初夏の宵が、ギターの練習と、小説の読書で紡がれています。ギターもまだまだ下手くそですが、小説は私の胸の内の一番弱い粘膜の様な所を優しく潤してくれています。

一人が、満更でもなく、誰にも迷惑をかけずに過ぎていく…。否、過ごしていくことの真摯な自分に対峙する態度を、ささやかに嬉しく思っています。

自分の心の空白の寂寞感は、悲しい哉、本当の意味では、例えそれがどんなに慕っている人にも、あまつさえ愛している人にさえも、その場凌ぎで紛らわすことはできても、癒すことも慰められることもないのだろうな。と、唯我独尊などという傲慢さではなく、その対極にある「弱さを克服する強さ」に感慨深い思いでこの文章をしたためています。



ブレイクに、この前置きに関係すると思われる、ライヴへ行った時のエピソードを書きたいと思います。



あれは、2011.3.16の地元のライヴでの出来事でした。
ジャズのライヴだったのですが、そのライヴで、バンマスのミュージシャンの方は、ライヴが始まるときのMCで次のような主旨の事を述べられました。
「震災という大惨事に見舞われて、多くのミュージシャンがライヴをキャンセルする今日にあって、震災から間もない、否、震災最中の今日3.16に、自分たちがライヴをすることには、私には自粛という逃げの姿勢とは対極にある、立ち上がって歩き出す向かっていく姿勢を志し、こんな時こそ、ライヴを決行する使命があると感じました。
オーディエンスの皆さまにも、思い思いの中で足をお運びになられたこととおもいますが、今夜は震災を乗り越える!そんな一夜になるように大いに盛り上がっていきましょう!
有事においても平和は、我々の一人一人の心の中にこそあると信じています。」


震災という悲しみや絶望に比べれば、人間一人の孤独など、ゴミみたいなものですが、マイナーな感情という意味では、通底していなくもなく、それを乗り越えて、平和を見出せるとしたら、それは、外の世界の、モノやヒトにではなく、自分自身の心の中に見出さない限り、心象風景も色を失ったモノトーンのまま、明日への一歩は踏み出せない。

自分の孤独は自分にしか乗り越えられないと思い、その実践に与せるようになり始めた、自分の内なる人間賛歌に静かに耳を傾ける初夏の宵でした。


(実際には、カエルが「帰れ!帰れ!」と鳴く声が聴こえるだけですけどね。笑)