JR米坂線の国鉄型気動車。
今回はキハ52国鉄色の走行写真をまとめた。

といっても、米坂線乗車のついでに駅から近い場所で撮影したものなので大したものではないが、これも記録の一つである。

写真はすべて2009年3月上旬撮影。

 

 

 


成島-中郡。

雪原の中を走るキハ52。後方はキハ47。

朝から雪が降り見通しが悪かったが、列車が通過する直前に薄日が差して撮影できた。

 

 

 

 


成島-中郡。

キハ52国鉄色とキハ47タラコ色。

雲の切れ間にうっすらと青空が見えた。雪景色の中では国鉄色がよく映える。

 

 

 

 


キハ52を正面からとらえる。中郡駅にて。
 

(続く)

 

 

2009年3月、JR米坂線の国鉄型気動車に乗車した。

当時の米坂線は新型車両の投入が決まり、長年活躍してきたキハ52やキハ40などは引退間近であった。慌ただしく撮影したものばかりではあるが、国鉄型気動車の晩年の記録を数回にわたってまとめる。


今回はキハ52の国鉄色。(あるいは一般色とも呼ばれる)

写真はすべて2009年3月上旬撮影。

 

 

 


小国駅にて。

肌色と朱色の塗り分け。角ばっているように見えて車体上部はやや丸みを帯びている。丸い枠の中にライトが二つ収まっているのが特徴。連結器の下に雪除けが付いている。豪雪地帯の米坂線ならではの装備。

 

 

 

 


南米沢駅にて。

 

 

 

 


夜の羽前小松駅にて。

 

 

 

 


米沢駅にて。隣のホームには山形新幹線400系が到着。

 

 

 

 


夜の米沢駅留置線にて。

 

 

 

 


米沢から坂町までキハ52に乗車。正確に言えば、キハ52 137に乗った。

国鉄型気動車特有の重々しいエンジン音、鈍い加速、固い乗り心地、床下から小気味よく聞こえる車輪の音、そして残雪の多い沿線の風景を楽しみながら約2時間半の旅であった。
 

(続く)

 

 

1982年11月15日に開業した上越新幹線が40周年を迎えた。

当時、私は小学4年生だった。幼い頃から見てきた平屋駅舎の高崎駅が新幹線開業を機に近代的なビルに建て替えられ、高崎線の線路端で何度も見ていた特急「とき」が廃止された。少年時代の私にとって、「とき」廃止、高崎駅建て替え、そして新幹線開業は、最も印象に残る大きな出来事であった。
あれから40年。開業当初は大宮駅が始発だった上越新幹線(東北も含む)は、1985年に上野駅へ、1991年に東京駅へ順次延長された。1997年には現在の北陸新幹線が高崎から長野まで開業した。さらに2015年に金沢まで開業したのは記憶に新しいところだ。
上越新幹線の開業当時はどんな様子だったか、時刻表を手がかりに振り返ってみたい。

 

 

 


私が持っているのは「国鉄監修 交通公社の時刻表 1982年12月号」。11月15日ダイヤ改正号の翌月である。

今でこそ時刻表が好きな私だが、さすがに小学生の頃は時刻表に興味がなかった。もっとも当時の値段で650円もする時刻表は小学生には高く、本屋で見かけても買えなかっただろう。ちなみにこれは大人になってから、東京・神保町の古書店で見つけた。元値より高い1000円で売られていた。

 

 

 

 


路線図を見る。確かに東北・上越新幹線は大宮が始発になっている。現在のJR埼京線はまだ開業していない。埼玉新都市交通ニューシャトルもまだない。

 

 

 

 


巻頭には東北・上越新幹線の割引切符の案内が出ている。「いい日旅立ち」のキャッチフレーズが懐かしい。

 

 

 

 


開業してまもない頃の上越新幹線の下りの時刻。一目見て、列車が少ない。
列車名は「あさひ」と「とき」。長らく上越線の主役だった「とき」が、速達タイプの列車名にならず、各停タイプになっている。なぜ「あさひ」という上越線になじみのない列車名が採用されたのか不思議である。
また、上野-大宮間は「新幹線リレー号」が30分間隔で運転されていた。時間帯によっては「リレー号」がないため、東北・高崎線に普通列車の時刻も掲載され、さらに京浜東北線も参考に出ている。

 

 

 

 


同じく開業時の上越新幹線上りの時刻。高崎の始発が8時11分とずいぶん遅い。今では当たり前の高崎始発の列車も設定されていない。軽食などを販売するビュフェの受け持ち会社も表示されている。メインは日食で、一部は聚楽が担当していた。

 

 

 

 


開業時の終列車は下り大宮発が21時05分の「とき」。これに接続するリレー号は上野発20時17分。今のダイヤからするとずいぶん早い最終列車である。

 

 

 

 


上り新潟発は20時00分の「とき」。新幹線開業前の在来線特急「とき」の最終新潟発は18時48分だった。たしかに新幹線の速さがわかる。

 

 

 

 


次に、新幹線の編成表。東北も上越も200系12両編成と単純である。

9号車には軽食を販売するビュフェがある。そこには速度計が設置され、乗客の視線が集まっていた。

 

 

 

 


開業当初の200系普通車で一番の欠点は、3人掛け座席の方向が固定されていたことだ。今では信じがたいことだが、客室の中央を境に、半分は大宮方面に向きが固定され、もう半分は新潟及び盛岡方面に向きが固定されていた。つまり、3人掛け座席は列車の進行方向に合わせて回転できなかった。時刻表にも細かい字で向きが固定されていると注意書きがある。


ちなみに私が初めて上越新幹線に乗ったのは開業から2年後であった。1984年8月、新潟の柏崎へ家族で海水浴へ行き、その帰りに長岡から高崎まで「とき」に乗車した。翌85年1月には、同級生と上野駅で列車撮影をし、その帰りに上野から「新幹線リレー号」に乗り、大宮からは「とき」に乗った。たったそれだけであるが、今でも当時の興奮はよく覚えている。
 

 

信州にはしなの鉄道の169系の他にも貴重な車両があった。
今回は169系と他の車両との並びをまとめた。引退した車両の並びを見ると懐かしさが込み上げる。

 

 

 


しなの鉄道169系と長野電鉄2000系。
当時、2000系は引退間際で、長野電鉄の屋代線も廃止される直前だった。

普段は屋代線を走らない2000系が廃線直前の屋代線を運行するのも貴重だが、さらに屋代駅で169系と並んだのだから奇跡のような組み合わせであった。

2012年3月。屋代駅。

 

 

 

 


2000系は鮮やかな赤とクリーム色の塗分けから「りんご特急」とも言われた。

2012年3月、屋代駅。

 

 

 

 


引退迫る169系。湘南色編成としなの鉄道オリジナル色が並ぶ。

2013年2月。屋代駅。

 

 

 

 


かつて特急「あさま」として活躍した189系と169系が並ぶ。

特急「あさま」と急行「信州」が並んでいるかのようだ。

2013年3月。小諸駅。

 

 

 

 


189系と169系。信越線時代を彷彿させる光景。

2013年3月。小諸駅。

 

 

 

 


2013年当時、小諸駅ホームには国鉄時代から続く立ち食い蕎麦屋が営業していた。

今はない蕎麦屋と引退した169系。何気なく撮った1枚だが、昔の旅をしみじみ思い出す。
 

 

しなの鉄道の169系湘南色。
今回は沿線で撮影した走行写真をまとめた。

 

 

 


夕日に輝く169系湘南色。これは軽井沢-小諸間の普通列車。

信濃追分駅付近にて。2013年3月。

 

 

 

 


同じ169系湘南色でも、こちらは急行「志賀」として運転された時。

ヘッドマークがあるとずいぶん印象が変わる。

信濃追分駅付近にて。2012年3月。

 

 

 

 


169系のうち、しなの鉄道オリジナル色もわずかながら残っていた。

信濃追分駅付近にて。2013年3月。

 

 

 

 


雪晴れの軽井沢駅を発車する169系湘南色。

この日は急行「志賀」として運転された。

軽井沢駅にて。2013年2月。

 

 

 

 


浅間山と169系。湘南色は風景に溶け込む。

2013年3月。信濃追分-平原。

 

 

 

 


信濃追分付近の築堤の上を快走する169系。

2013年3月。


(次回は169系と他の車両の並び)