料理中に卵をいくつか、卵黄と卵白に分けようとして、
最初の一個めから手が滑って、うまく分けれなかった。
ここで、まあ家ご飯だからいいやにしてしまうと、
大体、最後の一個までやってからやっぱりダメだになるので、
潔く、別置きにした。
今までだったらこう言う時は、
ああ失敗したになってたことが、
最近、失敗という言葉に使われなくなってきた。
失敗したという言葉に使われだすと、
自責にも保身にも使われることになっていき、いいことない。
卵の扱いなんてたわいもないことなんだけど。
あちこちで起きるADHD的予想外の展開も、
自覚が入ってからは、あまり自責で時間を無駄にしないで、
完成形とか、理想像とかも外して、
その場とのダンスに意識を向けるように、
なってきているなあという気がする。
で、その場とのダンスが楽しいものになれば、
ADHDの特性も活かされて(?!)
自分も自分の周辺もWIN WINだから、
いいかな、なんて勝手に思っている。
ちなみに、分けれなかった卵は、かきたま汁になった。