懐かCM ①
今日9月13日は「平成の怪物の誕生日」ふと彼について語ってみたくなった…
本日、9月13日は…
松坂大輔の誕生日である…
そこで…ふと、(満を持したところでもっと詳しく書きたい、と思っていたのであるが…)彼のことを書きたくなった…
詳細についてはまたいつになるかわからない先の将来に任せるとして…単純に書きたいと思ったことから…
松坂大輔は2年生の頃からエースナンバーをつけていた。少なくとも2年の夏からはもう、彼の背中から「イチバン」が外れたことはなかった。ベンチ入りメンバーが増え、投手の数も増え、投手分業制が進み、複数投手が当たり前となった今の世の中では考えられそうになさそうだが、この時点で松坂は絶対的な横浜高校の大黒柱として君臨していたのである。時代背景の違いはあるが、しかしこれも考えてみれは凄いことかもしれない。
下級生でエースや中軸として活躍した選手も枚挙に暇がない。荒木大輔、清原和博、桑田真澄…
彼らは1年から活躍していたが、2年からでも松井裕樹や田中将大のようなケースもある。
ただ、松坂より後に出てきた松井や田中はとりあえず置いておくとして…荒木、清原、桑田らの場合は早くから全国の舞台で全国民の目の前で投げていたのだから自分にはさほど感慨がなかった。全国に出た時点で「国民全てのもの」みたいなところがあったからだ。
しかし…(今回の投稿は全て個人的、感傷的な文章になるが)松坂の場合は全国に出て伝説と呼ばれるほどのヒーローになる「前の段階」で私が目にした初めての逸材なのである。つまり全国的ヒーローになる前からその歩みを見守ってきた初めての選手なのだ。それが「延長17回の死闘」という伝説を経て、1イニングとはいえかなりの消耗が予想された準決勝の明徳戦でも登板…さしもの松坂も決勝の京都成章戦では苦戦…最悪敗北してもおかしくないのではないかという懸念すら感じていたものだった。それが、敗北どころか…ひとつの流れで状況の変化があったとはいえ、優勝を決めたばかりか、その結末がノーヒットノーラン…
初めて「全国に出る前から見てきた『おらが町』のヒーロー」がここまでやってくれるとは…
その決勝は初回から最後まで見ていたが、あのときは本当に…「感慨深い」という言葉だけでは全然足りない…けどそれ以外に適切な表現のしかたがなかなかみつからないほど、不思議なくらいの感情に浸れたものである…
と、同時に…「この男は絶対に大物になる、いや、これだけのことを笑顔で成し遂げる男が大物になれないはずがない…」とも直感した。
高校時代にしてそう強く実感したのは、松井秀喜の登場以来である。
(もっとも…プロ入り後に16勝5敗という、新人離れどころか高卒ルーキー離れとすらいっていい結果を残すことでまた度肝を抜かれるのだが…)
その意味で松坂大輔という男は…勝手な言い分かもしれないが私にとっては誇るべき男なのである。
都合のいい言い分といってもいいだろう。だが誰が何と言おうがこの感情は崩れないのである。
私が初めて彼を見た…(知った)のは彼の2年時の春の関東大会…
彼は優勝投手に輝いたらしい。背番号もこのときから1だったそうだ。
私はこのときの彼を雑誌の写真でしか見てない。だからこの時点では彼の存在は知っていてもどんなボールを投げるのかについては全く無知だ。
しかし…写真で見る限りオーソドックスなフォーム…
その上童顔、さらには下級生…
このところ横浜高校が全国大会など肝心な試合で勝てない時期が続いたこともあり「3年生が育ってないんだな…とうとう(当時の監督の)渡辺さんもヤキが回ったか…」とすら思った…
しかし、結論から述べるとその夏にはその評価を180度ひっくり返さざるを得なくなってしまった(苦笑)。まさしく「恐れ入りました!」である…(笑)
そして、「やっぱりここのエースは2年生でもモノが違う!」という評価をせざるを得なくなった…(苦笑)
その時点で94年エースの矢野英司を彷彿させるものがあった。しかし糸を引くようなボールの軌道に見るからに強そうなボールのイメージ…
もしかしたら矢野以上かもしれない…
ただ、一方で荒れ球のケもあった。
※実際それで墓穴を掘ってその年の県下では準決勝どまりに終わるのだが…
ということで、安定感という部分では不安も隠せず、そこにはまだまだ未熟さも感じさせた、というのがピッチングの印象…
しかしこの球筋は当時でも脅威的だった。
それを見ているから、新チーム結成後の関東大会や神宮大会を制し、翌年のセンバツ前に「MAX148km/hを誇る大会ナンバーワン投手」「優勝候補は横浜高校」と聞いても驚きもしなければ疑いもしなかった。初戦さえ乗りきればその戦いぶり次第ではセンバツ制覇も十分ありうると思った。
※逆に…かなり後年のことだが、県大会初戦?の藤嶺藤沢戦ではあわや敗北の危険性すらあった、と聞いたときには少なからず驚いた、と同時にゾッとした。
あれがなければ…センバツ制覇はあり得ない。しかし夏の大会はマークが緩む分案外あっさり制覇できたかもしれない。ただし!後年長々と語り継がれるような延長17回や準決勝での6点差の大どんでん返し、決勝戦ノーヒットノーランなどというドラマもなかっただろうし、同じ優勝してもずいぶん味気ないものになってもおかしくなかった。なにせ、これまた後年「松坂世代」とまで言われたリーダーの松坂がセンバツにいなければ、打倒松坂に照準を定めることで成長してきたPLをはじめ、同年代の選手たちのレベルもそうは上がらなかったはずである。
その意味でも、その藤嶺藤沢戦は…ある意味甲子園での横浜高校の苦戦よりも重要な意味を持つのかもしれない。
と同時に…改めて彼の「運命的凄さ」を実感させられた…
横浜高校には3人の「伝説的」優勝投手がいる。
永川英殖、愛甲猛、そして松坂…
この中で、ある意味最も「威圧感のない普通の子が優勝投手になっちゃった」というのが松坂だ。
だが後述するが…先輩2人とは別な部分で彼らにない「凄さ」を発揮したのも松坂だ。
3人を育てた渡辺監督からも「入ってきたときから『コイツはただ者ではない』と思わせた永川、愛甲に比べれば松坂の入学当時はそれほどでもなかった」といったような証言もあったが…
まず永川の場合は190cmのタッパがある。その時点で…つまり存在自体が威圧感といっていいだろう。そして(同級生の江川卓には及ばないにしても、それに匹敵するくらいの)プロが唸る速球…
愛甲の場合は…本人からは「江夏豊のふてぶてしさから影響を受けた」といった発言があったが…その通り「打てるなら打ってみろ!オラッ!!」といわぬばかりの威圧感があった。それに比べれば当時にして2人よりひとまわり小さく、顔も童顔な松坂からはそこまでの迫力は「見た目からは」感じない。
だがやはりこの男にはこの男ならではの存在感があった。その童顔がキリッとした、凛とした顔に変わる。眉毛、目、一文字に結ばれた口…全てが平行線を描く…
そして何より、「気負うことなく自然体」。
下級生の時でも「相手が先輩?それがどうした?」といわぬばかりの落ち着き払ったふてぶてしさ…どっちが先輩かわからないような佇まい。まさしく『自信満々』
加えて変わらぬ表情…
ナインがマウンドに駆け寄ったり、打者との対戦が完了しているとかであれば別だが、それ以外…つまり打者に対峙しているときは全く表情が変わらない…
これは先輩2人にもない特徴である。そしてそれはプロに入ってからも変化がみられたことはほとんどない。少なくとも打者に相対しているときの松坂を見ていてそんな変化を感じたことは、一度も、ない。
そうした何事にも動じない精神面の強さがあったからこそ、あの剛球も鋭い変化球もフルに生きたのだろう。
3年時、甲子園という全国舞台で羽ばたいていってからのことはもはや説明は必要あるまい。
彼の誕生日、ふと思いを綴りたくなったというだけでもこれだけ語ってしまった。
それほどまでに彼の存在は自分にとって大きい、ということだろうか…
Rocky
「もっとあぶない刑事」のヒトコマ…
タカ&ユージ:おはよう、薫。なんだなんだふんづまりのような顔して~
薫:わかってるんでしょうね2人とも!?






