JR八高線のキハ110が2026年春に新型車両に置き換わるという知らせを聞いた。あらゆる車両が世代交代を余儀なくされるのは必然的な流れとはいえ、キハ110は慣れ親しんだ車両の一つなので、引退前にもう一度乗っておきたいと思う。それも名残り乗車で混雑する前の日常的な雰囲気が望ましい。


八高線キハ110の運転区間は高崎-高麗川間だが、まず手始めに高崎-児玉間の区間列車に1往復した。たったそれだけと思われるかもしれないが、なにより空いている時間帯に気兼ねなく乗ってみたかった。


2025年11月下旬。高崎発14時56分児玉行きに乗る。

 

 

 


八高線専用の3番線にキハ110が入線。

 

 

 

 


キハ110の車内。この車両の座席配置の特徴であり、魅力でもある。予想通り空いているので二人掛けボックス席に座る。

この席は進行左手で、南に向かう列車の東側に位置する。逆に、進行右側は西側になり西日が当たる。相客がいたらカーテンを閉められ外が見えなくなる。長年の経験から時間帯によってどっちに座ればよいか自然と身についている。

 

 

 

 

 


初冬の午後、西日が差し込む中、八高線キハ110は定刻に高崎を発車した。

(写真は2018年1月撮影)

やがて左手に車両基地が広がり、八高線の新型車両が留置されていた。新型といえば聞こえはいいが、車内はすべてロングシートで窓が小さいという。吉と出るか凶と出るか。


倉賀野を出て、烏川の鉄橋を渡り、高崎線から枝分かれして北藤岡に停車。路線としての八高線は倉賀野から分岐するが、線路の配線からいうと北藤岡が始まり、または終わりといえる。


大動脈の高崎線から単線非電化の八高線に歩みを進めると途端にローカル色が増してくる。床下から伝わる車輪の音が明らかに違う。ディーゼルエンジンの響きといい、久しく忘れていた感覚がよみがえり、ちょっと懐かしい気分になる。


群馬藤岡で乗客の大半が下車。ガラガラになった。藤岡の町を抜けると大きなカーブがある。

 

 

 

 


2013年にこの付近で撮影した八高線キハ110(下り列車)。冬の西日に輝きながら大きなカーブを軽快に走る。
築堤を駆け上がると神流川の鉄橋を渡る。このあたりの広々とした風景は昔とあまり変わらない。河原の木々は赤や黄色に色づき、西日が差し込んで実際の色以上に鮮やかに映える。河原の向こうには澄んだ青空の下に赤城山のすそ野を望む。鉄橋を渡るわずか10数秒、北関東の初冬の風景が広がる。

 

 

 

 


丹荘に到着。駅舎が建て替えられた。かつてこの駅は古い木造駅舎があり、列車交換もあった。今では駅らしい風情は消え、バスの停留所と変わらない。

 

 

 

 

 

これは2015年10月の丹荘駅構内の様子。

片方のレールは途中で分断されていた。後方に跨線橋が残っているが、これも撤去された。

 

 

 

 


15時22分、終点、児玉着。私を含めて7~8人が下車。

 

 

 

 


児玉駅もかつて立派な屋根瓦のある駅舎だったが、簡素で小ぢんまりした駅舎に建て替えられた。おまけに駅員もおらず、券売機もない。スイカの読み取り機があるだけ。カードがない人は乗車証明書を取って事後清算となる。近年のJRは効率化を急ぎ過ぎていると思う。

 

 

 

 


発車まで時間があるので、色々な角度からキハ110を撮影する。

 

 

 

 


非電化路線は電線など障害になるものがないのですっきりした写真が撮れる。


折り返し、15時34分高崎行きはガラガラで発車。

 

 

 

 


丹荘を出ると広々とした田園地帯を走る。(2010年1月撮影)

先とは逆のパターンで群馬藤岡で乗客が増える。

 

 

 

 


16時00分、高崎到着。
ささやかな乗車記録だが、何気ない日常の一コマとして記憶にとどめておきたい。

 

(2025.12.26写真追加、記事加筆)
 

 

2013年12月、岐阜からJR高山線の普通列車に乗り富山へ向った。

長い道中、高山で列車を乗り継ぐ合間に途中下車した。

その後、高山駅は新駅舎に生まれ変わったそうだが、まったく知らなかった。

かつて撮影した高山駅の旧駅舎を見て懐かしさが込み上げてきた。

 

 

 


高山駅の旧駅舎。2013年12月撮影。
取り立てて美しい建物ではないが、無駄を省いた素朴な造りに親しみを感じる。国鉄時代の面影が感じられる。

 

 

 

 


画像右側は駅舎と1番線ホーム、左側が2番、3番ホーム。地下道でつながっていた。

後方に見えるのは建設が始まった新駅舎だろうか。

 

 

 

 


駅名標と並んで「海抜573m 岐阜より136.4k」という案内板がある。
岐阜を出て、幾度も山を越え、川を遡り、たくさんの駅に止まって高山にたどり着いたので、実際の距離以上に遠くへ来たという実感がこもる。

 

 

 

 


ホーム上に今も残る昔ながらの手洗い兼洗面所。

蒸気機関車時代の名残。汽車の時代を想像する。

 

 

 

 


2013年当時の高山線普通列車は国鉄型気動車の改良型が主流だった。

今では普通も特急も新型車両に置き換わり、駅舎も橋上駅となった。

何気なく撮った1枚が貴重になった。
 

 

JR上越線の八木原駅。

渋川市南部にあり、駅から西側に榛名山が見え、東側には赤城山が見える。

 

 

 


八木原駅の駅舎。古い木造駅舎が今も健在。緑色の屋根瓦が目を引く。

入口の駅名板は写真では昔ながらの琺瑯引きだが、現在は社名入りのプラスチック製になっている。

2011年10月撮影。

 

 

 

 


八木原駅の改札と窓口。2013年12月撮影。
この当時はみどりの窓口が営業していたが、2017年に閉鎖された。
Suicaに対応する簡易型改札機が設置されている。

 

 

 

 


駅舎につながる1番線ホーム。下り渋川方面が発着する。

2013年12月撮影。

 

 

 

 


駅構内配線は2面3線。画像右から駅舎、下り1番線、退避用の2番線(現在は休止)、上り3番線。
上越新幹線開業前、上越線には特急や急行が多数運行されていた。八木原のような小さい駅には、特急が普通を追い抜く「2番線」を備えた駅があちこちに見られた。

2013年12月撮影。

 

 

 

 


上りホームから渋川方面を見る。画像右にはかつて使用していた貨物用の線路が残っている。

画像奥に見える白い構造物はセメント関連の工場。昔は貨物が出入りしていた。

2013年12月撮影。

 

 

 

 


旧貨物線エリアに残る車止め。雑草に埋もれていた。

2012年9月撮影。
 

 

JR上越線の群馬総社駅。
前橋市郊外にある小さな駅。

国鉄時代からの古い木造駅舎が今でも健在。

2013年4月撮影。

 

 

 

 


改修前の群馬総社駅の駅舎
赤い屋根瓦と社名のない駅名板
現在は屋根が改修され、正面入り口の駅名板は社名入りに新調された

 

 

 

 


地元の人たちの通勤通学に利用されている
駅への出入りは東側のみで駅前も手狭なため、西側にも出入口を設置する構想がある
将来は橋上駅となり東西通路で結ばれる日が来るかもしれない

 

 

 

 


跨線橋から駅構内を見下ろす
左側が駅舎と上り高崎方面のホーム
右側が下り水上方面のホーム
真ん中の空白はかつて追い越し退避用の2番線の跡

 

 

 

 


下り3番線ホーム
まだ115系が現役だった頃
 

 

夜明けの早い時期になると思い出す写真がある。
かつて早朝のJR高崎線には、夜行急行「能登」、寝台特急「北陸」、「あけぼの」の順に通過するゴールデンタイムがあった。1年のうちで撮影できるのは日の出の早い季節に限られているため、高崎線の神保原-新町間の撮影ポイントに午前3時に着き、暗闇の中で場所取りをして、夜明けを待つ。そんなことを毎年繰り返した。
なかでも思いがけない収穫だったのは、2007年6月に撮影した583系臨時列車である。いつものように一番手の「能登」を待っていると、予定通過時刻より前に近くの踏切が鳴り出した。たぶん貨物列車だろうとファインダーをのぞくと、なんと583系が迫ってくるではないか! 早くから三脚にカメラを乗せて構図を決めていたので、貴重なチャンスを逃すことなく撮影できた。

 

 

 



日の出直後、4時30分頃。柔らかな朝日を浴びて快走する583系。後で知ったことだが、この列車は東京ディズニーランド最寄りの京葉線舞浜駅に向かう「わくわくドリーム号」という団体列車であった。


583系の写真はもう1枚ある。

 

 

 


これも偶然遭遇して慌てて撮影した。
2008年1月、上越線上越国際スキー場前駅で特急「はくたか」を撮影していた時、突然583系の臨時列車が通過した。まったく予期していなかったので、正面から撮ることが出来ず、やむを得ず後追い撮影となった。構図もいい加減なので1:1にトリミングした。


583系の撮影は満足できるものではなく、むしろ583系が定期列車として活躍していた時代が懐かしく思い出される。1990年代前半、上野-青森間の寝台特急「ゆうづる」と「はくつる」に乗車した。中段、上段寝台の狭さにうんざりする一方、下段寝台の広さに納得したり、車両のデザインに貫禄を感じたり、何かと癖の強い車両として記憶に残る。
晩年の583系は寝台車としての役目は終え、編成も短くなったが、ともあれ国鉄時代と変わらない姿を記録に残すことができたのは幸いだった。