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『スター選手獲得…それはファンに期待通りのスター選手として送り出す重圧との戦いでもある』

中日の根尾昴がとうとうプロの一軍でもピッチャーとして登板を果たした…

それは結構だとも思うが…一方で根尾が野手・打者として力を出し切れてないもどかしさの裏返し…そうした雰囲気も伝わってくる…


中学時代からスポーツ万能で通し、それでも野球を選んだ根尾は大阪桐蔭高校進学後も投手・遊撃手・外野手として活躍し、「大谷翔平を超えた三刀流」とまで言われた。そしてドラフト1位で中日に入団…

「どこでも守れる」という触れ込みもあってか、聞こえてくる話はほとんどと言っていいほど楽しみを呼び起こすような見方ばかり。まるで数年後(というよりは極めて近い将来)主力に成長することが確約されたかのような雰囲気すらあった(もちろん潜在的には不安な見方もあったと思うが…聞かれる様子が感じられないほどの少数派だったのでは?)。

もっともそれ自体不思議でもなんでもない。

正直間違いでもないと思う。

どこでも守れるというのなら、最低でも空いたポジションでレギュラーをとらせればいい。根尾なら可能だろう。ましてあれだけポテンシャルが高いのなら…

そう考えるのも自然だからである。

少なくとも「見る側」とすれば…

正直私も根尾の育成に(少なくともここまで)手こずるとは思えなかった。中日は根尾をどうやってモノにするのだろう…お手並み拝見だ…程度にしか考えていなかった…


ところが去年?おととしあたりか?

外野を守らせるような話が出たあたりから根尾の将来に暗雲が立ち込めたかのような見方が支配し始めていたようだが…やはり問題はここに行き着きそうだ。


まず、「ショートで一人前にする、のではなかったのかよ!?」という声…

そして「いや、外野も守れるようなユーティリティ・プレイヤーにするのは悪くない。どこでも守れるというのは他の選手にはない武器なのだからそれを活かさない手はない」というもの…

大きく分けるとこんな感じか?

今でもこの二分した見解が主流のようである。


私自身は…守備位置が単一だろうが外野やピッチャーを含めて複数にしようがどちらでもいいと思う。

問題にすべき点があるとすれば、根尾をとる前の、いわばスカウティングの段階で軸となる方向性だけは決めておく必要性があったと思うのに、それをどの程度やっていたのかが疑問…

つまり…ショート1本で、ということなら言うに及ばないが、たとえ複数守備位置を当初から考えていたにしても、「どこをベースに起用するのか」ここだけはもっと徹底した上で状況によっては別の守備位置で「ユーティリティ」として起用するとか考えるべきだった…ショートならショート、外野なら外野というふうにベースを決めた上でそのメインの守備位置で調子を見ながらたまにはという感じで別の守備位置を守らせて別の適性を探ってみる…という手を使うべきだと思うし、そう考えて彼の指導に望んでいるものとばかり思っていた。いや、今でも中日の内部事情を知らないので何を言っても推測の域は出ない。ただ、推測の域を出ないことを承知で敢えて変な言い方をすれば…球団も見る側も「根尾がどこでも守れる」「ポテンシャルには恵まれている」ということに甘えていたのではないか?言い方を変えれば、『安堵感を覚えていた』のではないかと。

そして、中日にしてみればその安心感から「コイツをモノにできなければ大変なことになる」という危機感に欠けてたのではないか、根尾というスターを獲得することで客を呼ぶ「営業性」を考えるあまり、一番大事な意識が実はおざなりにされていた部分も…それがすべてとは言わないにしろ、少なからずウエートを占めている、ということはなかったのか、と。


中日のケースは…何を言っても憶測になるからここまでにするにしても、ここで改めて考えなければならないことは

『スター選手獲得はチームにとっておめでたい反面、モノにできなければその分風当たりも強くなる。もちろんチームの成績やムードにも大きな悪影響を与える。喜ばしい反面、そうした重圧との戦いにもなる』ということではないだろうか…


根尾に対する中日のそうした意識がどういったものだったのかは今後の彼自身やチーム状況を見ながら判断するしかないかもしれないが、しかし今このように述べたことはもう一度肝に銘ずる必要はないだろうか?思えば大谷翔平を獲得したときのファイターズなどはどういう思惑が色々と錯綜したのであれ「1人前の二刀流メジャーリーガーに育て上げた上で海外に送り出す」という並々ならぬ決意や意識が球団からも当時の栗山監督からもビンビンに伝わってきたものだった。各球団は今後「金の卵」と呼ばれるべき選手を獲得したならばこのことを強く意識しなければならない。

ここが今回のブログで私の最も述べたい結論だ。


根尾と中日に戻れば、私は正直今からでも遅くないと思う。

もう一度、彼の育成プランを、単に「ショートでダメだから外野、打撃で芽が出ないからピッチャー」程度の見方ではなく、もっと具体性、方向性、計画性などを持った上で作り直すところからやり直してはどうかと思う。

あとは本人と球団次第であるのは言うまでもないだろう。


さらば東急8500系 「ありがとうハチゴーサウンド」!!僕だけの「東急8500系物語」

2022年5月8日、ゴールデンウィーク最終日…

クラブツーリズム㈱主催「昭和・平成・令和を駆け抜け47年 貸切列車でハチゴーサウンドを田園都市線で満喫しよう日帰旅」に参加しました。


75年にはローレル賞を獲得し、そしてその後47年間も不動と言っていいほど主力として活躍していただけに東急ファンの間でも8500系の人気、そして翌2023年1月と見込まれる勇退を惜しむ声は絶大…それゆえ「抽選での募集」と聞いて「もしかしたら参加できないかもな…」と思っていました。
それでも思い入れの強い8500系での残り僅かな乗車のチャンス…それを確実に生かせれば…と思ってこのツアーに申し込みましたが…すんなり参加することができるとわかってホッとしました。

さて…次の写真がその8500系です。
御覧になった方々の中には…たとえ電車にさほど関心がなくても「あ!この車両なら知ってる!!」という人も多いのではないでしょうか。
そう!これが田園都市線ばかりでなく東横線など長年東急の路線で大黒柱のように活躍してきた8500系なのです。

12:00受付開始…12:30集合予定…
集合場所は東急長津田検車区…

″受付開始時刻″とほぼ同時に集合場所の長津田検車区に到着しましたが…やはりやはりこの時点でかなりの人が…
この時点で十数人くらいはいましたね…
8500系の根強い人気を思わせます…
※この写真だけ見るとそうにも見えませんが…既に後ろの方にもかなりの人が…

そして時間が来てツアー開始…
次の写真の右車両が貸切車両です、が…まさしく「待ってました!」という感じにも見えました…


そして我々は…「臨時」として扱われたこの車両でツアーに望みます…

この角度から『あのとき』を思い出しながら…
いくつかのグループに分かれて車掌さんや作業員さんが引率…質疑応答などのやり取りも見られました。
そして車内は、「貸切」…

スタートの検車区を出たあと、まず長津田駅へ…
途中、車内アナウンスで新しく搬入された半蔵門線の新型車両の紹介も…(位置的に鮮明な撮影が難しかったので写真の方は割愛)

その後長津田から田奈、青葉台とノンストップながらも緩やかなスピードで進みながら藤が丘へ…
その藤が丘で通過電車の待ち合わせ…
考えてみれば通常営業(ダイヤは休日)の合間を縫って組まれたツアーだけに、プランニングにも苦心されたことと思います…

その後電車は鷺沼まで進み、鷺沼から少し行った坂の途中辺りで東急では体験できない「スイッチバック」。
そこで折り返して再び検車区へ帰るわけですが…その間ブレーキなど様々な種類の音を聞かせてもらいました。
そう、8500系の特徴のひとつが走行音をはじめとする独特の「音」。
このツアーのテーマタイトルのひとつも、8500系から名づけた、「ハチゴーサウンド」。

車両は急行などの待ち合わせを織り混ぜながら江田まで進みます。
そして市ケ尾を過ぎた辺りからはまるで特急電車を思わせるようなハイスピードで長津田へ…
その間再び藤が丘を通過…
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僕は幼年時代を田園都市線沿線…
この藤が丘で過ごしました。
※藤が丘ばかりでなく…当時は横浜線の中山や原町田(現・町田)へ家族で買い物に行くことが多かったこともあって藤が丘ー長津田までならすべて自分にとってはゆかりの駅でもありました。つまり今回の路線の約半分は自分にとっては文字通り「かつての生活路線」

僕の頃には青ガエルこと5000系(初代)もまだ人気があったものの…田園都市線をはじめとして東急ではステンレスカー主力の時代となっていました。そんな自分にとって東急のステンレスカーはまるで「竹馬の友」のような存在…
ステンレスカーがホームに滑り込んでくると胸がときめき、亡き父も喜んでくれました。
もっとも印象に残ったのは7200系でした。
とりわけ「ダイヤモンドカット」と呼ばれた「くの字型」の全面は本当にかっこよかったです。

7200系

その後、8000系も新しく出てきます。

8000系

初めて藤が丘の駅で見たときは…恐らく試運転だったのか、やけにノロノロと入線してきたのを覚えています…

「あれ?いつものステンレスカーとどこか違うな…」
漠然とそう思ったものです。やや大きくなったようなスケール…普段接し慣れている7200系と似ているようでどこか違う…そしてぎこちないホームへの入り方…

あとで知ったところ、車体は18mの7200系よりやや長くなり(20m)、冷房設備(分散型)の完備…(7200系も後に分散型の冷房装置を完備)、ということでしたが…その分より大きなスケールを感じた反面、あの彫りの深い7200系のダイヤモンドカットから…スパッと切ったあとの食パンの切り口ような「ストレートカット」…それがやや味気なく感じはしたものの、一方ですっきりした外見からスマートさも感じた8000系…

この二種類の車両に比べると一番馴染みがなかったのが8500系でした。しかも8500系が走り出した頃に父の転勤により我が家は一時的に神奈川を離れます。
数年後神奈川に戻ってきたときには田園都市線沿線の住民ではなくなっていましたが、再び藤が丘を訪れるために溝の口に「凱旋」したとき…
この頃には完全に8500系の「天下」でしたが…このときも…まるで「お帰り!久しぶり!」といって出迎えてくれたかのように8500系が登場。

そう、先に話した…検車区でこの車両を間近で見たときに思い出した、『あのとき』…

けれど一番馴染みがなくてもあのときの8500系はすぐに違和感なく親しめました。7200系や8000系を追いやったような感じこそあったものの…その後新しく出た車両と違って慣れ親しんだ7200系や8000系の面影を残し、「いいとこ取り」した端正なフェイス…
そして「先輩」2種類の車両と同様の走行音…側面のコルゲーション…側面の一枚窓…
8500系と接しているとき…8500系を含めて自分がこれまで触れあってきた全ての車両と同時接触しているようで嬉しかった…

そして市ケ尾から長津田へ行く途中…
車窓を見ながら…

不思議なもので、永い年月の間に変わり果てたはずの沿線の景色…
そのとき…車内と車窓からの景色を同時に見ながらイメージしたのは…その変わり果てた今の景色でなく、当時の…子供のときに電車に乗っていたときの記憶が甦ってダブったもの…
それは気のせいだろうか…

来年以降はもう聞けないかもしれない独特の走行音…
来年以降はもう見ることもないかもしれない車内…

これらとともに…子供のときの車内と車窓からの景色がそのまま…鮮明に甦ってきた…
思い出として…

すっかり変わって記憶が薄くなっていたのに…
このときだけはなぜかしっかり戻ってきた…


そんなことを考えながら、再び長津田の駅へ…
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長津田の駅から終着地の検車区へ…

ここで最後の見所…
車両洗浄機…

最初、この「洗浄機」の話を聞いたときは正直「なんのことか?」と思っていたが…こういうことか!
「車両に乗ったまま、洗浄機を通れるんだ!」
なるほど!こんな経験は
そうそうできない貴重なものだ!!
※そのため窓は全てシャットアウトするよう注意が呼び掛けられる

そしてその洗浄機を通り抜けた…
襲いかかるかのように車両めがけて飛んでくる水しぶき…
当然窓からもその迫力は伝わってくる…



そしてスタート地点への帰還

僅か2時間の出来事でしたが…
そこにいた人たちでないとわからない濃密な時間だったことは言うまでもありません…

洗浄機を通り抜けた貸切車両の窓…

来年1月以降には見ることがないかもしれない…8500系の涙で濡れた視界のようにも感じました…
そう思ったら…自分にとっても込み上げてくる思いがありました。
何しろ…もしかしたら自分にとってはこれが最後の8500系とのふれあいになってしまうかもしれない…

本当にこの企画に参加してよかったです。

自分が子供のときに接していたステンレスカーすべての特徴を持っていた8500系…

自分の中でもひとつの物語が終わる…

もう会えないかもしれない…
けれどその中で、最後の最後まで
最高の思い出をくれた「竹馬の友」…

一方、東急の未来は彼らに託された…
これからの東急は彼ら(もちろん現存車両すべてですが)にかかっています。僕自身も彼らには過去の車両達とは違った思い入れや愛着を既に持っています。

しかし、この日の出来事ではっきり決まりました。

今回お世話になった最後の8500系をはじめ
僕の心に刻まれた車両達はどこでどうなろうと僕にとって永遠のものだと。
一生忘れないよ!8500系!
一生の記念、そして宝物だよ、この思い出…

ハチゴープロジェクトのみなさん
本当にありがとうございました!

そして、本当にありがとう!
お疲れ様!
8500系!!


こちらこそありがとうございました!

Rocky

外野席からのバックホーム『恵まれない環境ほど計算力が要求される』

『恵まれない環境ほど計算力が要求される』

日本時間2022年5月11日、エンゼルスの本拠地スタジアムで大谷翔平の表彰式が行われていたが、それに花を添えるかのように若き先発・デトマーズがノーヒットノーランを達成。

しかし、Twitterではあるメジャー通との間でこんな話も出た。「去年ノーヒットノーランの後の試合で故障したピッチャーが続出したので(記録自体はめでたいが?)不安がある。(細かい話は省略)…諸悪の根元はピッチャーに優しくないメジャーの公式球。
そんなボールでアラフォーになっても活躍できるバーランダーやシャーザーはバケモノだ」と…

だが、そうした「ハンデ」とも言える悪条件はボールの問題ばかりではない。不規則なバウンドの多い土のグラウンドや天然芝…
屋根がない、もしくはドーム球場としての設備を持ちながらも屋根がグラウンド全体を覆わないため風に翻弄される打球など…

これも詳細については省略するが…「昔の選手はそういう環境の中で計算しながら野球をしたものです」というコメントもある…

故・豊田泰光さんの言葉である。

豊田さんは生前、冗談混じりにこんなことも仰っておられた…
*️⃣私はある機会にてじかに聞いた…
(これも詳細は後日、それも「機会があれば」ー笑)

「誰か…夜陰に乗じて…
人工芝…ひっぺがしてくれませんかね…
誰か…夜陰に乗じて…
福岡ドーム(当時)の屋根、ひっぺがしてくれませんかね…

あれはチタンでできているから
ゴルフのクラブになるよ…」
※その場にいた人はみんなウケた…

豊田さんの時代であれば、これに「飛ばないボール」という条件も加わる…
(しかも豊田さんの時代はボールや風の問題はもちろん、グラウンドも劣悪だったはずだからコンディションにおいて更に相当厳しいものがあったのは言うまでもないだろう。)
豊田さんはそんな中で、風による球団旗の動きやイレギュラーバウンドによる打球の向きの変化まで計算しながらプレーするようになったという。いや豊田さんばかりではあるまい。昔の選手たちは皆そうして「古き悪しき時代の劣悪な野球環境」から『古きよき時代の野球』を導きだしたに違いない。

だから…日本人で海の向こうに渡った野手が本場のフィールドで苦労する姿もある程度目に見えていたらしい…(もっとも、幾分「予想以上だった」と感じてもいたようだ)言うまでもないと思うが人工芝の綺麗なバウンド…フィールドはおろか観客席全体を覆うドームの屋根によって殺された風の動きによってほぼワンパターンと言っていい打球の流れなど、今の選手はある部分恵まれ過ぎた状況に慣れてしまっているからこうなった、とみていたのだ…
こうしたことは豊田さんの言葉を借りれば「温室栽培された選手」ということになる。
だから、豊田さんは先に述べたような冗談混じりの言葉を皮肉をたっぷり込めて語った、というわけだ…(笑)

まぁそうは言っても…プレーしている選手たちの身になればプレー環境が悪ければ改善されるに越したことはないのも当然だが、しかしプレー環境がどうあろうと計算や工夫を欠かさない選手ほどこうした壁を乗り越えることも不可能ではない。

当たり前のことでもあるが、そんなことを改めて思い出した次第である。