「命など惜しくはない!!」という人がおられます。
しかし、それが、本心なのかどうか?
自殺する人がたくさんいらっしゃるのも事実です。
自殺する人たちは、絶望感からというけど、そればかりではないこともあります。
「~実は、この難局を打開するあり方が一つあるんですよ。それは、私が死ぬことなんですよ~」
そんなふうに満面の笑顔で語っていた人。
まさか、本気だったなんて…。
亡くなってからお礼言われたって、自分の甘さを詫びることも出来ないし、一生、後悔することしかできない。
「命」というものに勝る大切なものはないと思います。
末期の癌に苦しんでいる人がいらっしゃいました。
紹介してくれる方があって、私のところに尋ねてこられたときは、わらにもすがるような気持ちだったと思います。
医師は、「もう何ヶ月というように月単位で命を推し量れるような状態ではない。明日という可能性もある」との説明だったといいます。
私は、その方に「今日から生き方を変える決意がありますか? 」と尋ねました。
「あります!!」と力強い返事が返ってきました。
目には、強い力を感じました。
治療は、病院が必死でやってくれています。私たちのところで出来るのは、「なぜ、このような病気になったのか」「どんな心癖の積み重ねが問題だったのか」「今日からどんなふうに思いを変えていけばいいのか」というところです。
今までの人生の歩みをお聞きして、そのとき、どんな思いをしてきたのか、
その思いを根に持ち続けてきているのか、など。
そんな間に、心情もわかってきますし、このあたりがポイントではないかという点も出てきます。
そんな心のやり取りがはじまりました。
ふっと、気づくと一年が経っていました。
病状は、一進一退。あるところの癌が消えると、他のところにできる、また、消えると、違うところへという感じでした。
しかし、私は、このとき、一進一退というのは、ありがたいことなんだと知りました。
その後も、心のやりとりは、続きました。
もうすぐ、三年が経つというある日、
私に聴いてほしいことがあると、意を決しておっしゃられ、ご主人に対して、あることをきっかけにずっと思い続けてきた不信感の話をされました。
「この思いは、今まで言えなかった」と涙ながらに話されました。
そして、「この思いを言えてよかった」と。
まさか、このときが、最後になるなんて思いもよらないことでした。
しばらく経って、突然、静かにお亡くなりになられました。
あのとき、今日から生き方を変える決意をされ、今までのご自身の思い方の間違いをわかりたいと思われました。
だからこそ、その間違いにご自身で気づかれるまで神は、時間を下さったのではないかと。(勝手な解釈でしょうが、)
そんな気がしました。
命という得体のしれないものに関わりながら生きているのが、私たち人間です。
しかし、それは、ただ、振り回されているのではなく、自分の人生として、「何がしたいのか」「まだ、何かできるんじゃないか」と主体的に生きていくものです。
命も神からいただいたもの。
脈々と育まれる「神の恵み」。
それをどんなふうに生かすのかもそれぞれの芸術なのですね。