前の記事では、座談会を一つの例として取り上げて書きました。
具体的に何をどうすればいいのか?
この問いに明確に答えを示したのが私は新・人間革命だと確信しております。
一切が山本伸一の振る舞いとしてその答えを明確に示しております。
ですから新・人間革命、人間革命は創価の教科書だと思っています。
数年前になるだろうか、私の尊敬する先輩から新・人間革命の勉強会を
立ち上げたと聞いたのは。
即断で参加を希望、以降電車を乗り継いで毎月参加した。
一時、コロナ禍がありオンラインになったが現在も継続中です。
今では聖教新聞の声の欄に”新・人間革命勉強会やってます”との記事は
時々見かけ、全国各地で自主的に行われているのがわかる。
しかしそこまでに至る経緯はあまり書かれていません。
新しい試みにいろいろと難癖をつけてくる幹部はどこにでも居るようです。
それはさておき、私が立ち上げたグループは、お茶の出ないお茶会で、
座談会でも勉強会でもない、単なる集まりとして開催している。
表向きは。
創価学会とは無関係の同じ町内の方々が集まりという体裁。
ただ、偶然にも(笑)学会員で手に大白蓮華を持って参加しているだけなんです。
あくまでも単なるお茶の出ないお茶会であります。
ですから、誰も何の文句も言えません。言える権利もありません。
そのお茶のでないお茶会、すでにその遠因から数えると3年は継続中です。
もちろん、式次第なんかありません。巻頭言も読みません。
でも読みたい方はどうぞです。
御書講義?やってもやらなくても自由です。
ここ読んでもわからへん。という発言があれば出来る人がやるでしょう。
その役たぶん、私です。
ここでよくある発言なんですが、喋りたい方もいれば聞きたい方もいる。
いちいち発言を促さないし(そんなん不自然ですよね)、
第一、司会なんていません。
毎月、新しい人に声かけますが、概要を聞いて遠慮する幹部もいます。
座談会で会わないメンバーも居るのに、どういうお気持ちなんでしょうか?
毎月、第◯週の◯曜日、午後◯時から◯◯宅と、
拠点提供者の急用が重ならない限り、開催日を固定しているので、
メンバーが勝手に増えてくる。
当初、こじんまりと5人程度でやっていたのが増えてくると忌憚ない話が
人間関係上、やりにくくなります。
もともと、集める人数など一切気にしていないし、逆に多くなると
踏み込んだ話もしにくくなるので、今のところの課題は此の点です。
ほんらい、座談会はこうあるべきだし、人数に流されて会の進行に
流されるから式次第を設けてあるのであって、集まった全員が
その点を微妙に調整して話は進んでいくので式次第なんて不要です。
しかし単なる雑談の場で終わらないのがすごいのです。
そこは各自が見事に役割分担されていて、みなさん振り返って
あれは良かった感動したと次回に続くのです。