前回は国鉄時代の青春18きっぷを振り返ってみた。
今回はJR初期、1980年代後半から90年代前半の青春18きっぷを振り返る。

↑ JRがスタートして1年後、昭和63年(1988年)春の青春18きっぷ。
切符のデザインや利用方法などは国鉄時代と変わらない。国鉄の文字に変わり、「東」や「西」のように各地域を表す文字が表記された。

↑ 券面の表記は「国鉄全線」から「旅客鉄道会社全線」に変わった。当時私は中学を卒業し、高校入学を控えていた。「旅客鉄道会社全線」の文字を見て、JRという呼び名が定着しているのに、なぜ「JR全線」と表記しないのか訝しんだ。
券面に「米沢」「山形」と途中下車印が押してある。当時の東北線普通列車は583系寝台特急を改造した715系で、奥羽線は50系客車が主流だった。4駅連続スイッチバックで有名な板谷峠を客車列車で越えたのは貴重な経験であった。

↑ 高校1年の正月明け早々、昭和から平成に変わった。平成元年(1989年)春の青春18きっぷ。
これは現在のわたらせ渓谷鉄道の前身、足尾線の足尾駅発行。日付は3月19日。足尾線は3月28日が最終日だった。
通常の乗車券で足尾まで行き、足尾駅で青春18きっぷを購入した。廃止間際のローカル線の駅で発行された青春18きっぷは貴重だが、30年以上経過した今見ると、そこまでこだわった自分の物好きさにちょっと恥ずかしさもある。
ちなみに青春18きっぷの下に見えるのは、当時の足尾線の時刻。

「1.3.28」。平成元年(1989年)3月28日。この日は足尾線の最終日。
足尾駅で購入した青春18きっぷを利用し、足尾線にお別れ乗車をした。「水沼」「神土」の途中下車印が見える。

↑ 足尾駅で購入した青春18きっぷの残りを使い北陸へ出かけた。
「岩瀬浜」の下車印が見える。これは現在の富山ライトレールの前身、富山港線の終点、岩瀬浜駅である。これは我ながら貴重な記録ではないかと思う。

↑ 平成2年(1990年)春の青春18きっぷではじめて関西と四国を訪ねた。
その頃、兵庫県北部の鍛冶屋線が廃止直前であった。「中村町」というのは終点、鍛冶屋の一つ手前の駅。
「鍛冶屋駅」という印字は切符発行箇所を示すもので、正確には下車印ではない。廃止間際のローカル線はどこでも鉄道ファンが大勢訪れ、記念入場券などを求める人が多い。多忙な駅員に細かい注文を言うのも悪いので、場所が証明されるものが押してあるだけで満足している。
券面に「豊岡」「和田山」の文字も見える。鍛冶屋線のあと、これも廃止間際の宮津線(現在の京都丹後鉄道)にも乗った。宮津線内の駅が押されていないのは、途中駅で長い停車時間がなく、車外に出られなかったためである。

↑ 90年代前半、正確には覚えていないが、青春18きっぷは5枚つづりの常備方式の冊子から、窓口の機械が5枚1組で発行するようになった。
地域によっては常備券をその後もしばらく販売していたそうだが、私は切符の安さと使い勝手の良さが保たれていれば満足していた。

↑ 最後にこれは変わり種。知人から購入した。どこかの旅行会社で発券した青春18きっぷ。値段は同じだが、さすがにこれは味気ない。
その後、青春18きっぷは1枚で5回利用となり、消費税率アップのたびに金額も上がった。北陸、東北、九州などで新幹線が開業するたびに在来線は別会社になり、青春18きっぷで乗車できない区間が拡大された。年々社会状況が変化しているとはいえ、今度の5日連続利用に限るという発表は、私にとって青春18きっぷの旅に終止符を打つものである。若い頃の青春18きっぷは保存するとしても、近年使用した青春18きっぷはもう処分しようと思っている。
さようなら、青春18きっぷ。