先日のブログで、浜寺公園のゴーカートを紹介しましたが、この公園にはその他にも 子供汽車 というのが走っている。

 

先日のブログ→ http://ameblo.jp/dmh17c/entry-12199334348.html

 

 

 

 

しかし、その「子供汽車」というのは、遊園地などに見る子供騙しのようなプアーなものではなく、昭和40年以降というカテゴリーでくくるとすれば、関西では 奈良ドリームランド  あやめ池遊園  愛知こども国 に並ぶ、全国的にも珍しい本格的な鉄道である。

 

 

 

 

そして、現在その2代目にあたる なにわ号 がこちらで…

 

 

そして、今は亡き初代にあたる もず号 がこちらである。

 

 

さて、無類の鉄道好きであるはずなのに、先日は時間の関係でこの列車には乗れなかったが、ゴーカートのコースと共に、この鉄道の路線も大きく変わっているのであった。

 

 

 

すなわち、現在は北側の「花壇公園前」と、南側の「交通遊園前」のふたつの駅しかなく、こちらは、その交通遊園前駅にあるミニチュア模型であるが、現在の路線はこういう型をしているのだが、→の部分に、かつて もうひとつ駅があった のをご存知だろうか…?

 

 

 

これは、阪神高速湾岸線を走っていれば、FRPで出来た大きなドームのような構造物が目に入るので、お気づきの方もいらっしゃるだろうが、近づいてみると…?

 

 

 

前後の盛土は無くなっているものの、これはかつて 運動公園前 という名の駅で、現在は廃駅になっている。

 

 

 

じゃあ、この駅が使われていないのだから、かつてのルートはどうだったかと問われても、確たる返事はできないのだけれど、幼い頃の記憶を辿りながら、今は亡き当時の路線を回想してみようと思う。

 

 

 

 

まず、浜寺公園の南端に 交通公園 という施設が出来たのが昭和40年らしく、それと公園の中央付近を結ぶ鉄道を敷設しようとしたが、同時開業は出来なかったらしい…?

 

そして、まだ線路が無かった頃の写真が、こちらである。

(府営公園 アーカイブスより借用)

 

 

確かに線路は敷かれていないが、すでにそのスペースだけは確保されていて、黄色の点線で示した箇所がそれである。

 

 

 

で、私のおぼろげな記憶を回想すれば、恐らくこんな感じだったと思う…?

 

 

運動公園前から左に勾配を降り、直進するとゴーカートのコース下がトンネルになっていて、ここが車庫と兼用しているようであり、また当時は花壇前~遊園前までのキップしか無くても、これを一周して再び 運動公園前 で降りてもお咎めのない時代であった。

 

そして、幼少から鉄道好きであった性格ゆえ、浜寺公園へ来た時は必ずこのルートで乗車したのだけれど、再び交通遊園へ出向くには、大きな陸橋を渡らなければならず、その下に 2台のSLが鎮座 していた記憶があるのだ!

 

 

 

 

つまり、現在の地図と重ね合わせると、かつての路線はおおむねこの様ではなかったかと思うのだが、今は廃駅以外の痕跡は皆無である。

(赤線がかつてのルート)

 

 

ただ、さらに詳しく調べてみると、浜寺公園は平成11年にリニューアルされていて、恐らくその時期にゴーカートと子供汽車のルートを大幅に変更したと推測されるが、ある方のブログ記事で珍しい写真を拝見したので、紹介してみようと思う。

 

 

 

 

その方は平成5年に訪問したとあるが、その時にはすでに もず号 の姿は無く、先の運動公園前はすでに廃駅で客扱いをせず、 通過扱い だったと書いているが、どちらにしても、現在の なにわ号も旧線を走っていた という証拠である。

 

 

そして、前述の陸橋から西向いて撮影したと思われる写真が、こちらである。

 

 

その先には デルタポイント があって、定位は右の進路だったけれど、車庫で休むときだけは左に切り替えていたのであろうか…?

 

まあ、ここまで読んでみて、 それがどうした? と問われても返答に困るのだけれど、ごく狭義であっても後世に伝えなければと思い、記事にした次第である。