若い時に読んで感動した本を、歳を取ってから久しぶりに再読すると若い時とは違う感想が湧いてくる。以前理解できなかった部分がすらすら読めたり、かつて気が付かなかった魅力を発見したり、逆になぜこんな本に夢中になったのかと冷めてしまったり、同じ本の評価がころころ変わる。そのような本の一つに宮脇俊三の「時刻表2万キロ」がある。





「時刻表2万キロ」は、宮脇俊三が会社勤めの傍ら、こつこつと積み上げてきた国鉄全線完乗の記録を綴った名著である。私もご多分に漏れず青年時代に深い影響を受け、全線完乗を目指したこともあった。以来数十年経過し、刻々と変わる鉄道や自分の意識の変化もあり、少し冷めた目で見るようになった。彼の著作への評価が低くなったという意味ではなく、別の角度から再評価し、自分の鉄道趣味の変遷も考えてみたい。



「時刻表2万キロ」との出会い
 

「時刻表2万キロ」を初めて読んだのは高校生の時(1980年代後半)だった。「時刻表2万キロ」で宮脇俊三の名前が鉄道ファンの間に広く知られるようになったのは1970年代後半だから、彼の著作を読みはじめたのは遅い方である。初めの印象は、世の中にはすごい人がいるものだ、壮大な旅行記録だ、いつかは自分も達成してみたいといったところだ。宮脇俊三が羨望の的のように映ったのは、おそらく大方の読者と同じであろう。
「時刻表2万キロ」に感化され、私が本格的に全線完乗を目指したのは1980年代後半で、既に国鉄からJRに移行していた。年齢で言えば、10代後半から20代前半に最も熱心に乗りつぶしをしていた。とはいえ、全線完乗を達成するには相当な旅費と十分な休暇が不可欠である。宮脇俊三以外にも全線完乗を達成した人の体験談を聞くと、旅費の工面や休暇の確保に四苦八苦する様子が伝わってくる。飛びつく人も多いが途中で挫折する人も多い。私もあきらめた部類に入り、全線の90%を超えたあたりで止まってしまった。


何に惹かれるのか
 

宮脇俊三が全線完乗し「時刻表2万キロ」を書いたのは50歳を過ぎてからである。私も50代になり、彼が一躍脚光を浴びた年齢とほぼ同じになった。若い時は宮脇俊三が雲の上のような存在に見え、「時刻表2万キロ」は名著であると固く信じていたが、同年代になってみると、いささか冷めた視点を持つようになり、何もそこまで乗らなくてもいいのにと思うこともある。一方で、やはり「時刻表2万キロ」には捨てがたい魅力が今でも感じられる。つまり年齢を積み重ねて「時刻表2万キロ」の魅力が変化したといえる。
若い時は全線完乗という記録そのものが眼中にあり、何々線に乗った、乗車キロが何キロ増えた、残りはあといくつとか、数字ばかり気にしていた。50代になると、数字を気にするより、「時刻表2万キロ」の文章(行間)に漂う情感や当時の時代背景などが手に取るように浮かび上がり、彼の真似をしなくても著作を読んでいるだけで満足するようになった。また、記録を重視する旅行記でありながら、乗車した証明写真は一切なく、文章と簡単な地図のみであることにも魅力を感じる。現代は誰でも簡単に写真も動画も撮れる。旅先の風景などをSNSに投稿するのは普通だが、「時刻表2万キロ」には視覚に訴えるものは何もない。実録であると同時に想像の産物のように読むこともできる。


全線完乗の意味
 

宮脇俊三の影響を受けていながら、100%にこだわるのをやめてから久しい。震災や水害で廃止になったり、新幹線開業にともない廃止または第3セクター化されたり、鉄道の状況は年々変化しており、何を基準に100%とするか定義が難しい。そもそもJR以外に私鉄も含めなければ全線完乗とは言えない。さらに路線によっては下りと上りで別のルートの区間もある。あれもこれもと条件を付け加えれば際限のない話になる。100%にどれほどの意味があるのかという根本的な疑問もある。要するに自分のルールで満足すればいいのかもしれない。

 


以下は、宮脇俊三が全線完乗を果たした旧足尾線(現在のわたらせ渓谷鉄道)の終点、間藤駅の写真。

 

 

 


間藤駅の駅舎。わたらせ渓谷鉄道開業後に改築された建物で、広場も整備された。国鉄時代の間藤駅は簡素な駅舎だった
 

 

 

 

待合室には「時刻表2万キロ」が紹介されている

 

 

 

 


「時刻表2万キロ」第13章の全文が掲示されている

 

 

 

 


間藤駅で「時刻表2万キロ」を読んでみるといっそう味わい深いものがある。
 

 

 

2025年4月、月刊誌「鉄道ジャーナル」が休刊した。あらゆる分野で雑誌の部数が減り続ける中、「鉄道ジャーナル」も例外ではないようだ。休刊に至るまでの詳しい事情は知らないが、かつて愛読していた雑誌がなくなるのは名残惜しい。
いくつもある鉄道趣味雑誌のうち、私は「鉄道ジャーナル」が自分の好みに合っていた。1980年代から90年代にかけてほぼ毎号購入していた。2000年以降は興味のある特集号のみ購入し、ここ7~8年はほとんど手にすることがなかった。
読まなくなった理由は、鉄道の情報をインターネットで収集できるようになったことと、長い歳月の間に自分の興味が鉄道以外に向いたことも大きい。
休刊という残念な事態を機に、自分が「鉄道ジャーナル」を初めて手にした時から、毎号愛読し、やがて離れていった過程を振り返ってみたい。

「鉄道ジャーナル」との出会い

私が初めて「鉄道ジャーナル」を購入したのは1984年。当時私は小学6年生だった。



1984年5月号。特集「581・583系電車の旅路」。購入してから40年も経過したので表紙がボロボロになってしまった。
小学生には難解な用語も多く、読んだというより写真を眺めていたのが実態に近いが、「鉄道ジャーナル」の売り物「列車追跡シリーズ」は子供にもなじみやすかった。寝台特急「はくつる」、昼間の特急「はつかり」「雷鳥」のルポを見ながら、専門的なことは理解できなくても、いつかは自分も乗ってみたいと思わせるには十分であった。

永久保存の価値

雑誌や本を長年読み続けると本棚がいっぱいになり、いつかは整理する時が来る。例外なく「鉄道ジャーナル」も処分したものが多いが、捨てる前によく吟味し、資料的価値があると判断したものや、個人的に思い入れのある号は永久保存することにした。
例えば、1987年の国鉄民営化や、翌88年3月から4月にかけて青函トンネルと瀬戸大橋が開業した頃の特集号である。日本の鉄道が大きな節目を迎えた時期だった。

 

 

(1987年5月号表紙)


1997年、長野新幹線開業に伴い廃止された信越線横川ー軽井沢間の碓氷峠および専用機関車EF63は個人的な思い入れが強い。何度も乗り、思い出深い「横軽」の特集号は捨てるわけにはいかない。
ちなみに「鉄道ジャーナル」には読者の投稿欄があり、私の投書も掲載されたことがある。「横軽」廃止に反対する意見を書いた。今読み返すと稚拙な文章だが、これも保存しておくことにした。

イメージとしての鉄道写真


鉄道雑誌には必然的に鉄道車両の写真がたくさん掲載されている。「鉄道ジャーナル」が他誌と違うのは、車両の写真だけではなく、都市、四季の風景、鉄道を利用する人々など、意図的に車両のない写真も掲載されていたことだ。説明の道具としての写真から一歩進んで、鉄道の魅力を連想させたり、解釈に幅を持たせる余裕が感じられた。
そこで特筆されるのは真島満秀氏である。彼の作品は「鉄道ジャーナル」の表紙や巻頭グラビアを飾り、鉄道への郷愁や社会と鉄道の関係性を想起させた。彼の作品によって「鉄道ジャーナル」には一種の「サロン」のような雰囲気が感じられた時期もあった。


独自の視点

鉄道雑誌といえば、車両形式の詳細情報やダイヤ改正に伴う列車の廃止などマニアックな記事を連想する。「鉄道ジャーナル」はそのような情報だけでなく、「ジャーナル」という名称が象徴するように、社会的な視点や文化的な観点から鉄道を考察するところに特徴があった。
具体的には、鉄道と競合する高速バスや飛行機のルポを掲載したり、鉄道趣味自体を考察したり、他誌では見かけない特集が目を引いた。

 

 

(1988年1月号)


ただ、独自の視点といっても、基本的には鉄道びいきである。「鉄道ジャーナル」を読み続けても鉄道を擁護するとは限らず、別の分野に関心を寄せて広い視野を持つと、いつしか鉄道びいきの熱は冷め、鉄道への懐疑的な視点も加わり、やがて「鉄道ジャーナル」を読まなくなるというパラドックスに至ったと言えるかもしれない。

この記事を書くにあたり、久しぶりに「鉄道ジャーナル」のバックナンバーを読み返した。懐かしさとともに、「鉄道ジャーナル」を愛読していた若い頃の自分の姿が重なった。私にとって「鉄道ジャーナル」は存在価値が二転三転しながらも、いつまでも記憶に残る書物である。
 

 

わたらせ渓谷鉄道の沿線には桜の名所がいくつもある。
今回はその一つ、小中-神戸間で撮影したものをまとめた。

 

 

 

 


満開の桜、木造の旧小学校
山里の春を列車はゆっくり走る
2008年4月

 

 

 

 

 


2年続けて同じ場所で撮影
桜の時期はカメラがズラリと並ぶ人気の撮影ポイント
2009年4月

 

 

 

 


同じ場所でも朝と昼では日の向きが変わる
これは早朝の撮影
2008年4月

 

 

 

 


のどかな春の風景
2009年4月
 

 

JR両毛線は地味な路線だが、桜の時期にはちょっと華やかになる。
今回は伊勢崎ー国定間で撮影したものをまとめた。
写真はすべて2017年4月撮影。

 

 

 


小さい池の畔の桜が見頃を迎えていた

 

 

 

 

 


見慣れた列車も桜とともに眺めるといつもと違う雰囲気がある

 

 

 

 

 


池にはカモがのんびり泳いでいた
 

 

 

群馬県内のJR両毛線沿線には、数は少ないものの、桜と列車を撮影できるポイントがある。
今回は駒形ー伊勢崎間のお富士山古墳で撮影したものをまとめた。
写真はすべて2014年4月撮影。

 

 

 

 


満開の桜と115系
この当時、115系は主力車両だった

 

 

 

 


211系と桜
古墳を囲むように桜が咲いている

 

 

 

 


高さを変えて115系を真横から撮影
広々としているので色々な角度から撮影可能

 

 

 

 


夕暮れ時の115系と桜
夕陽を浴びて、日中とは一味違う色彩になった