かつて上越線で運転されていた185系特急「水上」。
上越線の渋川から北は山あり谷あり、好撮影ポイントが多い。
2005年から08年頃、「水上」を何度も撮影した。
何回かに分けて「水上」の記録をまとめることにする。

今回は紅葉シーズンに撮影した「水上」。
 


 

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紅葉の諏訪峡を走る185系「水上」
この当時は上野-水上間を3往復運転
上牧-水上 2005年11月

 
 
 
 
 
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車窓に諏訪峡が見えると終点・水上は近い
利根川の上流もこの辺りでは渓流のような趣きだ
上牧-水上 2005年11月

 
 

 

 

 

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諏訪峡の紅葉の見ごろは11月上旬から中旬
上牧-水上 2005年11月
 

 

前回は国鉄時代の青春18きっぷを振り返ってみた。
今回はJR初期、1980年代後半から90年代前半の青春18きっぷを振り返る。

 

 

 

 


↑ JRがスタートして1年後、昭和63年(1988年)春の青春18きっぷ。
切符のデザインや利用方法などは国鉄時代と変わらない。国鉄の文字に変わり、「東」や「西」のように各地域を表す文字が表記された。

 

 

 

 

 


↑ 券面の表記は「国鉄全線」から「旅客鉄道会社全線」に変わった。当時私は中学を卒業し、高校入学を控えていた。「旅客鉄道会社全線」の文字を見て、JRという呼び名が定着しているのに、なぜ「JR全線」と表記しないのか訝しんだ。
券面に「米沢」「山形」と途中下車印が押してある。当時の東北線普通列車は583系寝台特急を改造した715系で、奥羽線は50系客車が主流だった。4駅連続スイッチバックで有名な板谷峠を客車列車で越えたのは貴重な経験であった。
 

 

 

 

 

↑ 高校1年の正月明け早々、昭和から平成に変わった。平成元年(1989年)春の青春18きっぷ。
これは現在のわたらせ渓谷鉄道の前身、足尾線の足尾駅発行。日付は3月19日。足尾線は3月28日が最終日だった。
通常の乗車券で足尾まで行き、足尾駅で青春18きっぷを購入した。廃止間際のローカル線の駅で発行された青春18きっぷは貴重だが、30年以上経過した今見ると、そこまでこだわった自分の物好きさにちょっと恥ずかしさもある。
ちなみに青春18きっぷの下に見えるのは、当時の足尾線の時刻。

 

 

 

 

 


1.3.28」。平成元年(1989年)3月28日。この日は足尾線の最終日。

足尾駅で購入した青春18きっぷを利用し、足尾線にお別れ乗車をした。「水沼」「神土」の途中下車印が見える。

 

 

 

 

 


↑ 足尾駅で購入した青春18きっぷの残りを使い北陸へ出かけた。
「岩瀬浜」の下車印が見える。これは現在の富山ライトレールの前身、富山港線の終点、岩瀬浜駅である。これは我ながら貴重な記録ではないかと思う。

 

 

 

 

 


↑ 平成2年(1990年)春の青春18きっぷではじめて関西と四国を訪ねた。
その頃、兵庫県北部の鍛冶屋線が廃止直前であった。「中村町」というのは終点、鍛冶屋の一つ手前の駅。
「鍛冶屋駅」という印字は切符発行箇所を示すもので、正確には下車印ではない。廃止間際のローカル線はどこでも鉄道ファンが大勢訪れ、記念入場券などを求める人が多い。多忙な駅員に細かい注文を言うのも悪いので、場所が証明されるものが押してあるだけで満足している。
券面に「豊岡」「和田山」の文字も見える。鍛冶屋線のあと、これも廃止間際の宮津線(現在の京都丹後鉄道)にも乗った。宮津線内の駅が押されていないのは、途中駅で長い停車時間がなく、車外に出られなかったためである。

 

 

 

 

 


↑ 90年代前半、正確には覚えていないが、青春18きっぷは5枚つづりの常備方式の冊子から、窓口の機械が5枚1組で発行するようになった。
地域によっては常備券をその後もしばらく販売していたそうだが、私は切符の安さと使い勝手の良さが保たれていれば満足していた。
 

 

 

 

 

↑ 最後にこれは変わり種。知人から購入した。どこかの旅行会社で発券した青春18きっぷ。値段は同じだが、さすがにこれは味気ない。

その後、青春18きっぷは1枚で5回利用となり、消費税率アップのたびに金額も上がった。北陸、東北、九州などで新幹線が開業するたびに在来線は別会社になり、青春18きっぷで乗車できない区間が拡大された。年々社会状況が変化しているとはいえ、今度の5日連続利用に限るという発表は、私にとって青春18きっぷの旅に終止符を打つものである。若い頃の青春18きっぷは保存するとしても、近年使用した青春18きっぷはもう処分しようと思っている。
さようなら、青春18きっぷ。
 

 

30年以上利用してきたJRの青春18きっぷが今冬から大幅に改悪される。期間中に分けて利用したり、複数人で使いまわしたり、自由度の高さが利点だったのに、5日連続利用のみに限るとした時点で、これはもう青春18きっぷとはまったく別物の切符である。

休日に細かい予定を立てずにふらりと出かけたり、所用で東京への往復に利用したり、友人の使い残しを買い取ったり、またその逆のパターンもあったり、青春18きっぷは様々な使い方をしてきた。おそらく大多数の人が私と同じような経験をお持ちのはずである。それが今後できなくなるのだから、とてもじゃないが買う気になれない。青春18きっぷは実質的に廃止されたと受け止めている。個人的には旅行の選択肢が減るとともにJRの利用も激減するだろう。

民営化して最初の5年くらいのJRは、国鉄時代の全国ネットワークの利点を維持してきたが、地域ごとに分割されたため自社の利益にならない切符(周遊券)などは順次廃止された。次第に自社のみ有効の切符やネット割り引きに重点が置かれ、利益の出る新幹線や特急、あるいは豪華列車に注力するようになった。JRは安い切符を利用する人より、富裕層とか株主に目が向いている。
JRに対する不満や愚痴を言い出したらキリがないが、これを機会に青春18きっぷの思い出を振り返ってみたい。

私が初めて青春18きっぷを使ったのは1986年頃と記憶している。当時は国鉄時代の末期で民営化を翌年に控えていた。私は中学2年生だった。

 

 

 


↑ おそらくこれが初めて利用した青春18きっぷ。
昭和61年(1986年)4月2日。この時、同級生と急行「能登」の寝台で金沢へ行き、その帰りに青春18きっぷを利用した。北陸線、信越線、上越線経由で普通列車を乗り継いだ。
当時は5枚一組1万円。一枚あたり2000円。もちろん消費税はない。5枚のうち、残りを友人とどう使い分けたか記憶が定かではない。

 

 

 

 


↑ 次は昭和62年(1987年)春の青春18きっぷ。

この年の3月限りで国鉄は終わり、4月1日からJRとして再出発した。有効期間内に国鉄とJRを跨ぐわけだが、JRになってもそのまま利用できた。
この記事を書くため久しぶりに昔の青春18きっぷを眺めてみたが、懐かしさがこみあげてくる。
当時は5枚一組の冊子として販売されていた。「青春18」のロゴもいいデザインだと思う。カードやスマホ決済全盛の現代から見ると、手作りの切符の温かさを感じる。

 

 

 

 


↑ 「62.3.29」。駅によって大きい書体の日付スタンプを押してくれた。

国鉄最後の日まであと3日。鉄道少年だった私にとって、国鉄からJRへの移行は、昭和から平成に変わるくらいの大きな出来事だと思っていた。

 

 

 

 


↑ JRがスタートしてほどない昭和62年(1987年)4月5日、甲信地方へ日帰りで出かけた。

高崎から信越線、篠ノ井線経由で松本へ。松本から中央線を小淵沢、甲府、八王子と進み、八高線で高崎に戻った。


(次回はJR初期の青春18きっぷ)
 

 

こんなものは青春18きっぷではない。改悪以外の何物でもない。青春18きっぷは終わった。
JRが発表した2024年冬季の青春18きっぷの概要を見た感想である。


なんといっても、これまで1枚で5回利用できるのが最大の長所だったのに、5日間連続利用に限るとしたことに腹が立つ。
青春18きっぷの長所は期間中に複数回に分けて利用できる点にある。また複数人で使いまわすこともできる。それが不可能になった。
これはもはや青春18きっぷとはまったく別物の切符である。いっそのこと青春18きっぷと呼ばず別の名称にしたほうがいい。
それにしてもJRは狡っ辛い。わざと青春18きっぷを使いにくくしている。そもそも5日連続で普通列車だけ利用する旅行など簡単にできることではない。新たに3日用を設定したが、1日当たりの金額は高い。自動改札を通れるようにしたというが、そんなことは大した売り物ではない。大幅に不便になったのに、さもリニューアルしたなどと宣伝している。まったく白々しい。


JRにとって青春18きっぷは利益にならない厄介者なのだろう。早く廃止にしたいのが本音ではないか。いきなり廃止したら利用者の反発が大きいから、こそこそフェードアウトする道を探っているのだろう。


私は中学生の頃(国鉄時代の末期、1980年代後半)から、青春18きっぷを利用してきた。近年はコロナの影響もあって利用を控えていたが、今回の改悪発表を見て、私の旅行のプランから青春18きっぷは除外された。
さようなら、青春18きっぷ。


(次回以降、青春18きっぷの思い出を綴ります)
 

 

東北・上越新幹線200系は、同線開業時(1982年)から運転を始め、編成の組み替えやリニューアルを繰り返して約30年活躍した。
200系リニューアル編成は車体カラーが一新され、先頭車両運転室の窓枠の形状が変わった。座席も取り替えられ、固定式だった3人掛けが回転式になった。内外ともに生まれ変わった印象を与えたが、国鉄時代に登場した新幹線の元祖という雰囲気は残っていた。
今回は上越新幹線の200系リニューアル編成をまとめた。
 

 

 

 

高崎を通過する上り東京行き200系
この列車は新潟ー東京間ノンストップの最速列車(当時)
2009年12月

 

 

 

 


午後、高崎に到着する200系
2009年12月

 

 

 

 


雪が降る中、高崎を通過する200系
雪が舞い上がり後方は見えない
2004年12月

 

 

 

 


本庄早稲田を通過する200系
2013年1月

 

 

 

 


高崎市郊外を走る200系
全区間高架の上越新幹線では駅以外で編成写真を撮れる場所は極めて少ない
この場所は架線柱、側道、背後の景観が目障りだが、あくまで200系の記録として撮影した
2013年1月