JR中央線201系を振り返る、4回目。
今回は西国分寺駅で撮影した編成写真をまとめた。
2007年3月撮影。
 

 

 

 

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西国分寺に到着する青梅行き快速201系。

 

 

 

 

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向きを変えて、東京行き、201系快速。

 

 

 

 

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青梅特快。この当時は撮影者も少なく、駅のホームで気楽に撮影できた。

 

 

 

 

 

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中央特快。

 
 
 
JR中央線の201系を振り返る。3回目。
今回は201系の編成写真の中から、夕暮れ時に撮影したものをまとめた。
2007年3月撮影。
 
 
 

 

夕暮れ時を走る201系快速。阿佐ヶ谷。

 

 
 
 

 

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夕日を浴びて輝く201系快速。高円寺。

 
 

 

 

 

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勾配を駆け上がる中央特快。順光よりも逆光で見ると強烈な印象。高円寺。

 

 

 
 

 

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夕方、帰宅ラッシュが始まる頃、西へ向かう201系。高円寺。

 

 

 

 

 

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西日にギラリと輝く201系。高円寺。

 

 

 
 

中央線201系を振り返る。2回目。
今回は高円寺と阿佐ヶ谷で撮影した編成写真をまとめた。
2007年3月撮影。
 

 

 

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快速高尾行き。高円寺。

 

 

 

 

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中央特快高尾行き。

「中 特」という大きな文字表記が懐かしい。高円寺。

 

 

 

 

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青梅特快青梅行き。「青 特」の表記も懐かしい。高円寺。

 

 
 
 

 

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向きを変えて東京行きの青梅特快。高円寺。

 
 
 
 
阿佐ヶ谷を通過する201系。
 
 
 
 

201系快速と緩行線三鷹行きが並走する。阿佐ヶ谷。
 
 
 
 

向きを変えて東京行き快速。阿佐ヶ谷。
 

 

 

前回は急行「能登」の国鉄時代を時刻表で振り返ってみた。

今回はJR時代の「能登」を振り返る。


1987年に国鉄がJRになってから「能登」の一番大きな変化は、1993年3月ダイヤ改正で客車から電車に置き換えられたことだろう。
「能登」と同じく上野-金沢間に運転されていた特急「白山」と同じ489系9両編成を使用するようになった。寝台車はなくなり、全て座席車両となった。

 

 

 


JR時刻表1997年3月号、高崎線下り。
上野駅の発車時刻は23時58分とずいぶん遅い時間になっている。

これはほぼ同じ時間帯に運転されていた急行「妙高」長野行きが廃止され、「能登」に統合されたためと思われる。
また、この時期の特徴として、下り「能登」に限り、高崎線内の上尾、桶川、鴻巣にも停車している。これは夜遅い通勤客の利用を見込んだためで、ホームライナーのような役割であった。

 

 

 

 


JR時刻表1997年3月号、北陸線上り。
この時期のもう一つの特徴として、運転区間が上野-福井間であったこともあげられる。

 

 

 

 


JR時刻表2002年6月号、高崎線下り。

1997年10月に長野新幹線が開業し、9月末限りで信越線横川-軽井沢間が廃止された。

これに伴い、「能登」は上越線(長岡)経由に変更された。「能登」の運転ルートは時代状況により上越、信越、上越とコロコロ変わる。





JR時刻表2002年6月号、北陸線上り。
福井発着から金沢発着へと縮小された。

 

 

 

 


JR時刻表2006年7月号、高崎線下り。
高崎線内の上尾、桶川、鴻巣は通過となり、ホームライナーの役割は終わった。長距離夜行列車に通勤客が短い区間に押し寄せるといろいろと問題があったようだ。私も「能登」には何度も乗ったが、いずれも東京へ行った帰り、例えばプロ野球観戦で遅くなった時などに利用していた。

 

 

 

 


これは列車名は印字されていないが、「能登」の自由席に乗った時の急行券。

「能登」はいつ乗っても空いていた。自由席が飽きた時はラウンジカーで息抜きすることもあった。

 

 

 

 


2010年3月ダイヤ改正で「能登」は定期列車から臨時列車に格下げになり、事実上廃止された。

「能登」の定期列車としての最終日、大宮-高崎間にお別れ乗車した。これはその時の指定席券。

始発の上野から乗りたかったのだが、指定席券売機で上野-高崎を検索すると満席で、大宮-高崎で検索したら発券できた。つまり、上野-大宮の指定席を取った人がいるということだろう。

 

 

 

 


乗客全員に乗車記念カードが配られた。車掌が日付のスタンプを押してくれた。

 

 

 

 


記念カードの裏側は、同時期に廃止された寝台特急「北陸」と「能登」が並んでいる。

 

 

 

 


JTB時刻表2010年3月号、高崎線上り。
臨時列車となった「能登」。車両は485系6両となった。


以上、急行「能登」の歩みを時刻表をもとに振り返ってみた。
 

 

かつてJR中央線の主力として活躍した201系電車。

オレンジ一色の車体は東京の西のシンボルカラーのようであった。


2006年から07年頃、201系は新型車両に順次置き換わるとの知らせを聞いて、都内で度々撮影した。

これまでブログに載せた写真を再構成し、201系の軌跡を振り返る。

1回目は御茶ノ水駅の夜景と201系。

 

 

 

 


夜の御茶ノ水駅に停車中の201系。

人通りの多い橋の上に立ち止まると、ライトアップされたアーチ橋が外堀の水面に映り込み、とてもきれいだった。

2007年6月撮影。

 

 

 

 


角度を変えて御茶ノ水駅の停車中の201系を撮影。
当時のカメラはISO感度3200が限界。手持ち撮影で、シャッター速度1/10くらいだったと思う。

今のカメラならもっときれいな絵になると思うが、高性能のカメラが出る前に、201系は消え、御茶ノ水界隈も変わった。

2007年6月。

 

 

 

 


夕暮れ時の御茶ノ水付近を走る201系。

2007年6月撮影。

 

 

 

 


夜の新宿・歌舞伎町と201系。

2007年3月撮影。