動様式を変えたいと訴えるのだ。
ここでも当然「使い捨てスプーンを全部無くしたところで、プラスチックごみの問題は解決しません。それが目的ではありません。」ということだろう。
ライフスタイルを強制的に変えようとするなんてなんと危険で愚かなことか。コロナでみんなこういう発想にマヒしてしまったようだ。
この進次郎の発想はとても恐ろしい、というしかない。共産主義者の発想・思想だ。
つまり「目的のためには全てが許される」「目的のためには全ての手段が許される」という恐ろしくも愚かな発想。米国の民主党がトランプ大統領を落選させるためには不正選挙も許されるとした発想と全く同型である。
「プレジデント オンライン」に次のようなレジ袋有料化の際の小泉進次郎批判が載っていた。著者は渡瀬裕哉早稲田大学公共政策研究所研究員である。
「愚民のために啓発を促す上級国民の進次郎くん
小泉大臣は、レジ袋有料化はプラスチックごみの問題は解決せず目的でもないと明言している。つまり、この政策には環境改善効果は何も期待されておらず、今すぐやめたとしてもほとんど何も問題ないのだ。小泉大臣は他メディアでもレジ袋有料化に言及されるたびに同様の趣旨の回答を行っており、どうやら冗談で言っているわけではなさそうだ。
実際、レジ袋は全国の自治体のゴミに占める割合が0.4%でしかない。レジ袋を集中してやり玉に挙げたところでほとんど意味がない。また、レジ袋を焼却したところで有害物質が出ることもないし、そもそも単なる石油精製時に生じる副産物でしかない。従って、レジ袋に罰金を科すことは全く無意味である。
では、この政策自体は何のためにやっているのか。小泉進次郎大臣曰く、レジ袋有料化の目的は国民の「啓発」が目的だという。
国連も認める日本の「高度な廃棄物管理システム」
小泉大臣の主張は、国民はプラスチックごみの問題について話しても理解できないだろうから、レジ袋有料化という無意味な痛み(事実上の税金)を与えることによって無理やり認識させてやろう、と言っているに等しい。
民は無知蒙昧であり鞭を振るって罰を与えねば分からない、とは、中世の愚昧な支配者そのものの発想である。世襲政治家特有の思想と発言と言えるかもしれない。
では、日本国民は小泉環境大臣よりも愚昧な存在なのだろうか。ろくに社会経験もない世襲政治家に指導される、北朝鮮のようなレベルまで日本国民は劣化しているのだろうか。(後略)」
渡瀬氏は「民は無知蒙昧であり鞭を振るって罰を与えねば分からない、とは、中世の愚昧な支配者そのものの発想である。」と中世の愚昧な支配者に擬しているが、それでは指摘が甘すぎる。私が指摘したように、それは共産主義者の発想、革命の発想なのだ。
国民は無知だから啓蒙しなくてはならない、というのはまだ許せるのである。しかし、問題はその啓蒙の仕方だ。罰とか有料化とか国家権力を背景にして罰を与えて啓蒙する思想。果ては逮捕、投獄だろう。
小泉進次郎は、環境政策に立場上か本気か知らないが、世界から日本は相当遅れていると勝手に思っているようだ。そして初大臣として成果を上げなくてはならない。だから、普通のPR活動での啓蒙では、百年河清を待つことになる。そんな悠長なことは言ってられない。「明日のエコでは遅すぎる」(NHK)のである。
ここで共産主義的発想が生まれてくる。
松山大学の松崎昇という教師が「左翼の病理について」という論文を書いて、次のように言っている。
「革命という発想のこわさ
共産主義イデオロギーが要請する最上の手段,それが革命行為である。革命とは,対象の全否定である。「新しい社会・文化を構築するためには,旧来のしがらみなんかに拘泥していてはいけない,そんなことをしていては理想をパーフェクトに実現することなんかできやしない,旧来の社会・文化を弊履のごとく全面的根本的に捨て去り,一から構築するにしくはない」というわけである。
(中略)
理性が革命を呼び寄せる。革命の,革命主義の恐ろしさは「目的のためには手段を選ばない」という独善的発想にある。「俺達がやろうとしていることは,やっていることは,真理だ! 正義だ! だから,それを実現するためならば,何をやってもいいんだ」となる。目的は手段を浄化するというわけである。当然これはネガティヴな方向へと働く。「われわれは革命家だ!だから何をやっても許されるんだ」という強弁から謀略虐殺等々といった事態までは,ほとんど必然的な因果経緯にある。中途半端に立ち止まった者は,踏み倒されざるをえない。左翼の病理の本質はここに存する。」
(引用終り)
小泉進次郎大臣がエコ・環境政策に本気で取り組めば取り組むほど、この左翼の病理に取り込まれてしまう。
「俺達がやろうとしていることは,やっていることは,真理だ! 正義だ! だから,それを実現するためならば,何をやってもいいんだ」
そして、松崎氏が書くように「中途半端に立ち止まった者は,踏み倒されざるをえない。」のである。
つまり、この発想・この運動には歯止めがないのである。
レジ袋有料化の次は全く効果が見られない使い捨てスプーンの有料化。もう小泉進次郎が大臣でいる限り、中途半端に立ち止まることはできず、次々とバカげた施策を繰り出してくるはずである。
小泉進次郎もいつまでも環境大臣などやってはいないはずだ。しかし、次に想定できる恐ろしいことは、この全体主義的思想で行われたことを、成果を上げた、能力がある、行動的だとおだてられ、次に左翼に喜ばれそうな大臣に就任することである。
たとえば、男女共同参画大臣とかポリ・コレ担当大臣(今はそんなものないが)になったら、差別とかLGBTとかの政策はみんな罰則付きになって国民を啓蒙していくことだろう。恐ろしい未来が待っている!
啓蒙とは、「蒙」は暗い、愚か、無知を意味し、「啓」はひらくという意味だ。(最近は啓蒙という言葉は差別に通じるらしい。それこそバカげているが。それは、啓蒙は、まったく無知な状態にいる人に教えることで、啓発は、足りないことや新しい知識をを教えることであり、相手を啓蒙するというのは、相手がバカだ無知だと指摘するのと同じになり、啓蒙は、使い方によっては差別や不適切と捉えられる場合があると解説されている。バカバカしい。)
小泉進次郎は愚民を啓蒙したいようだが、啓蒙されるべきは小泉進次郎の方だろう。愚かで無知で危険なのは小泉進次郎なのだから。