ブギウギに見る同苦の難しさ | 千里の一歩大海の一滴

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15日放送のブギウギは、

スズ子が幼馴染のたい子の家に行くトコロから始まる。

しかし、たい子は夫を戦争で亡くし病に伏していた。そこへスズ子と出会う。

しかし、「他人のあんたには関係ない」とスズ子を拒絶する。

スズ子はたい子の力になりたいとの思いはよく分かる。

しかし変わり果てた姿を幼馴染に見せたくはない。

たい子の気持ちもよく分かる。

当時は終戦直後。

誰しもが戦争による苦しみ悲しみを抱えながら

一日、一日を砂を噛むような思いで過ごしていた。

だが誰の哀れみも受けたくはない。

しかし、スズ子には辛酸を嘗めるるような毎日を過ごす親友を

そのまま見過ごすことも、それも出来ない。

どうすればいいのか?その答えは誰もわからない。

だが唯一、言えることは

改めて戦争の悲惨さ、愚かさを知ることだった。

「同苦」と言葉では言えても、

どうすればたい子の心に希望のともしびを灯せるのだろうか?

 

 

池田大作全集88巻282頁

「御本尊は信心の本尊」

「この御本尊も只信心の二字にをさまれり」日女御前御返事2088頁

 

 

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