こんばんは。

GWも明けて、1週間が終わりました。みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

フレッシュマンや新入生は、5月病?(今はそんなコト言わないのかも)

知れませんね。


思えば、私も、ようよう40を迎える現在に至る半生が5月病だったように

思うんです。

もっとも今でこそ、その原因が何であるか?が分かる気もしていますが…。

今日は、ちょっとそんなフレッシュマンや新入生諸君にヒントになれば…。

と思って書いてみます。


フレッシュマンや新入生諸君は、在り来たりですが、夢とか希望とか…。

自分にないものを、自分ではない“スーパーな自分”を目指している方も

少なくないのでは?とは言え、時代がありますから、今の若者は夢を見ない

かも知れませんね。皮肉ではなく、大人びているというか、現実的というか…。


私の現在に至る20年間が5月病であったのは、モラトリアムを意識的に

活用しなかった天罰のようなもので、昔から言う「身から出た錆」…。

私は個人的には、私の人生は、死ぬまでモラトリアムではないだろうか?

などと、思うようになっています。

私は先に、「私の現在に至る20年間が5月病であったのは、モラトリアムを

意識的に活用しなかった天罰のようなもの」と書きましたが、

同時に、「個人的には、私の人生は、死ぬまでモラトリアムではないだろうか?」

とも書きました。

二つの発言を組み合わせると、残りの人生は「すべてが怠惰という名の罪

に対する罰」と捉える向きもあろうかとは思いますが、

生まれてから19、20年はレギュラーのスタメン選手。20から40までは補欠。

というのが、私の人生の実感の比喩であるなら、補欠でしか居られなかった

20年間の原因は、先に述べたように、「モラトリアムを意識的に活用しなかった」

事が主であります。

モラトリアムとは猶予期間と訳される通り、「何かの役割を果たすまでの猶予期間」

なのではないでしょうか?

すると、私は、「個人的には、私の人生は、死ぬまでモラトリアムではない

だろうか?」などと、うそぶいているようですが、実際、私は「今回の人生で何かを

成し遂げる」事は不可能だという、悟りにも似た境地でいます。


原因は?というと、幼少期に得られていた自信が、アイデンティティとして

自己受容される前に、幼少期の自信の預金を青年期に食い尽くしたコト。

一言で言えば、「スポイルした」のです。青年期にアイデンティティが育っていれば、

何も今日の様なみじめったらしい能書きも書いていません。40を間近に控えて、

アイデンティティとは?と自分でも呆れます。


それでも、死ぬまでモラトリアムの私にもアイデンティティは得られると

信じています。

その時の訪れが、何時なのか?或いは、死ぬ時であったとしても、

「私は生きた!」という感想をもって死んでいきたいと思っています。

そのためには、残りのモラトリアムは、せめて「意識的に活用」したい!

と思っているんです。


だからというのではないのですが、どうか、フレッシュマンや新入生諸君は、

モラトリアムを意識的に有効活用して、1日も早く、自分なりの「役割を果たす」事

で、自分のアイデンティティを発掘して下さいね!


もちろん、私もまだまだ頑張ります!