親戚の子供さんの結婚式に出席するため訪問した 北海道 ですが、式の前日に少し観光に連れて行ってもらったものの、転んでもタダでは起きない性分ですから、道中に 鉄道廃線跡 のスポットも巡りましたのでご紹介しましょう!
観光した内容記事→
ところで、当地には 根室本線 という現役の路線かある訳なのですが、個人的にはあまり興味が無いのと言いますか、まだまだ香ばしさに乏しいので、まずは納沙布岬への道中に、 さいはての鉄路であった根室拓殖鉄道 の廃線跡を訪問してみましょう!
道路事情が脆弱であった戦前に、 歯舞(はぼまい) で採れる海産物を運ぶために敷設された鉄路ですが、昭和34年に廃止されましてしまいました。
ただ、鉄道とは言っても御覧のようにトロッコに毛が生えたようなもので、特に画像のキハ3 銀竜号 はグロテスクな造形でしたが、当時としては同地区で唯一の交通機関でした。
ただ、廃止から65年の歳月が流れていることと、言っても大平原のようなところを走っていましたから、 廃線跡を見るけるのは困難 でしたが、こちらは友知駅があっ付近の様子です。
※航空写真はGoogleより拝借
根室拓殖鉄道の廃線跡は道路に沿った白枠の部分で…
そして、2024年矢印の方向から撮った現在のものがコチラです。
そして、更に進んで婦羅理駅があった付近は…
沖根辺川を跨いでいた土盛りの部分が、かずかに残っていますが、とても香ばしいですね!
で、終点の歯舞駅は現在クリニックが建っていて盛業されています。
ぶっちゃけた話し、道中に「ここで車を止めて」と何度も言うので、ドライバーの旦那さんも相当困惑していたようですが、せっかくここまで来たのですから、神に誓っても拓殖鉄道は外す訳には行かないのです!
さて、根室拓殖鉄道へのご挨拶が無事に済みましたので、今度は納沙布岬からの帰りに少し遠回りをしてもらい、昨日に降りた 厚床駅 から北西に位置する上風連(かみふうれん)という所まで連れて行ってもらいました。
まあ、そこに何があるん?と問われても、何も無いとしか返答が出来ないんだけれど、実はかつてこの辺りに鉄道の起源とも言える 馬車鉄道 が走っていたののです!
頭が高い~! 控えおろう~!
機械文明が到来する以前は、牛馬が物資などを牽引していた時代が長く続いていまして、凸凹の未舗装道路と比較しますと、摩擦抵抗の少ない鉄路の方が、より多くより楽に輸送することが出来ました。
ですから、特に明治時代に開拓が始まった北海道では、資金的な面もあって多くの馬車鉄道が活躍した時代があったのです。
そして、こちらは正式名称が 別海村営軌道 と申しまして、酪農が盛んな当地の牛乳などを厚床駅に運ぶために敷設されましたが、我が国最後の「馬車鉄道」として活躍していたものの、今から約60年前の昭和38年に廃止されました。
動画を参照ください。
今なら動物虐待と騒がれるのかも知れませんが、当時は生活に欠かせない路線であったことはこの動画からも理解出来ましょうが、実はこの廃線跡を探索するために、わざわざここまでご足労願ったのです。
と言うことで、ほどなくして廃線当時の終点であった 上風連駅 に到着しましたが、これが当時の航空写真です。
元々は更に北上して中標津までを結んでいたようですが、晩年はここが終点でして、現在の様子がコチラです。
上風連小学校 の敷地に沿って線路があったようですが、駅があったのがこの三角屋根の建物の所なのか? はたまた道路を挟んだ向かいにある消防団の辺りなのかが不明でしたが、旦那さんのお父様に問うてみますと、向かいとちゃうか?との回答を頂きましたが真相は不明です。
コチラですね!
そして、沿線の途中の様子です。
航空写真の青い線は、馬車鉄道をリニューアルするために敷設された新線で、廃止後は厚床には向かわず奥行臼駅とを結んでいました。
ただ、こちらも現存はしていませんが、今朝訪問した奥行臼駅の反対側に、当時の車両が幌を掛けた状態(冬季のみ)保存されています。
さて、こちらは航空写真の辺りの光景ですが(矢印の方向から撮影)、当然ながら廃線跡は自然に還っていて、その痕跡すらありませんでしたが、かつては1馬力の馬車鉄道がのんびりと走っていたのです。
で、最後は動画の終盤に出てくる厚床駅付近の様子です。
航空写真で見てみますと、上のシーンはちょうど道路を横断する付近から後追いで撮影したのでしょう?
次に、駅前広場に入ろうとする馬車鉄道ですが…
こちらがほぼ同じアングルで撮ったもので、現在の歩道部分が当時の廃線跡です。
また、当時は厚床駅前広場を横断したところまで線路があり、そこで機回し(馬回し)をしている間に積んできた牛乳をトラックに積み替え、再び空になった容器を回収していたようです。
その場所の今がコチラですね!
もちろん、当時と比較しますと商店もほとんど無くて殺風景な今ですが、こうして60年を経た今日に動画と同じ位置に立っているだけで感無量なのです。
あと、御者(ぎょしゃ/馬を操る人)は村営ですから公務員になるのでしょうか?
ただ、言っても当時の沿線は寒村でしたし、移動する手段も徒歩しか無かった時代で、当然スーパーやコンビニなんぞも皆無でしたから、御者のおいちゃんが 地域一番の繁華街でもあった厚床駅前のよろず屋 で食料品なんぞを買い求めるシーンもありました。
意気揚々とよろずや屋に入るおいちゃん!
その現在の様子がコチラでして、矢印の白い建物がかつての「よろず屋」のようですが、驚くことにその奥にある建物は、今もそのままの状態で飲食店として盛業しています。
商品を購入して、満足げなおいちゃん…
そして、復路運行のため馬車へ戻るおいちゃん…
今の様子です。
ほんまにもうね!
お腹一杯と言いますか、断片的であっても余は満足じゃの気分でしたが…
駅や沿線でスマホで撮りまくっていた私を見て、旦那さんは完全にあきれ返っておりましたが、趣味と言うものは本来こんなもんでして、一般人が理解不可能なことが趣味なので御座います!
けど、毎度毎度ばかばかしいことをしているという自覚はままあります…ハイ💦
おまけ!
こちらは平成元年に廃線となった 標津線川北駅 に保存されている国鉄型キハ22です。
まあ、パッと見は美しい印象ですが、車内の座席は全て撤去されて倉庫のような使われ方をしていましたし、屋外ゆえ塗装の痛みも著しかったです。
あと、言っても平成の廃線ですから、いわゆる廃線跡も多く残っていますね!
と言うことで、再訪の折には誰にも急かされることなく、私ひとりでゆっくりと堪能するまで廃線跡をめぐってみたいと思います。
つづく