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朝起きると既に8時半
寝過ごしたーと思いながら準備し
車載で草枕温泉てんすいまでショートカット
スタートしたのは10時になってしまった
一旦金峰山方面に昇り
ナルシスト奥の峠から下って霊巌洞へ行くパイロット道路?を登る
そのまま南へ下山し南下
征西将軍宮に立ち寄る
懐良親王関係だろうが詳しくは分からなかった
更に南下して轟水源で水をもらい
南東方向へ
○竹崎季長
距離は短いながら15%超えの激坂を超えて
竹崎城跡に到着
ほぼ整備されていなかったが通り道はあった
タンポポが綺麗
石碑は倒壊していた まあ石碑なんて飾りだし問題なし
さて、竹崎季長と言っても熊本県人でも知らない人が多いかもしれないが
歴史の教科書で皆知ってる蒙古襲来絵詞の主人公!と言えば分かるだろうか
漫画アンゴルモア博多編が面白い
https://ameblo.jp/dnishikawa/entry-12527359209.html
アンゴルモアでも名シーンを拝める
ざっくり説明すると
没落し困窮していた竹崎季長は元寇で一番槍で突撃しなんやかんやありながら恩賞として
肥後国海東郷の地頭に任ぜられたよ
2回目の元寇でも大活躍したよ
自分の活躍やらをまとめたのが蒙古襲来絵詞だよ
てな感じ
竹崎城がある場所あたりが海東郷だと思われる(ちゃんとは調べてない)
てなわけで竹崎季長関連史跡を回る
東へ行き
竹崎季長の墓
子孫の話も聞かないし場所も分からなくなってる辺り、一代で没落したのだろうか?
北上し
石橋を見て
響ヶ原古戦場跡のある
相良神社へ
これは戦国時代の話なので竹崎季長とは関係ないが割と有名な戦いなので気になる人はググって(丸投げ)
これまた関係ないが加藤清正が整備した鵜瀬堰
を通り少し先に進むと
竹崎季長が蒙古襲来絵詞を奉納した甲佐神社がある
大切に守られているようで中には写し絵?がかざってある
境内には願成桜なるものが
ということで竹崎季長関連史跡を回った
○足手荒神
次は足手荒神へ向かう
別名(?) 甲斐神社とあるように甲斐氏が祭られている
ざっくり説明すると
肥後国衆一揆で一揆側に回った甲斐宗立であったが一揆は失敗。
手足に深手を負った宗立はこの地で手厚く手当をしてもらい
「死んだらこの地で手足の神様になる」と言い残し亡くなった
→足手荒神(甲斐神社)に!
てな感じ
社殿は地震で倒壊したままなので仮のもの
足のお守りを買い膝完治を願う (字が小さかった^^;)
ここからしばらく北西に漕いで
西区にある高橋稲荷神社へ
日本五大稲荷(自称 諸説あり)らしい
日没も近くなってきたので早々に出発
糖分を摂取
○池辺寺
最後に池辺寺関連史跡へ
西区の池上地区には昔、味生の池という灌漑用の人工の溜め池が存在した
この池には邪龍がいるという伝説があり、それを鎮めるために池の近くに池辺寺という巨大な寺院が存在したらしい
池辺寺は荒廃と再興を繰り返しながら場所を変え、最終的には現在の池上日吉神社の場所にあったそうだが
明治政府の廃仏毀釈により破壊されてしまったらしい
因みに池自体は加藤清正に埋め立てられている
この天社宮(高橋東神社)はその味生の池を作った道君首名を祭る社
道君首名は大宝律令を作成した役人の一人で700年頃の人物
筑後・肥後の守護になり各地で治水事業を進めたとされる地味に凄い人
700年頃の肥後って殆ど歴史が残っていないのでかなり貴重なのでは?
ここの楠はかっこよかった
荒廃と再興で昔の池辺寺の場所は長いこと分からなくなっていたが
最近の発掘でその場所が判明した
それが国指定史跡にもなっている池辺寺跡だ
100基の石塔跡が見つかっている
イメージ図
この場所が見つかった経緯も面白いので気になる人は調べてみて欲しい
後は三賢堂の方から金峰山を登り
無意味に芳野経由でナルシストに立ち寄ってから
車のある草枕温泉てんすいに到着
温泉で汗を流し帰宅した
いやー思った以上に史跡回ってて記事書くの大変だった
おわり