肥後国衆まつり~豊前街道 (後編) | 自転車とか歴史とか

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熊本在住

文章力皆無なので備忘録的意味合いが強い。
地元の図書館とwikiや野良サイトで調べてるだけなので間違いが多いと思われる。
想像・妄想で書いてることも多いので話半分程度に読んでほしい。

肥後国衆まつり~豊前街道 (前編) からの続き

大藪さん達と合流し一緒に南下する。

豊前街道を回りながら山鹿方面に戻るらしい。

▽白坂
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国衆一揆において城村城に相対する佐々軍の日輪寺へ補給を行った立花宗茂軍の帰路を
和仁・辺春・大津山軍が襲った場所らしい。

他にも豊前街道が国衆一揆の戦場になっている場所があるので、
おそらく整備される前からそれなりに大きな道だったのだろう。


このまま坂を登ると南関に行ってしまうため一旦引き返す。
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ここから鍋田辺りまでの豊前街道の説明がされている案内板があった。

この後は少し道をそれて
▽菰田橋
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▽八里木
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▽光行寺
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九曜紋 確認

▽腹切坂
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思った以上に長く、押したり担いだりしながらなんとか通過

▽ハゼ並木
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▽郡市境
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▽七里木
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▽追分石
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この左には以前は茶屋があったらしいが今は何もなかった。


ここから鍋田方面に向かうのが豊前街道なのだがここから北に向かう。

▽西南の役 岩間間道
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「ほーん?」と見ていたが左の面をよくみると
20180211155802_IMG_0858(東西付城への糧弾補給路)
「国衆一揆 東西付城への糧弾補給路」とあった(糧弾は、食糧・弾薬のこと)。

付城(つけじろ)とは「攻撃の拠点として敵城の近くに築いた城」のことらしい。

隈部氏・有働氏の籠城する城村城と佐々成政が陣を敷く日輪寺で睨み合っていた両軍だが
隈本城でも戦いが起こると佐々成政は隈本城に戻った。
その際、成政は城村城を見張る付城を城村城の東西の二箇所に作ったとされる。
その付城の補給路がここだった模様。


この先の橋で大藪さん達とは別れぼっちサイクリングに戻る。

まずは城村城へ。
若干迷ったがGoogleナビのおかげでたどり着いた。
▽城村城跡
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城の南側に佐々本陣とあるが日輪寺とは違うのだろうか?
そういえば何かの本に最初は日輪寺にも隈部氏の軍がいたが佐々軍が制圧したとあった気がする。
最初の陣が南側でその後日輪寺に移ったかそれとも本陣は南側のままだったのか。
よー分からん。


山を下り川の近くから城村城と日輪寺を撮る
▽城村城
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▽日輪寺
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本当に目と鼻の先な近さ



日輪寺に到着
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ここには忠臣蔵で有名(?)な赤穂浪士の遺髪塔があったり
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謎の巨大石仏があったりする

他にも創設者の菊池武時の慰霊碑があったり
佐々成政の親戚で徳川光圀の家来の佐々宗淳(助さんのモデル)が訪れていたりするらしい。

砂利の坂道を頑張って登る。
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素晴らしい展望。

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頂上には竜王山古墳なるものが。

この時既に5時になっていたので慎重に急いで下る。
が若干遠回りして豊前街道の続きを見ながら帰ることに。

山鹿大橋を渡り左折
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坂を下って右に曲がった所が豊前街道の模様。
当時はこの直線上に橋がかかっていたのだろう。

▽六里木
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▽南島菅原神社
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ここで旅人は休憩していたらしい。


一気に米野岳中へ  (途中、郡境石を見落とした 不覚)
中学校の横に うらやま坂がある
▽うらやま坂
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勾配 10~14%

▽比丘尼坂(びくにざか)
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勾配 5%

▽五里木
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▽徳栄寺
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肥後入りした佐々氏らに隈本城を譲った城氏は最終的にここに移ったらしい。

▽善行寺
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細川藩や薩摩の島津藩のお殿様たちがくつろいだ「お成りの間」があったり
貴重な資料が多いらしいが遅いので覗いただけで通過。

▽乙貝坂
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看板にはかつての難所とありここも10~14%の勾配があった。
下った先に乙貝眼鏡橋があったそうだが今はどこかの神社に移設されているらしい(どこだっけ)。

▽三十六のお茶屋敷跡
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流石に日没間近にここを通ることはできずに近くの道から通過。
ここは9%くらいだったが披露が溜まっていたのかかなりきつかった。

その先は左右をハウスに囲まれた直線道だが
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ここは国衆一揆の戦場になった場所らしく
隈本城に戻る佐々宗能(成政の甥)がここで内空閑氏に討たれたらしい。
このハウスの脇道の先のどこかに宗能の墓(ささ塚、今では佐々殿のお堂)があるらしい
ということで探していたが見つからない。

諦めて帰ろうかと思っていたら「パーン!」といういやーーーーな音が
案の定、瓦礫を踏んでパンクしていた(´Д`)

暗くなっていたし家も近くなので連絡し迎えに来てもらって帰宅した。

迎えがくる前に徒歩で
▽四里木
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を見に行った。

本来なら味取観音・三里木跡まで見て引き返して
内空閑城・内空閑神社を覗いて帰る予定だったがまた次回に延期ということで。


オマケ
八つの神様の擬人化キャラ手ぬぐいゲット
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