やりたいことが何なのか

 

生きていれば自然にそれが見つかって

夢中になれる人生を生きられると思っていたけど

 

非ダイヤのままでは

無理な話だったと知った中年女の絶望たるやネガティブ

 

やっこさんの記事が沁みる(好き物申す

 

 
今まで自分が選んできた人生の選択は
「(他人に認められる)自分(になるに)は何を(するべき)したいのか?」
 
この(カッコ)の内側に気づいていなかった
 
 
他人から認められる自分になることが目的だとも気づかず
意気揚々と「やりたいことやってる」ヅラニヤニヤして
「私はこんな事してます」という主張をしてきた
 
 
好きなはず・向いてるはずと思い込むための言い訳とか
正しい選択なのだと理屈はこねられるが
 
結局は失敗するという現実滝汗を繰り返す
 
 
 
途中でやめることが怖くて
(続けられない奴と思われたくない)
 
大した成果も得られないまま
ズルズルと続けることになり
時間を無駄にするという繰り返しで人生が作られてきた
(何この人生マジでゲロー
 
 
 
 
昨年の春から始めた通信制大学での勉強も
「単位が取れる方法」を知ってしまった後は
内容が全然頭に入ってこなくて
まるで仕事のように作業的に単位を取っていくだけだった
 
 
他人から認められる自分になるための選択
これをしている自分なら許されると思える選択だったと
1年以上やってきて結局は認めるハメになった
 
 
 
自分と向き合ってきてもなお
このような選択をする自分に絶望したチーン
まずはその現実を認めることにした
 
 
人生の選択をする段階の前に抜けていることがあるから
こうやって今までと同じことを繰り返すのだ
 
 
そこを考えていくと
今の自分は
 
過去を認めること
発散が足りていないことに行き着いた
(脳内の理想も下げられていなかった)
 
 
この部分を都合良く「やったこと」にして逃げてきたから
頭では理解していても現実が変わらないままだったのだ
 
 

 

 
 
上記のすんばらしい記事にもあるけど
ますは発散することにした
 
 
発散方法として自分に向いているもの、、、それは断然クソダンスバレエランニング
 
 
踊ることが楽しいということを
クラブ通いのおかげで10代で知り
踊ることに抵抗はない
 
 
K-POPが好きになってからは
ダンスを習いたいなと思っていたけど
不登校の息子が
私がダンスを習いに行くことを不安がっていたので躊躇していた
 
 
 
 
 
ああバレエ踊りたいな
踊りたいバレエバレエ
踊らせろバレエバレエバレエ
私を踊らせろバレエバレエバレエ
そんな欲求が高まってきて
 
 
家でもできるじゃんバレエ今どき
ただやらなかっただけじゃん
そんな突っ込みを自分に入れ
 
やらなかった過去も含めて認めた上で
リアルに重かった腰をやっと持ち上げた
 
 
好きな音楽に合わせて
踊ったり自由な動きをしている私を見て
息子は困惑した表情で
 
 
キョロキョロ「キモイ動きをしているおばさんがここにいます」
えー「人に見せられません」
キョロキョロ「お巡りさん、ここですびっくりマーク変態がいますびっくりマーク
 
 
こんなツッコミを入れながら
5分に1回くらい私が踊っている部屋に様子見しに来る息子
 
 
扇風機の風力を「強」にしてこちらに向けてきたり
観ている動画にツッコミを入れたりと
何かとちょっかいをかけてくる
(それがまたカワイイんだけど飛び出すハート
 
 
 
今まで見たことのない踊る母(しかも巨体)の姿に
どう反応していいのか
わからないんだろうなと思ったが
 
ツッコミを入れてくれたのは初日だけで
翌日以降は
 
ニヤニヤ「ちょっと踊ってくる」
 
ニヤリ「はーい」で終わりだった
 
 
やってみたらそのくらいのことで
私の奇行バレエに見えた姿も
息子はあっという間に慣れてしまった
 
 
踊ることを日課にし始めたら
身体が軽くなって
家事も仕事も苦にならなくなってきた
 
 
気の済むまでまずは踊るぞバレエニコニコ