ゆるっと和水町チャリマップ史跡探訪版 後編 | 自転車とか歴史とか

自転車とか歴史とか

熊本在住

文章力皆無なので備忘録的意味合いが強い。
地元の図書館とwikiや野良サイトで調べてるだけなので間違いが多いと思われる。
想像・妄想で書いてることも多いので話半分程度に読んでほしい。

ゆるっと和水町チャリマップ史跡探訪版 前編

https://ameblo.jp/dnishikawa/entry-12586128024.html

の続き

 

しばらく進むと山十町という集落につく

 

坂本城案内板 実際はもっと上の方にある

左右の分岐があるので右折 (左折でも行けるが)

 

右折してから登り開始

真ん中辺りが勾配きつめだけど平均すると5%くらい

10分前後でクリアできる

 

上はなかなかの展望

 

しばらく行くと坂本城登り口が

以前行って見つけられなかったので(というか特に整備されてない?)

今回はスルー

     >一応前回行って若干迷った時の記事  ↓最後の方に載ってる

     >→https://ameblo.jp/dnishikawa/entry-12401408558.html

 

 

しばらく平坦だがこの後少し登り

 

ここを左折

 

しばらく進むと下り坂に入るので下山する

ミカン農家の軽トラが割と通るので対向車には注意してくだろう

 

下り終わり辺りにある

耳の神様

三加和地区は八つの神様というものを整備?しており

地元の小さな神様をまとめることで守っている

 

擬人化もされている

 

地元の子供が作った解説

 

 

少し進むと綺麗な道に出るがすぐに右折

 

 

少し登り下り

途中、桃の花を嗜む

 

和仁城(田中城)が見えてくる

 

ここは肥後国衆一揆の重要な戦いの舞台となった場所

全く知らない人向け解説

 時代は豊臣秀吉の天下統一直後、

 後に肥後は加藤清正に治められるのだが、実は(?)最初秀吉に派遣された大名は佐々成政だった

 佐々成政は強引な検知や領土替えをしたため元々肥後にいた国衆(土豪)達は反発

 隈本城や城村城など各地で戦いがあったが一揆側は劣勢となり籠城

 ここ田中城でも和仁氏を中心に籠城し、立花宗茂や小早川秀包らに包囲された

 最終的には和仁氏と一緒に籠城していた辺春氏の裏切りにより落城

 主力のいる城村城も援軍を見込めなくなったため降参し一揆は終結する

 この一揆の責任を取る形で佐々成政は切腹

 代わりに肥後北部に加藤清正 南部に小西行長が入ることとなった

 

まあ結構大きな戦いがあったってことだ(超ザックリ)

上の写真は北東(配置図では左上)から見たもの

 

道を進むと北門の所に着く

 

国史跡になっている

若干舗装がガタガタ気味だが自転車でも登れる

 

 

今回はスルーして要害ぷりを眺めながら進む

 

北西(配置図左下)から見た田中城 この辺は完全に崖

 

田中城沿いに南下すると

岩壁に

摩崖仏(六地蔵)がある

 

 

少し進むと公園がある

和仁三兄弟像

籠城した和仁氏の三兄弟

三加和という地名の三と和はここから来てるのかな?

神尾村、春富村、緑村の三つを加える平和な町」という説(?)もある

 

花の香酒造(和仁酒造)

 

5/30.31に新酒まつりがあるとかないとか

 

綺麗に撮れたと思ったら手袋が映り込んでたorz

 

 

後はしばらく南下していく

 

 

国衆一揆 辺春氏の墓

 

 

 

国衆一揆 大津山家稜の墓

 

 

 

辺春氏の墓の少し奥を左折すると金栗四三の生家がある

昔行った時の写真探したけど見つけきれなかったので省略

 

この後は

八つの神様が立ち並ぶので興味のある方はどうぞ

 

 

 

ナカムラという店?の交差点で右折

 

金栗四三は先ほどの生家から

現在の南関町立第三小学校まで走って登校して脚力を鍛えたと言われているが

ここがその登校経路であるようだ

 

たしかにアップダウンがあり走っていくには大変な道

 

途中この看板がある

右折して進むと小学校まで行けるが

今回設定したコースは直進

行きたい人はどうぞ

 

大きな道に出たら横切って直進

 

すると豊前街道と合流し肥猪町に入る

 

ここからしばらく豊前街道沿いを走るので

以前書いた豊前街道の記事をそのまま引用する(手抜き)

https://ameblo.jp/dnishikawa/entry-12591788915.html

肥猪町に

 

裏通りなのに密集している所から当時の繁栄を思わせる

 

この先で左の小道に入る

 

舗装はされているが人が通った気配はない

 

下り切った所に九里木跡

 

直進しまた山の中に入る

 

途中土の道もあるが晴れていれば問題はない

 

六本松をすぎ

 

悪路を下ると

めくらおとし という橋?川?

 

なかなか落差がある

 

更に直進し

 

白坂

 

ここは以前にも来た

 

肥後国衆まつり~豊前街道 (後編)

https://ameblo.jp/dnishikawa/entry-12401409491.html

国衆一揆において城村城に相対する佐々軍の日輪寺へ補給を行った立花宗茂軍の帰路を
和仁・辺春・大津山軍が襲った場所らしい

 

本来なら左の方に道が伸びていたらしいが今は右の方のルートしか残っていない

引用終わり

 

進むと広い道に出るので右折する

 

しばらく進むと大きな橋の手前に

 

久井原の六地蔵

安全に帰ってこれたことに感謝

 

更にしばらく南下するとスタート地点に戻り終了

 

最後手抜きっぽくなったがよくあることよくあること

これでも省いた史跡などいくつもあるが

流石にこれ以上は収集つかないので仕方ない

 

 

 

 

○おまけ

コロナの影響でご飯を食べる場所に困っている方は

テイクアウトできる店を紹介している↓サイトを参考にするといいかもしれない

 

和水町おうちごはん

https://www.town.nagomi.lg.jp/hpkiji/pub/detail.aspx?c_id=3&type=top&id=2943

 

↑には載っていないが他にもテイクアウトできる店はある

 

個人的なオススメは菊水中学校前にある

お好み焼き屋 べ~子屋

 

半分に見えるが1枚を半分に折りたたんでいるのでボリュームは十分

真ん中に目玉焼きがあるのもgood

 

オススメはお好み焼きチーズトッピングで

テイクアウトして近くの空き地とかで食べると良い

 

 

ということで長々なったが和水町の史跡を少しだが説明できたかな

 

おわり